夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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小説の種類
   2007/8/22 (水) 12:16 by Sakana No.20070822121609

8月22日

「坪内逍遙『小説神髄』によれば、小説はそ
の主意から二種に区分されます」
「ハイカラ野郎は区分するのが好きだ」
「曰く勧懲、曰く模写。つまり、勧懲小説と
模写小説です。英語でいえば、the didactic
novelとthe artistic novel」
「ハイカラ野郎は英語を使うのが好きだ」
「勧懲小説はもっぱら奨誠を主眼としてその
人物をつくり、脚色をかまえて、世を諷誠せ
んとするものです。曲亭[馬琴]以後の著作は
おおむねこの種のものでしょう」
「馬琴の『八犬伝』などは小説(Novel)ではな
く、奇異譚(romance)だときみは言ったでは
ないか」
「小説(Novel)は奇異譚(romance)の変態です
から『八犬伝』は奇異譚(romance)の変態、
即ち勧懲小説です」
「ハイカラ野郎は詭弁が好きだ」
「勧懲小説にも二種ありまして、一を褒誉と
いい、一を誹刺といいます」
「もういい」
「一方、模写小説(the artistic novel)はひ
とえに、世態をそのまま写しだして、真にせ
まらんとするものです。ひたすら世間にある
べきようなる情態のみを描きいだして、さな
がら真物のごとく見えしめんことを望む──
これぞ、小説神髄のめざすものであります」
「ハイカラ野郎は模写が好きだ」


道徳小説と芸術小説
   2007/8/25 (土) 10:34 by Sakana No.20070825103437

8月25日

「坪内逍遙は小説を勧懲小説と模写小説の二
種に分け、前者は英語のthe didactic novel、
後者はthe artistic novelに相当するといっ
ています」
「なにか不満があるのか」
「いえ、ただ、直訳すれば、説教小説と芸術
小説だと思ったものですから」
「なるほど、説教小説よりも芸術小説のほう
が芸術としてはすぐれているという主張なら
わかりやすい」
「説教小説を道徳小説といいかえればもっと
わかりやすいと思います」
「説教とは道を説くという意味だから道徳小
説と称してもあたらずといえども遠からずだ
が」
「東洋道徳、西洋芸術と佐久間象山が言って
います」
「象山は小説を論じてそう言ったのではない。
<芸術>は科学技術という意味で使っており、
西洋は科学技術がすぐれており、東洋は道徳
がすぐれているといったのだ。後にこれが転
じて和魂洋才という四文字熟語になった」
「しかし、小説論としても、東洋道徳、西洋芸
術と素朴に考えれば、わかりやすいですね」
「馬琴の『八犬伝』や明治初期の十年代まで
に流行した小説の類は仁義や忠孝という道徳
を説くのがふつうだった」
「それでは芸術的ではないと考えて、逍遙は
『小説神髄』を書いたのですね」
「とうとうきみもハイカラ野郎に洗脳されて
しまったか」
「作者は小説で道を説くよりも、事実(人情
や世態風俗)を客観的に模写すればよい。主
観的な道徳にかかわる善悪の判断は読者の自
由意志にまかせるべきだというのが『小説神
髄』の主張ではないでしょうか」
「そうかな。しかし、模写小説あるいは芸術
小説とやらが氾濫しすぎて、それに汚染され
た日本人の道徳規準が低下したのはなげかわ
しい」
「柔肌のあつき血汐に触れも見で寂しからず
や道を説く君」



アサッテの人
   2007/8/26 (日) 09:34 by Sakana No.20070826093420

8月26日

「文学脳のバージョンアップをはかるため、平
成十九年度上半期芥川賞受賞作諏訪哲史『アサ
ッテの人』を読ませていただきました」
「感想は?」
「うーん、なんというか、文学の衰滅を予感
させてくれる名作ですね」
「ということは文学はまだ衰滅していないこ
とになる」
「ポンパ」
「ポンプがどうした?」
「ホエミャウ」
「山猫の鳴き声か?」
「タポンテュー」
「末期の叫び?」
「チリバッハ」
「塵にもどったバッハ?」
「どちりなきりしたん」
「踏み絵の儀式をどちった隠れキリシタン?」
「ユジノサハリンスク」
「これはわかる。人口約17万人のロシア連
邦サハリン最大の都市。世が世なら豊原とい
って、豊葦原瑞穂国の領土だ」
「アサッテの人」
「わからん」
「記述されたアサッテそれ自体を条件反射的
に定型化し、それが更なるアサッテを生む」
「?」
「要するに、行方をくらました元言語障害者
の叔父の日記をネタにして甥が書いた小説で、
アサッテの人とは叔父をさしているようです」
「そんな小説を書くことにどんな意味がある
のだ」
「<意味のない言葉について真剣に考える、
これは果たして意味ある行為だろうか?>と
作者は自問自答しながら書いています」
「別に書かなくたっていいのでは」
「でも、アサッテの人である叔父が日記を残
してしまって、処分に困っているのです。
<すべてまぼろしだ。この世界のすべてが、
もう既に書かれてしまったもので、今さら自
分になにができるだろう>などと書いてあっ
たら火中に投じて燃やしてしまうわけにもい
かないでしょう」
「燃やしていいんだよ。わからん。作者はな
ぜこんな小説を書いたのか」
「芥川賞がそこにあるからでしょう」
「すると文学の衰滅をくいとめているのは?」
「芥川賞の制度ということになりますね


オトトイの人
   2007/8/29 (水) 09:25 by Sakana No.20070829092543

8月29日

「それでは、漱石先生の『文学形式論』にも
とづいて諏訪哲史『アサッテの人』を分析し
てみましょう」
「漱石は<読者が面白いと思う形式>を、
  I. 意味(意義)の伝達
    II. 音の結合
  111. 文字の形状
の三通りに分類した」
「『アサッテの人』という小説の特徴は、音
の結合の面白さだと思います」
「<チリバッハ>とか<ひゃるけるひー>と
か、たしかに音の結合の面白さはあるな」
「声の暴発を四倍角の黒い四角で示したりし
て文字の形状にも工夫をこらしています」
「問題は意味の伝達か」
「読者の理解力に訴えて、さらりと意味がわ
かる普遍的(ユニヴァーサル)な形式ではあ
りませんが、理解力に訴える部分がイカして
います」
「異化していると?シクロフスキーや大江健
三郎のいう<知覚をむずかしくし、長びかせ
る難渋な形式の手法>を採用している・・・」
「ええ、異化とは日常とは異なる表現を与え、
非日常に一旦意識を落とし込むことによって、
却って日常のリアリティを生々しく喚起させ
ることを目的とした行為、作用です」
「それを多用すると今度は非日常が日常とな
ってしまうために、効果がなくなる」
「たまにはこういう小説もいいでしょう。こ
とばとは何か、コミュニケーションとは何か
をあらためて考えさせてくれます。一般読者
が面白いと思う小説ではないでしょうが」
「芥川賞作品は一般読者なんかどうでもよい。
選考委員の趣味に訴えれば、受賞作になる」
「選考委員でも石原慎太郎や村上龍は面白く
ないといって受賞に反対していました」
「あの二人はオトトイの人だからな。無理も
ない」
「自分だってオトトイの人のくせに」


芸術は模倣なり
   2007/9/2 (日) 09:44 by Sakana No.20070902094403

9月20日

「こんどは逍遙先生の『小説神髄』にもとづ
いて諏訪哲史『アサッテの人』を分析してみ
ましょう」
「すっかりハイカラ野郎に洗脳されて、分析
好きになってしまったね」
「まず、道徳小説(=勧懲小説、the didactic
novel)か芸術小説(=模写小説、the artistic
novel)かという区別の問題です」
「『アサッテの人』は道徳小説とはいえない。
叔父の日記を模写している点では模写小説だ
が」
「逍遙先生によれば、模写小説即ち芸術小説
です。アリストテレスによれば、芸術は模倣
なり」
「それなら、たぶん、芸術小説だろう」
「芸術小説なら<小説の主脳は人情なり。世
態風俗これに次ぐ>という条件をみたしてい
なければなりません」
「人情とはいかなるものをいふや」
「人間の情欲(desire)です」
「アサッテの人の言語感覚は変わっており、
意味のない言葉に淫している。言語に対する
情欲はみとめられるよ」
「それなら芸術小説といえるでしょう」
「しかし、人生いかに生きるべきかという観
点からすれば、煩悩を捨てることが大切だ。
この小説は読者の切実な問いかけにヒントを
与えてくれない」
「芸術小説は道徳小説や宗教小説ではありま
せん。むしろ美術小説というべきでしょう。
<小説は美術なり。実用に供ふべきものにあ
らねば、其実益をあげつらはむことなかなか
に曲(ひが)ごとなるべし>」
「美術や音楽は善を指向しない」
「ゴヤの絵を観たり、バッハのカンタータを
聴いたら心が洗われて人格が高尚になったよ
うな気がするでしょう。間接的には善につな
がるのです」
「しかし、チリバッハの小説を読んでも心が
洗われて、人格が高尚になったような気がし
ない」
「それは読み方に問題があるのです。芸術小
説の褒貶取捨は読者の心に任せられています」
「タポンテュー」


没理想論争
   2007/9/5 (水) 16:46 by Sakana No.20070905164655

9月5日(訂正:前回は9月20日→9月2日)

「逍遙先生は馬琴の『八犬伝』に代表される
ような勧善懲悪小説を批判し、小説において
は主観を直接的にあらわさずに客観的な描写
に終始すべきであると主張されました」
「その考えは諏訪哲史『アサッテの人』のよ
うな現代の小説にも影響を及ぼしている」
「たしかに『アサッテの人』には主観(理想)
は直接的にはあらわされておらず、客観的な
描写に終始しています」
「逍遙はそれでよしとするかもしれないが、
森鴎外なら没理想小説と称するだろう」
「そういえば、逍遙、鴎外両先生の間で没理
想論争が展開されたことがありますね。決着
はどうついたのでしょうか」
「決着はついていないが、一般的にいって純
文学は没理想小説だ」


如是理想本来空
   2007/9/8 (土) 16:46 by Sakana No.20070908164643

9月8日

「坪内逍遙は没理想を説いたという言いがか
りをつけられたということだが」
「森鴎外が次のように述べています。<没却
理想は一に没理想といひ、一に不見理想とい
ひ、一に如是理想本来空といひ、一に平等理
想といふ。其要は理想を没却し、埋没して、
これを見ざらむとし、衆理想の本来空なるを
説くにありといふ。これを説くものは誰ぞ。
時文評論の記者逍遙子なり>(「早稲田文学
の没理想」)
「本来空とは仏教の思想だが、近代小説のあ
るべき姿につながっているとは面白い」
「それでは近代小説の理想は色即是空という
ことになってしまいます」
「色即是空は釈迦が見出した真理だからそれ
でいいではないか」
「さあ、逍遙先生が何と仰るかどうか」
「本来空なら小説など読まなくてもいいとい
うことになるが、その点を逍遙はどう考えて
いるのか」
「小説は美術なり。音楽、絵画と同じで実用
の益はないけれども、美妙の感覚を与えて人
心をたのしませ、気韻を高尚にしてくれます」
「勧善懲悪を否定すると、勧悪懲善小説が流
行して、人心を堕落させることにつながらな
いだろうか」
「『肉蒲団』のような誨淫導欲の猥褻な情史
は似而非(にてひ)なる小説です。一流の近
代小説はそんなことはありません。人を勧奨
懲誠なす要素、つまり人間のあるべき姿や社
会のあるべき姿、あるいは人間の弱さや許さ
れざる事柄などについて、<なるほどそうか>
と思わせるようなヒントやメッセージがどこ
かにあるはずです」
「なるほど。では、田山花袋『蒲団』はどう
だ?」
「近代小説は人間の弱さを誠実に描写するべ
きであるというメッセージを伝えた名作だと
思います」




文学の師表
   2007/9/11 (火) 08:41 by Sakana No.20070911084117

9月11日

「逍遙先生の定義によれば、<小説は美術な
り>ですから、美に価値がおかれています」
「それがどうした」
「つまり、没理想といっても真・善・美のう
ち美の理想は没ではないのです」
「美も本来空だ」
「しかし、人間は音楽や絵画の美をもとめる
ように、小説の美ももとめます
「小説の美とは?」
「文章によってつくられる美です」
「美なら小説よりも詩のほうにみとめられる」
「小説は文学の師表です」
「誰が言った?」
「逍遙先生です」


文学観の差異
   2007/9/14 (金) 08:15 by Sakana No.20070914081512

9月14日

「逍遙先生と鴎外先生との没理想論争は、結
局、イギリスとドイツとの文学観の差異によ
るものではないでしょうか」
「逍遙は英文学、鴎外は独文学を学んでいる
が、どちらも西洋文学だから似たようなもの
だろう」
「違いますよ。英文学は事実の観察、独文学
は哲学的な思弁に特徴があると思います」
「それは一般論にすぎない」
「一般論ではありますが、イギリス人とドイ
ツ人は違います」
「それがどうした」
「日本人の文学観は、逍遙先生と漱石先生の
おかげで、独文学よりも英文学によって大き
く影響されました」
「それも一般論だ。森鴎外は独文学、二葉亭
四迷は露文学、中江兆民は仏文学、上田敏は
西洋の諸文学を学んだ。日本人の好奇心は諸
外国の文学でめぼしいものは片っ端から貪欲
に吸収したのだ」
「しかし、やはり現代の日本文学は英米文学
の影響がもっとも濃いと私は思います」
「そんなことはない。今でも漢文学の影響の
ほうが大きいよ」


もののあはれ
   2007/9/17 (月) 09:37 by Sakana No.20070917093741

9月17日

「日本の小説には哲学がありません」
「そんなことはない」
「少なくとも西周がphilosophyから哲学とい
う翻訳語をつくるまでの日本の小説には哲学
はありませんでした」
「それまで、哲学は文学にふくまれていたは
ずだ」
「でも、小説が文学の数ならぬ身だったから、
小説には哲学がなかったことになります」
「紫式部『源氏物語』には<もののあはれ>
という哲学がある」
「<もののあはれ>が哲学といえるでしょう
か」
「哲学だよ」


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