夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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人工的因果
   2010/7/8 (木) 07:55 by Sakana No.20100708075503

7月8日

「作者は人工的因果を読者に強いてはいけま
せん」
「人工的因果とはなんだ?」
「例えば、<雷大いに鳴り、余が不平も鳴る>
といえばそれまでのことですが、<雷おさまっ
て余が不平もまたおさまる>とまでいうと、両
者の間に作者の作為した人工的因果がふくまれ
ています」
「作者は作るのが仕事だから、少々の作為は許
される」
「しかし、因果を捏造して読者に詩感を強いる
ことはできません」
「読者をいつのまにかその気にさせるのは作者
の技術だ」
「読者を欺(あざむ)くほどの技術があればよ
いのですが、手口がすぐバレるような技術で読
者を欺こうとするのはいただけません」
「一流の詩人ならそんなことはないだろう」
「テニソンの例は多少これに近しと漱石先生は
仰っています」


万緑叢中紅一点
   2010/7/11 (日) 08:26 by Sakana No.20100711082654

7月11日

「静かなる海、満ち来たる潮、明らかなる月、
穏やかなる入江のうちに独り磯の小石を嚙む
浪の音。寄せては返し、返しては寄せる響き
をアーノルドは永遠の悲しみの調べを伝える
哀痛の音と表現しています」
「その哀痛の浪の音は四辺の光景と見事に調
和している」
「しかし、grating roar(礫のきしめき、どよ
めく音)は騒がしき字面なりと漱石先生は難じ
ておられます」
「なるほど、四辺の光景とは調和していない
が、美は乱調にありともいう。この詩でも破
調の効果が出ているのではないのか」
「真意は作者のアーノルドに聞いてみなけれ
ばわかりませんが、万緑叢中紅一点のような
配合を狙ったものかもしれません」
「王安石の『石榴を詠ずるの詩』。緑のくさ
むらのなかに咲いている一輪の赤い花」
「そのような技法はもはや調和法ではなく、
対置法になります」

"The sea is calm tonight,
The tide is full, the moon lies fair.
Upon the Straits; on the French coast, the light
Gleams, and is gone; the cliffs of England stand.
Glimmering and vast, out in tranquil bay.
Come to the window, sweet is the night air!
Only from the long line of spray
Where the ebb meets thw moon blanch'd sand.
Listen! you hear the grating roar
of pebbles whic the waves draw back, and fling.
At their return, up the high stand.
Begin, and cease, and then again begin.
With tremulous cadence slow, and bring
The eternal note of sadness in."
---Mt. Arnold Dover Beach, II. 1-14

(今宵、海は静かで、/
潮は満ち、月が美しくかかる、/
海峡の上に。──彼方、フランスの岸には、光影(ほかげ)が/
きらめき、また消える。此方(こなた)、イングランドの絶壁は/
静まりかえった湾に、/ほのかな輝きを帯びて、茫漠と聳えたつ。/
窓辺に来たまえ、夜風が心地よい。/ただ、耳を澄ましたまえ、引き潮が/
月光に白く映えた砂地と出会うあたり、/
水飛沫(みずしぶき)の長い線から、/
波がさらっていって、/
寄せ返すとき高い岸に投げあげる/
礫(こいし)のきしめき、どよめく音が聞こえるだろう。/
どよめきは、始まっては止み、また、始まる。/
ゆるやかに震える抑揚を伴って/
永遠の悲しみの調べを伝える。
───アーノルド「ドーヴァー海岸」一ー一四行)


対置法
   2010/7/14 (水) 08:55 by Sakana No.20100714085507

7月14日

「それでは調和法をきりあげ、第六章の対置
法にすすみます」
「調和法と対置法の違いをわかりやすく説明
してくれ」
「同種もしくは類似のf(情緒的要素)を配
列する技巧が調和法、異種、殊に反対のfを
配合する場合を対置法といいます」
「ある共通性をみつけて意外の二物を連結し、
その差異の対照を主眼とするのは滑稽的連想
に似ている」
「その通りです。投出語法や投入語法による
連想が調和法に似ているのに対して、対置法
は滑稽的連想に似ています」
「俳句でいう異物衝撃だな」
「木瓜(ぼけ)咲くや漱石拙を守るべく、と
いう俳句はその例でしょうか(明治三○年作、
正岡子規へ送りたる句稿 その二十三 二月)」
「『草枕』では主人公の画家が<世間には拙
を守るという人がいる。この人が来世に生ま
れ変わるときっと木瓜になる。余も木瓜にな
りたい>と言っている」
「私は菫程な小さき人に生まれたいです」


消極の調和
   2010/7/17 (土) 08:06 by Sakana No.20100717080616

7月17日

「対置はいわば消極の調和なり。対置法と調
和法の関係は死と生の如し」
「死と生は別物だよ」
「一面より論ずれば、死は生の一変形たるに
過ぎず。憂苦も生なり。憤怒も生なり。同様
に意識の内容空虚なる時もまた生ならざるべ
からず」
「死んで花実が咲くものか。生と死との間に
は三途の川のような境界がある」
「三途の川を見た人はいません。生きながら
えていても死んだも同然のような人もいれば、
死せる孔明生ける仲達を走らすという例もあ
ります」
「まあいい。とりあえず、死と生はボーダー
レスということにして議論をすすめよう」
「対置法はその形式において調和法の一変体
ですが、自然の結果として調和を破ることが
あります。実はこれが文学の真を伝える上で
効果的な一手段なのです」
「前章で調和の必要を説いておきながら、今
度は調和を破るべき対置法が文学上必須の具
なりと論じるのは、朝(あした)に活人を主
張し、夕(ゆうべ)に殺人を呼号するような
もので矛盾している」
「文学は論理学ではありません。調和法とと
もに対置法を文学の方法として研究しても損
にはならないでしょう」


対置法に三種あり
   2010/7/20 (火) 07:39 by Sakana No.20100720073922

7月20日

「およそ対置法に三種あり、です」
「わが豊葦原瑞穂の国には三種の神器がある」
「かりに、第一を緩勢法(かんせいほう)
     第二を強勢法(きょうせいほう)
     第三を不対法(ふたいほう)
と名付けます」
「勢いが緩やかなのが緩勢法、勢いが強いの
が強勢法だろう」
「aのf(感興)を和らげるのにbのfを以てす
るものが緩勢法、対置の結果(即ち感興)自
ら調和の結果と一致するものが強勢法です」
「? わからん」
「そのうちわかります。のんびりいきましょ
う。滑稽的連想法に似て、多少の滑稽趣味を
帯びるものが第三の不対法です」
「それなら、滑稽法と名付ければいいのに、
わざわざ不対法などとわけのわからない名付
け方をしたのはけしからん」
「不対法から滑稽法を連想するのが対置法の
妙味です」
「いいかげんなデタラメをいうな」


緩勢法
   2010/7/23 (金) 08:15 by Sakana No.20100723081521

7月23日

「緩勢の必要が人事天然の両界に通じている
ことはあきらかです」
「勢いを緩やかにすることがなぜ人事天然の
両界において必要なのか」
「たとえば、醒覚に対する睡眠の如しです。
人間は意識の活動がはげしい醒覚の状態を1日
24時間にわたって続けるのは堪えがたいと感
じます。そこで、自然はこれに睡眠を配して
外界の刺激を緩くするのです」
「眠れよい子よ」
「また、たとえば、蒲焼に対する漬物の如し
です。うなぎは最も脂肪に富む濃厚なる食物
ですが、これを和らげるために清新なる漬物
を添えます。うなぎ屋の漬物ほど工夫を凝ら
したものは稀にみるところです」
「そんな例よりも文学における緩勢法の必要
を説明してくれ」
「文学における緩勢法もまた自然の要求に応
じて成立します。人間は永遠に泣き続けるこ
とはできないし、いつまでも怒り続けること
もできません。そこのところを理解せず、泣
かせる描写や怒りの描写をえんえんとはてし
なく続けるのはヘボ作家です」
「ヘボ作家は徒に屋上屋を架そうとして、余
裕がない」
「死に至って遂に自然を解せず、往々失敗の
術策を報じて、人の服せざるを怪しむ。これ
世に迂(う)なるものにして、兼て文に迂な
るものなり」
「夏目漱石かく語りき。自戒の言葉なり」


ラマムアの花嫁
   2010/7/26 (月) 06:09 by Sakana No.20100726060935

7月26日

「緩勢法の応用例は、たとえば、スコットの
『ラママアの花嫁』(Bride of Lammermore、
1819年)にみられます」
「どんな筋書きの小説だ?」
「仇敵同士の家の息子と娘が恋におちいります」
「そこまでは『ロミオとジュリェット』と同じ
だ」
「ジュリェットと違うのは、仲を裂かれ、無理
に他の男と結婚させられることです」
「女はそれでも幸せになれる。人には添ってみ
ろ、馬には乗ってみろ、という」
「そんなことをいってもラマムアの花嫁には通
用しません。彼女は初夜に新郎を刺して自分は
狂死します」
「それは悲劇だ」
「極めて酸鼻の悲劇です。こんな小説を読まさ
れる読者はたまったものではありません。そこ
で作者のスコットは緩勢法で一個の滑稽人物を
拉(らっ)し来(きた)って所々に点出します。
この一人物を得て全篇の緩和的分子は成立し、
読者の欲求不満が解消されるのです」
「その滑稽人物とは誰だ?」
「さあ、私は読んでいないのでわかりません」
「引用文はないのか」
「長文の引用になるので、先生は学生に無用の
ストレスを与えないよう配慮して、省略された
のでしょう」


片碧の浄空
   2010/7/29 (木) 05:57 by Sakana No.20100729055734

7月29日

「シェイクスピアの『マクベス』は特に緩和
法を利用して満幅の凄気を一髪の危うきに救
う好例です」
「危機一髪?」
「沙翁は冒頭より一群の妖魔を雇い来って首
(はじめ)に全篇の定音(キーノート)を拈
出(ねんしゅつ)したる後、腥風(せいふう)
に継ぐに暗雨を以てし、鬼気に加うるに燐火
を以てし。しきりに魍魎(もうりょう)の形
を紙上に躍らして読者の肝を奪ふ事一再なら
ず。遂に彼らをして送迎に動心し、去来に驚
魄(きょうはく)し畏怖の念一歩を超ゆる能
はざるに至らしめて爾時(じじ)俄然として
片碧の浄空を天の一方に現出し、一脈の和気
を忙中に投入せり。読者の神(しん)ここに
おいてか漸く下りて、始めて瞬時の安きを得」
「流石漱石、何という迫力のある文章表現だ」
「もしこの一節を欠(か)かば吾人はまさに
その毒気の漲(みなぎ)るに堪へず半途にし
て巻を掩ふて他を語らんとす」
「おそれいりました」

Duncan. This castle hath a pleasant seat; the air
   Nimbly and sweetly recommends itself
   Unto our gentle senses.
Bunquo.              This guest of summer,
   The temple haunting martlet, does approve,
   By his loved mansionary, that the heaven's breath
   Smells wooingly here; no jutty, frieze.
   Buttress, nor coign of vantage, but this bird
   Hath made his pendent bed and procreant cradle;
   Where they most breed and haunt, I have observed,
   The air is delicate.
---Macbeth. Act I. sc. vi. ll. I-II

(ダンカン:この城は気持ちのよい場所に建ててあるな、/
  快くさわやかで、/
  心を慰めてくれるようだ。
 バンクゥオ:例の夏の賓客、/
  寺院にしげく訪れる岩燕が、/
  好んでここを住居とするのを見ましても、この館では、/
  天から吹いてくるそよ風の芳しいことがわかります。/
  張り出し窓、小壁、控え壁、そのほかの便利な位置で、/
  この鳥が吊り床や子育ての揺り籠を/
  作っていないことはありません。/
  燕たちがいちばんよく集まり子を生む場所は、/
  私の見るところ、空気がおいしいようです。
──『マクベス』第一幕第六場、一ー一一行)


強勢法
   2010/8/1 (日) 08:38 by Sakana No.20100801083842

8月01日

「緩勢法から強勢法にすすみます。強勢法と
は、a0を緩和させるのにbを以てするのではな
く、あらたにbなる材料を加えて、その効果を
大にするものです」
「どちらも対置法の一種、という点では同じ
だ」
「着眼点の差があります」
「着眼点の差とは如何?」
「まず、bがaに及ぼす影響(即ちaのfよりbのf'
を差し引いた結果、つまりf-f')として対置
法をめざすときは緩和法となり、一方、a、bの
有するf、f'を独立したものとして対置をめざす
とき、強勢法となります」
「さようであるか」
「強勢法の場合、aは文学的に発展して2fとなり、
bも同様2f'と変化します。即ち、f-f'とはな
らず、fがf'あるが故に2fとなり、f'にfあ
るが故に2f'となる。そして、その結果におい
ては期せずして調和法と酷似してくるのです」
「数式を使われると、頭が痛くなってくるが、
それにしても、対置法が調和法と酷似してくる
とは摩訶不思議な世界だなあ」


映帯の妙
   2010/8/4 (水) 08:16 by Sakana No.20100804081641

8月04日

「自然の対置で、映帯の妙を生じ、最後の一
句を賑わしめた文例を『リチャード三世』で
味読してください」
「<映帯の妙>とはどういう意味だ?」
「景色などがお互いに反映しあう妙味です」
「ドーセットには幸運の導き、アンは天使た
ちのお守り、エリザベス王妃には良き思いの
宿りを願っておいて、自分は<墓場に行きま
す>という。<そこでは平安と憩いがいつも
あるでしょう>と。これが対置の強勢法なの
かい?」
「はい。一時間の喜びが悲しみの一週間と対
置されているのです」
「一日は二十四時間、一週間は一六八時間だ
から、人生の喜びと悲しみの比率は一対一六
八という計算になる」
「まあ、そんなところだというメッセージで
す。これも人生訓として理解しておいたほう
がよいでしょう」

"Go thou to Richmond, and good fortune guide thee! [to Dorset]
 Go thou to Richard, and good angels guard thee! [to Anne]
 Go thou to sanctuary, and good thoughts possess thee! [to Q. Elizabeth]
 I to my grave, where peace and rest lie with me!
 Eight old years of sorrow have I seen
 And each hour's joy wreck'd with a week of teen."
---Richard III. Act IV. sc. i.II. 92-7

([ドーセットに]そなたはリッチモンドのところへ行きなさい。
   幸運の導きがあるように!/
 [アンに]そなたはリチャードのところへ。天使たちがお守り下さるように!/
 [エリザベス王妃に]そなたは聖堂へ。良き思いがそなたに宿るように!/
   私は墓場に行きます。そこでは平安と憩いがいつもあることでしょう!/
   悲しみの八十年あまりを送ってきました。/   それは、一時間の喜びがあると、
  悲しみの一週間がそれを打ち壊すといった年月でした。
───「リチャード三世」第四幕第一場、九二ー九七行)



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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2014 Sakana Hasebe