夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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憐れみを知らない人間は獣か
   2010/5/9 (日) 08:16 by Sakana No.20100509081632

5月09日

「<どんな獣でも少しは憐れみを知っている>
(Every beast knows some touch of pity.)
という諺があります」
「シェイクスピア『リチャード三世』でアン王
女がグロスター公リチャードに口説かれたとき、
獣よりもひどい悪党だとののしった」
「夫と父を殺しておきながら相続財産を狙って
ぬけぬけと求愛してくるのですから、悪党にち
がいありません」
「しかし、俺は獣ではないとリチャードはいう」
「その理由は、諺の意味をひっくり返して、言
い換えれば、<憐れみを知らないものは獣では
ない>という理屈になるからです」
「詭弁だが、ものはいいようで、思いもかけな
い結論に到達するところに滑稽的本質が発しま
す」

"Anne. Villain, thou know'st no law of God nor man;
   No beast so fierce but knows some touch of pity.
 Glos. But I know none, and therefore am no beast."
---Richard III. Act. II. sc. iii. ll. 36-9

(アン 悪党、そなたは神の法(おきて)も、人の法も知らない人間です。/
どんなに獰猛な獣でも少しは憐れみを知っていようものを。
 グロースター だが俺は、そんなものを知らぬ。だから獣ではない。
───『リチャード三世』第一幕第二場、七○ー七二行)


北極と赤道
   2010/5/12 (水) 12:59 by Sakana No.20100512125933

5月12日

「滑稽的本質に関して次の文例を味わってく
ださい」
「どれどれ、いつも北極の話ばかりで相手を
うんざりさせる男にジェフリーが<北極なん
ぞくそくらえ!>と言ったというのか」
「男はジェフリーが北極を馬鹿にしたといっ
て、憤慨しました」
「北極くんだりまでわざわざくそくらわしに
行くわけにはいかない。怒るのは当然だ」
「ジェフリーがシドニー・スミスに男の無礼
を訴えると、スミスはつい一週間前にジェフ
リーが赤道の悪口を言っていたから、気にす
ることはないよと男を慰めました」
「それでは慰めにならない」
「男にとっては慰めになりませんが、読者は
滑稽を感じます」
「そんな風に北極男を笑いものにするのは可
哀想だと漱石は思わないのか」
「人のわれを誹謗せる由を聞きて、夏目なる
男が憤然たる時ある友これを慰めて、<あの
男には誰彼の容赦なく悪口をいふ癖がある。
ついこの間、林檎を痛く罵った。林檎でさへ
けなす男だから夏目の悪口位はいふだろう、
といふが如し」

"The reigning bore at one time in Edingburgh was--; his favourite
subject, the North Pole. It mattered not how far south you began,
you found yourself transported to the north pole before you could
take breath; no one escaped him, Sydney Smith declared he should
invent a slipbutton. Jeffrey fled from him as from the plague, when
possible; but one day his arch-tormentor met him in a narrow lane, 
Jeffrey in despair and out of all patience darted past him exclaiming
'D---(amned) the north pole! Sydney Smith met him shortly after,
 boiling with indignation at Jeffrey's contempt of the north pole.
'Oh, my dear fellow.' said he, 'never mind; no one minds what Jeffrey
says, you know; he is a privileged person; he respects nothing. Why,
you will scarecly believe it, but it is not more than a week ago that
I heard him speak disrespectly of the equator!

(一時期、人を退屈させる点でエディンバラに君臨していたのは何某氏で、
彼のお得意の話題は北極だった。話をどんなに遙か南から切りだしても、一
息つく前に北極に移住させられてしまっているのだ。誰も彼から逃れようが
なかった。シドニー・スミスが、よし、ひとつ逃げ道を考案しようと宣言し
た。ジェフリーは、悪疫(ペスト)でも避けるように、できるかぎり、先の
男から逃げまくっていた。ところがある日、狭い路地でこの迷惑大将と出喰
わしてしまった。相手は、たちどころに北極の話を始めた。ジェフリーは頭
にきて、「畜生、北極なんぞくそくらえ!」と叫ぶが早いか、傍をすり抜け
て走り去った。このあとしばらくして、シドニー・スミスがこの男に会うと、
男はジェフリーが北極を馬鹿にしたと言って、頭から湯気を出して憤慨して
いた。「ああ、何、君、気にすることはないよ」とスミスは言った。「ジェ
フリーの言うことなんざ、誰も気にするものか。あいつは別格の人間でね。
何も尊敬しない。まったく何も尊敬しない奴なんだ。何しろ、信じないだろ
うが、ほんの一週間前、赤道の悪口を言っていたんだからね!」)



関係の連想
   2010/5/15 (土) 07:38 by Sakana No.20100515073833

5月15日

「関係の連想とは何だ?」
「物と物との連想ではなく、二物間に存在す
る関係と他の二物間に存在する関係の連想で
す」
「天は二物を与えず」
「関係のないことを言わないでください」
「もっとわかりやすい説明をしてくれ」
「文例で二物間に存在する関係と他の二物間
に存在する関係を形式に表せば、

 shell(甲羅): turtle(海亀)= dome(丸屋根) : Dean(司祭長)
                       Chapter(聖堂参事会)
となります。つまり、海亀を喜ばせようと思
って甲羅を撫でてやることは、セント・ポー
ル大聖堂の丸屋根を撫で、司祭長や聖堂参事
会を喜ばせようとするようなものだという関
係の連想ですが、面白いと思いませんか?」
「連想が知的すぎる。司祭長だの聖堂参事会
だのといわれても仏教徒にはピンとこない」
「しかし、連想された関係は類似しており、
適切ですから滑稽感は伝わると思います」


"We were all assembled to look at a turtle that had been sent 
to the house of a friend, when a child of the party stopped 
down and began eagerly stroking the shell of the turtle.
'Why are you doing that, B---?' said Sydney Smith. 'Oh, to
please the turtle.' 'Why. child, you might as well stroke the
dome of St. Pauls, to please the Dean and Chapter.'"

(わたしたちは皆、友人の家に送られてきた海亀を見に集まっていた。
一行のうち、ひとりの子どもが屈み込んで、海亀の甲羅を熱心に撫で
はじめた。「なぜそんなことをしているの?」とシドニー・スミスが
言った。「亀を喜ばせようとしているの」「そりゃね、坊や、セント・
ポールの丸屋根を撫で、司祭長や聖堂参事会を喜ばせようというよう
なものだよ」。)



関係の連想の誇張的表現
   2010/5/18 (火) 06:20 by Sakana No.20100518062021

5月18日

「うだるような暑さのときは、衣服を脱いで、
裸になりたくなります」
「修行がたりない。心頭滅却すれば火もまた
涼し」
「そんなとき、<肉を脱いで、骨だけになっ
て座っているしかない>といえば、誇大表現
の頓才(wit)です。面白いでしょう」
「非現実的な誇大表現だ。面白くない」
「では、どういうのが面白いのでしょう」
「肉を切らせて骨を断つ」
「それでは真剣勝負の戦法です」

"Mrs. Jackson called the other day, and spoke of the oppressive heat
of last week. 'Heat, Ma'am! I said; 'It was so dreadful here, that I
found there was nothing left for it but to take off my flesh and sit
in my bones.!"

(ジャクソン夫人が先日、来訪されて、先週のうだるような暑さのことを話
された。「暑いと申しますとね、奥さん」とわたしは言った。「この家もひ
どいものでして、肉を脱いで、骨だけになって座っているよりほかありませ
んでしたよ」。)


江戸時代の町人文学
   2010/5/21 (金) 11:03 by Sakana No.20100521110316

5月21日

「頓才(wit)の知的要素は過重の極に達する
と、あるいは謎となり、あるいは所謂コナン
ドラム(conundrum)に近いものとなります」
「コナンドラムとは何だ?」
「とんち問答。答えに言葉の洒落や語呂合わ
せを含む謎なぞ遊びです」
「一休さんの問答のようなものか」
「江戸時代の町人文学の如きその適例なりと
漱石先生は仰っています」
「漱石の初期作品にもその影響がみられる」
「しかし、晩年の作品には頓才の要素は影を
ひそめています」
「なぜだろう?」
「これ(頓才の知的要素)と共にその文学的
価値は著しく減退すること論を待たず。・・
かくの如き文学には頓才は一大勢力として珍
重させらるる事なきにあらざるも、これを外
にしては大なる価値なしといふも可なり、だ
からです」
「文学的価値とは何だ?」
「人事自然に対する熱烈な同情です。偉大崇
高なる知的分子の認識です。深く探り厚く求
める文学の神髄の発揮です」
「野暮の骨頂、間抜けの小足ではないか」
「そのような冷笑的な態度や人の揚げ足をと
って喜ぶような徒輩は、頓才があっても文学
とは無縁の衆生です」


調和法と対置法
   2010/5/24 (月) 07:51 by Sakana No.20100524075146

5月24日

「第四編 文学的内容の相互関係として投出
語法、投入語法、自己と隔離せる連想、滑稽
的連想の四種について詳しく論じたので、内
容はご理解頂けたものと思います」
「さあ、理解できたかといえるかな?」
「四種のうち投出語法、投入語法、自己と隔
離せる連想の三種は類似をあらわすために二
個の分子を結合したものですが、滑稽的連想
は類似の連鎖を通じて非類似のものを連想す
るものです。この違いはおわかり頂けるでし
ょうか?」
「わかったことにしなければ前に進まない」
「四種のうち前三者を拡張すれば第五章の調
和法となり、後者を敷衍(ふえん)すれば第
六章で論じるべき対置法となります」
「ははあ、調和法と対置法」
「では、次回を楽しみにしてください」


梨花一枝帯雨
   2010/5/27 (木) 09:56 by Sakana No.20100527095641

5月27日

「梨花一枝帯雨──これは梨花をもって、美
人の憂ふる様を形容したものです」
「白楽天『長恨歌』の一句。梨花は楊貴妃だ」
「梨花=美人とすれば、投入語法です。これ
に反して、まず美人の暗愁を叙して、次に細
雨に悩む梨花を配すれば調和法になります」
「もっとわかりやすく説明してくれ」
「投入語法においては両者の一に代えるのに
他を以てし、調和法においては同等の関係を
以て一に配するに他を以てするのです」
「そんな説明ではますます頭がこんぐらって
くる」
「調和法を強めて、極端に至れば投入語法や
投出語法に近づき、ついには合して一となる
事があります」
「へぇー」
「ただ、注意すべきは調和法においては両者
間の類似はそれほど精密なるを要せざる点に
あります」
「たとえば?」
「謡曲の本の傍らに般若の面を置けば、調和
が成立しますが、謡曲の本で般若を説明する
ことはできないし、般若で謡曲の本を説明す
ることはできません」
「説明できないこともないと思うが」
「<花笑ふ>という一句は純然たる投出語法
ですが、もし長閑(のどか)なる春の景色の
叙景中に点出された一句と観ずれば一種の調
和法に外なりません」
「そんなものかな?」


文学的材料の調和
   2010/5/30 (日) 08:54 by Sakana No.20100530085416

5月30日

「文学的材料には感覚的材料、人事的材料、
知的材料、超自然的材料といろいろあります」
「承知している」
「それぞれの材料の組合わせで考慮すべき肝
心なことは調和です」
「左様か」
「なかでも知的材料と超自然的材料は力の弱
い文学的材料ですが、これらの材料を使用す
る場合は、勢いがさらに有力な感覚的内容や
人事的内容を配することによって全体の興味
を大ならしめることができます」
「哲学的論文や科学的解説は文学的材料とし
ては力が弱いのか」
「しかし、感覚的材料や人事的材料が文学的
材料の骨子となっている場合でも、知的材料
や超自然的材料を少しふりかけると味がよく
なります」
「味つけの調味料のように使うのか、なるほ
ど」
「各種の材料に相調和するものを加味するこ
とは、文学上欠くべからず一技術です。この
呼吸を理解せず、徒に詩興を高めようとして
同種の材料だけを強調すれば読者の反発をか
ってしまいます」


烟霞の癖
   2010/6/3 (木) 13:00 by Sakana No.20100603130013

6月02日

「泰西の人は烟霞の癖に耽ることが意外に少
ないようにみうけられます」
「烟霞の癖とは?」
「もやとかすみ──つまり、山水を愛する心
がつよいことです」
「人をけむりにまき、都合が悪くなると、雲
をかすみと逃げさる癖かと思った」
「日本人は先天的に自然を愛する傾向があり、
古(いにしえ)より詩歌は美文にして調和を
度外視することはありません」
「それは二十世紀前半までの日本人だ」
「戦争に負けて、泰西の人の癖を真似るよう
になったからでしょうか」
「総理大臣を先頭に、都合が悪くなると雲を
霞と逃げ去る輩ばかりになった」
「人事の背景には必ず自然あり。自然の前景
には必ず人事あるを常とす。しかるに、泰西
の文人はシェイクスピア『空騒ぎ』から引用
した文のように、この種の調和を必然の要求
と認めざるが如き観があります」

   "I pray thee, cease thy counsel,
Which falls into mine ears as profitless
As water in a seive; give not the counsel;
Nor let no comforter delight mine ear
But such a one whose wrongs do suit with mine.
Bring me a father that so loved his child,
Whose joy of her is overwhelm'd like mine,
And bid him speak of patience;
Measure his woe the length and breadth of mine
And let it answer every strain for strain,
And this for thus and such a grief for such,
In every lineament, branch, shape and form;
If such a one will smile and stroke his beard.
Bid sorrow wag, cry 'hem! when he should groan,
patch grief with proverbs, make misfortune drunk
With candle-wasters; bring him yet to me,
And I of him will gather patience.
But there is no such man; for, brother, men
Can counsel and speak comfort to that grief
Which they they themselves not feel; but, tasting it,
Their counsel turns to passion, which before
Would give preceptial medicine to rage,
Fetter strong madness in a silken thread,
Charm ache with air and agony with words;
No, no; 'tis all men's office to speak patience
To those that wring under the load of sorrow,
But no man's virtue not sufficiency
To be so moral when he shall endure
The like himself. Therefore give me no counsel;
My griefs cry louder than advertisement."
---Much Ado About Nothing. Act V. sc. i. ll. 3-32 

(もうご忠告は結構です。/
わたしの耳には、篩(ふるい)で水を掬うように/
無駄なことです。ご忠告はもう沢山。/
どんなに慰めてくれてもわたしの耳は喜びません、/
わたしと似た不幸を味わった人の慰めは別ですが。/
子どもを非常に可愛がっていたのに、/
その子に抱いた喜びを、わたし同様に奪われた父親を連れてきて、/
忍耐について話させてください。/
その人物の悲しみを、わたしの悲しみの長さと幅で測って、/
あらゆる点でつき合わせ、/
あれにはこれ、この辛さにはあの辛さと、/
一つ一つの輪郭や、枝葉のこと、姿や形の上で符合させてみてください。/
もしそんな人がいて笑みを浮かべ、髭を撫でて、/
悲しみをてなづけ、呻き声を立てるはずの時に「えへん」と咳払いをし、/
辛さを格言で言いくるめ、不幸せを飲んだくれ仲間といっしょに/
酔いつぶしてしまうなら、その人を連れてきてください。/
そうしたら、わたしも彼から忍耐の術(すべ)を教わりましょう。/
しかし、そんな人間はいない。いいですか、兄上、/
人は自分で感じてもいない悲しみには/
忠告したり、慰めたりできますが、いったんわが身にそれを味わうと/
忠告は錯乱に変わってしまう。/
それまでは激怒を金言で癒そうとしたり、/
狂乱を絹の糸でくくりつけようとしたり、/
苦痛を音楽で、苦悩を言葉でまるめこもうとしたのにです。/
いや、駄目です。悲しみの重荷の下で身もだえしている者に/
忍耐を説くのはみんなのすることですが、/
自分が同じ目に逢ってみれば、/
誰もそう立派にゆったりとは構えてはいられないのです。/
だから、もう、ご忠告は結構です。/
わたしの悲しみの泣き声のほうがご訓戒よりも声が大きいんです。
───『空騒ぎ』第五章第一場、三ー三二行)


謡曲文学
   2010/6/5 (土) 09:23 by Sakana No.20100605092348

6月05日

「沙翁の『空騒ぎ』からの引用文は知的要素
が過重だと漱石先生は指摘しておられます」
「レオナートはメッシーナの公爵。娘のヒア
ローが不品行なりと誤聞して憂いに沈んでい
るとき、兄のアントニオが忠告してくれたの
に対して答えたセリフだが、たしかにくどく
どと理屈を述べたてるだけで、聞いているう
ちにうんざりしてくる」
「沙翁の論理的筆法はなるほどと思わせる点
がなきにしもあらずですが、切実にわが心を
動かし、至情のわが感を惹くものはありませ
ん」
「要するに詩的でないということか」
「その点、わが国の謡曲文学は詩的です。沙
翁の『空騒ぎ』の例は知的満足を与える点に
おいて謡曲の例に優り、謡曲の例は情をもっ
て人を動かす点において沙翁に優ります」
「そうかな。たしかに、『藤戸』も『俊ェ』
のリズムは耳に心地よくひびくが、論理的な
文ではなく、意味不明の箇所が少なくない」

「海士(あま)のかる藻に住む虫の我からと、音(ね)をこそなかめ
世をば実(げ)に。何か恨みんもとよりも、因果のめぐる小車(おぐ
るま)の。やたけの人の罪科(つみとが)は。皆報いぞと云(いい)
ながら、我が子ながらも余りげに、科(とが)もためしも波の底に。
沈め給ひし御情けなさ。申すにつけて便なけれども。御前に参りて侍
(さぶら)ふなり」。
(『藤戸』──仕手が吾子を失へるを悲しむくだり)

「この程は三人一所に有りつるだに。さも怖ろしく。すさまじき。荒
磯島(あらいそじま)にただひとり。離れて海士のすて草の浪のもく
づのよるべもなくてあられんものか浅ましや。嘆くにかひも渚(なぎ
さ)の衢(ちまた)。泣くばかりなる有様かな云々」。
(『俊ェ』──独り鬼界が島に取り残されて吾(わが)悲運を口説くあたり)



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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2014 Sakana Hasebe