夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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ニューゲイト学校
   2010/4/9 (金) 09:33 by Sakana No.20100409093359

4月9日

「高尚なる滑稽雑誌『パンチ(Punch)』に掲
載された歴史的に有名な口合の例をご紹介し
ます」
「フッド『フライ夫人』?作者の名前は聞い
たことがないし、内容もどこが滑稽なのかわ
からない」
「ニューゲイト(Newgate)はご存じですか?」
「ロンドンの刑務所」
「Newgateの形容詞はNewgatoryです」
「そんなことはわかっている」
「では、同音のnugatoryという単語の意味は?」
「知らないね」
「無益、無効、無価値の、という意味です。
両者の意味がわかっていないと洒落になりま
せん」
「馬鹿馬鹿しい。そんな洒落が通じなくても
大和魂の日本人としては何も恥じることはな
い」
「詩人コールリッジはこの文章を読んで、作
者のフッドは『エリア随筆』の作者チャール
ズ・ラムにちがいないと推理しました」

"I like your chocolate, good Mistress Fry!
I like your cookery in every way;
I like your Shrove-tide service and supply;
I like to hear your sweet Pandeans play;
I lke the pity in your full-brimmed eye;
I like your carriage, and your silken grey,
Your dove-like habits, and your silent preaching;
But I don't like your Newgatory teaching!"
---Hood, To Mrs. Fry. st. xii.

(あなたのチョコレート大好き、フライの奥さん、
あなたの料理どれもこれも好き、/
懺悔節のお祈りもご馳走も好き、/
楽しい楽器の演奏を聞くのも好き、/
涙たたえた憐れみの目も好き、/
あなたの身のこなし、絹糸のような白髪も好き、/
鳩のようにくうくう言う癖、無言のお説教も好き、/
でもね、あなたのニューゲイト学校(無効学校)の教育だけはごめんだよ。
───フッド「フライ夫人」第十三節)

"Thursday night 10 o'clock---No! Charles. It is you!
I have read them over again, and I understand why you
have anoned the book. The puns are nine in ten good---
many excellent---the Newgatery, transcendent! And then
the exemplum sine exemplo of a volume of personalities
and contemporaneities without a single line that could
inflict the infinitesimal of an unpleasance on any man
in his senses---saving and except, perhaps, in the envy
addled brain of the despiser of your Lays. If not a
triumph over him, it is, at least, an Ovation. Then
moreover and besides (to speak with becoming modesty),
excepting my own self, who is there but who could write
the musical lines and stanzas that are intermixed?"
---(A Letter from Coleridge to Lamb)

(木曜夜十時──いや、君だよ、チャールズ! ぼくはもう一
度読み返し、なぜ君があの本を匿名にしたかが分かった。口合
は十中九まで上々、──卓抜なのも数々ある。──「ニューガ
トリ」なんぞは神品だ! まさに人物月旦、現代時評の「お手
本なきお手本」の一番だ。正気の人にはほんの僅かでも不快を
感じさせるような表現は、一行も含まない。──もっとも、君
の詩を軽蔑する男の、嫉妬でおかしくなったお頭(つむ)は、
どうか知らないけどね。そういった手合に対する大勝利とは行
かなくても、大喝采には値する。それに、さらに付け加えれば、
(然るべき慎しみをもって言わせてもらうと)ぼく自身を別に
して、全体に点在している音楽的な詩行や連が書けるものは、
君の他に誰がいる?)
───コールリッジからラムへの書簡

"The Odes are, four-fifths, done by Hood---a silentish
young man you met at Islington one day, an invalid. The
rest are Reynolds's, whose sister Hood has lately married.
I have not had a broken finger in them...Hood will be 
gratified, as much as I am. by your mistake."
---(A Reply Letter from Lamb to Coleridge)

(あのオードは五分の四がフッドの作品だ。──いつか、イズ
リントンで君が会った、あのむっつりおし黙った青年ね、蒲柳
の質の。残りはレイノルズの筆で、彼の妹とフッドは最近結婚
したばかりだ。ぼくは全然手を出していない。・・・君の思い
違いに、ぼくと同様、フッドも満足するだろう。)
───ラムからコールリッジへの返簡


エリア随筆
   2010/4/12 (月) 08:56 by Sakana No.20100412085607

4月12日

「チャールズ・ラム(1775-1834)はエッセイ
の名人で、『エリア随筆』はその代表作です」
「一昔前は、日本人が学ぶべき英語の模範と
され、受験英語の読解問題によく使われてい
た」
「自己の生活体験と回想をすぐれたユーモア
とペーソスで綴って他の追随を許さぬと言わ
れています」
「すぐれたユーモアの例を紹介してくれ」
「兎(hare)を提げて通りすぎる人を呼びとめ
て"Prithee, friend, is that thy own hair
or a wig?"(ちょっと失礼、それ、あなたご
自身の髪ですか、それとも鬘(かつら)?)
と聞いたというのは如何でしょう」
「くだらん。駄洒落にすぎない。これがすぐ
れたユーモアの代表例で、他の追随を許さな
いとすれば、英文学の随筆はたかが知れてい
る」
「たまたま漱石先生が『文学論』で<(チャ
ールズ・ラムは)時々この種の連想を弄ぶ事
あり>と紹介されているだけです。この例だ
けで『エリア随筆』の文学的価値を判断しな
いでください」


人格的な滑稽
   2010/4/15 (木) 12:56 by Sakana No.20100415125624

4月15日

「兎(hare)と髪(hair)の取り違えのような
言葉のあやによる滑稽のほかに人物のキャラ
クターにともなう滑稽があります」
「道化役(ピエロ)は登場しただけで観客は
笑う」
「謹厳実直な人物が洒落のつもりでなく、真
面目な顔で面白いことをいえば、滑稽感が増
します」
「写真を見ると、漱石も謹厳実直な顔をして
いる」
「彼の滑稽は彼の人格の一部分なりと断定し
得るが故に、この格段なる滑稽の小窓を通し
てその裏に潜む活躍せる大滑稽を予想し得る
が故に、一句の滑稽は単に一句の滑稽として
線香花火の如くに消滅するものにあらず。忽
然として人工を脱して天籟(てんらい)の妙
音となり、画龍水を得て一躍天に昇るに至る。
Falstaffの滑稽の如きは多少これに近し」
「なんだって、graceの語呂合わせで、尊称の
"your grace"と神恵(恩寵)という意味の
graceと食前の禱詞のgraceを使っているよう
だが、日本人には面白みがわかりにくい」
「でも、舞台で肥満体のフォルスタッフを観
れば、それだけで笑えるでしょう」

"Falstaff. And, I prithee, sweet wag. When thou art king, as,
God save thy grace,---majesty I should say, for grace thou wilt
have none,---
Prince. What! none?
Falstaff. No, by my troth, not so much as will serve to be prologue
to an egg and butter."
---I Henry IV. Act I. sc.ii.ll. 17-23

(フォールスタッフ ところで、お願いだが、相棒、お前さんが王様にな
ったら王様(グレイス)万歳──じゃなくて陛下(マジェスティ)って
やらかすべきかな。お前さん、恩寵(グレイス)なんぞ、受けられっこ
ないものな──。
王子 何だって! 受けられない?
フォールスタッフ ああ、絶対に。卵とバターの朝食前のお祈り(グレイス)
の役に立つほどにもね。
──『ヘンリー四世、第一部』第一幕第二場、一七ー二三行)


道化の台詞
   2010/4/19 (月) 08:21 by Sakana No.20100419082110

4月18日

「こんどはシェイクスピア『尺には尺を』か
ら道化の台詞をご紹介します」
「道化はおかしなしぐさや言葉で人を笑わせ
る」
「寝るのはご随意だが、どうせ寝るなら用事
を済ませてから寝れば楽だろうと言っていま
す」
「その用事は処刑台に上って首を斬られると
いう用事だ」
「sleep(睡眠)を永眠の意味にかけていま
すね」
「斬首という大事件を駄洒落にしてしまって
いる」
「この連鎖は勿論単純なる文字上の技にあら
ず、一種の知的要素とみなし得る。・・・こ
の滑稽の価値は道化その人の性格如何によっ
て大いに変化あるを見るというのが漱石先生
の評です」

"Barnaradine. {Within} A pox o' your throats ! Who makes that noise
there? What are you?
Clown. Your friends, sir; the hangman. You must be so good, sir, to
rise and be put to death.
Barnar. {Within} Away, you rogue, away ! I am sleepy.
Abhor. Tell him he must awake, and that quicly too.
Clown. Pray. Master Barnardine, awake till you are executed, and sleep
afterwards.
..............
Barnar. You rogue. I have been drinking all night; I am not fitted for't.
Clown. O, the better, sir; for he that drinks all night and is hanged
betimes in the morning, may sleep the sounder all the next day."
---Measure for Measure. Act IV. sc. iii. ll.26-59.

バーナーディン (中で)貴様の喉なんか腐っちまえ! 喧しいったらないぜ!
貴様たち、いったい誰だ?
道化 あんたの友達でさあね、首括り屋でさ。どうかおとなしく起きて、殺され
ておくんなさい。
バーナーディン (中で)行っちまえ、この馬鹿野郎、消えろ! こちとら、眠
いんだ。
アブホーソン (道化に)眼を覚ませと奴に言うんだ。それも今すぐにな。
道化 ねえ、バーナーディンの旦那、眼を覚ましていて下さいよ。殺されるまで、
眠るのはそのあとにして。
..............
バーナーディン 馬鹿野郎、俺は夜通し飲んでいたんだ。そんな気分になれるも
んか。
道化 おあつらえ向きじゃありませんか。夜通し飲んで、朝、早々と首括られりゃ、
それから一日中ぐっすり眠れると来たもんだ。
───『尺には尺を』第四幕第三場、二六ー五○行)



無学の識者
   2010/4/21 (水) 12:01 by Sakana No.20100421120132

4月21日

「シェリダンの喜劇『恋敵』に登場するマラ
プロップ夫人(Malapropは不適切という意味)
は気取って難しい言葉を使うが、それが間違
いだらけということで人気があり、いわゆる
無学の識者として有名です」
「そんな女性は日本ではまったく無名だ」
「マラプロップ夫人はreprehend(非難する)
という言葉を使っていますが、これはrepresent
の間違いです。漱石先生は<心得ている>と
訳しておられます」
「日本では偏屈な英文学者以外にはそんな駄洒
落は通じない」
「derangement(乱し方)はarrangement(並べ
方)、epitaph(墓碑銘)はepithet(形容詞)
の言い間違いだそうです」
「もういい」
「日本でも床屋政談などで、無教育なる人間が
小難しい言葉を使って高尚な議論をしようとす
るときなどにこの種の滑稽がみられます」

"There, sir, an attack upon my language! What do you think of that?
---an aspersion upon my parts of speech! was ever such a brute! Sure,
if I reprehend anything in this world it is the use of my oracular
tongue, and a nice derangement of epitaphs!"
---Sheridan, The Rivals. Act III. sc. iii.

(まあ、あなた、私の言葉づかいを攻撃なさるの! どういうお考え?
私の品詞を中傷なさるなんて! こんな野蛮人、見たことないわ! 私
がこの世で「非難する」(心得ている)ものがあるとすれば、それは
「予言者風の言葉(母国語)の使い方と墓碑銘(形容詞)の素敵な「乱し
方」(並べ方)ですわ!
──シェリダン『恋敵』第三幕第三場)




パロディ
   2010/4/24 (土) 08:54 by Sakana No.20100424085447

4月24日

「ふたたび、シェイクスピア『ヘンリー四世』
の道化役フォルスタッフに登場してもらいま
す」
「フォルスタッフが裁判にかけられている場面
だ」
「一見して同一の構造を有する二行が意味にお
いてまったく正反対になっています。つまり、
同じ材料の順序を変えただけで意外に異なった
思想の表現になっているところがお手柄です」
「フォルスタッフの当意即妙の答弁は観客に受
けるにちがいない」
「この際における連鎖は句の構造並びにその内
容の文字です。<普通の口合よりも複雑なり。
かく複雑の度を追ふてこの種の連想を拡張すれ
ば吾人はやがて一種のparodyに達するを得べし>
と漱石先生は言っておられます」
「大辞林によれば、パロディー [parody]とは
<既成の著名な作品また他人の文体・韻律など
の特色を一見してわかるように残したまま、全
く違った内容を表現して、風刺・滑稽を感じさ
せるように作り変えた文学作品。日本の本歌取
り・狂歌・替え歌などもその例。演劇・音楽・
美術にも同様のことが見られる>となっている」

"Chief Justice. Well, God send the prince a better companion!
 Falstaff. God send the companion a better prince!"
---2 Henry IV. Act I. sc.ii. ll.223-5

(裁判長 さて 神様が王子にもっとましな仲間をお与え下さいますように!
 フォルスタッフ 神様が仲間にもっとましな王子をお与え下さいますように!
───『ヘンリー四世 第二部』第一幕第二場、二二三ー二二五行)



ユーモアとウィット
   2010/4/27 (火) 10:32 by Sakana No.20100427103239

4月27日

「口合(pun)の研究はほどほどにして、頓才
(wit)にうつりたいと思います。これは機知
と言い替えることもできるでしょう」
「ユーモア(humour)に富むのはイギリス人、
ウィットに富むのはフランス人とよく言われ
る。漱石はユーモアとウィットを対比させ、
論じていないのか」
「『文学論』で対比させているのは口合(pun)
と頓才(wit)です」
「すると、ユーモア(humour)とは口合(pun)
のことかな」
「まさか、そんなことはありません。口合(pun)
というと単なる言葉あそびの駄洒落ですが、
ユーモア(humour)はもっと高級な滑稽とい
う感じがします」
「ウィットは?」
「ウィットも口合より高級な滑稽だと思いま
す」
「ユーモアもウィットもともに高級な滑稽だ
とすると、どう違うのだろう」
「どうも漱石先生の『文学論』からずれてき
ているようです。勘弁してください」



論理的知力の作用
   2010/4/30 (金) 10:33 by Sakana No.20100430103343

4月30日

「頓才は論理的知力の作用です」
「おおげさなものいいだな。科学でも哲学で
もあるまいに」
「字音の助けをからず、内容の意義により、
論理的知力の作用を待って滑稽的興味を喚起
します」
「たとえば?」
「山頂を森林と心得て登りしに、来てみれば
平凡なる麦畑なるに一驚を喫するが如し」
「来てみればさほどでもなし富士の山、か」
「頓才(wit)は知的分子が多量のため、その
興味の幾分かが殺がれるという弱点がありま
すが」
「では、頓才の文学的価値は奈辺にありや?」
「吾人はその連想の器用にして切り抜け方の
巧みなるを嘆賞す」


三段論法
   2010/5/3 (月) 07:18 by Sakana No.20100503071834

5月03日

「いわゆる三段論法(syllogism)も頓才(wit)
で笑わせる手口の一つとして使えます」
「三段論法とはなんだっけ?」
「論理的推論の型式のひとつ。大前提、小前
提および結論という3個の命題を取り扱う論理
的推論の型式のひとつです」
「たとえば?」
「大前提:すべての人間は死すべきものであ
     る。
 小前提:ソクラテスは人間である。
  結論: ゆえにソクラテスは死すべきもの
     である」
「面白くもなんともない」
「では、これはどうですか。
 大前提:吾人は愛するものの幸福を欲す」
 小前提:魂魄(こんぱく)天に行くものは
     幸福なり」
  結論:故に余は愛する汝の魂を天に行か
     しめんとす」
「どこが面白いのだ?」
「天に行くものは死せざるべからず。故に
余汝を殺さざるをべからず──という殺人を
正当化する論理(理屈)になるからです」

 "I do love thee so,
That I will shortly send thy soul to heaven."
---Richard III. Act. sc. i ll. 118-9

(そなたを強く愛しているので、/
すぐにでもそなたの魂を天国に送ってやろう。
───『リチャード三世』第一幕第一場、一一八ー一一九行


成程趣味
   2010/5/6 (木) 07:00 by Sakana No.20100506070005

5月06日

「成程趣味とは何のこっちゃ?」
「知力に訴えて成程と思うとき始めて面白味
を生じる趣味です」
「?」
「たとえば、何かを<忘れた(forgot)>とい
う場合、その前提として、その何かを覚えて
(remember)いなければなりません」
「理屈ではそうなる」
「そもそも覚えていない(not remember)こと
は忘れることができない(not forgot)のです」
「成程」

"North. Have you forgot the Duke of Hereford, boy ?
 Percy. No, my good lord, for that is not forgot
  Which ne'er I did remember; to my knowledge.
  I never in my life look on him."
---Richard II. Act II. sc. iii. ll. 36-9

(ノーサンバランド ハーフォード公爵を忘れたのか?
 パーシー いいえ、忘れはいたしません。始めから覚えていないものは/
            忘れることはできません。私の知るかぎり、/
      私はあの方をお見かけしたことはありません。
──『リチャード二世』第二幕第三場、三六ー三九行)


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2014 Sakana Hasebe