夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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古典故事による連想
   2010/3/10 (水) 08:27 by Sakana No.20100310082704

3月10日

「自己に隔離せる連想語法では作者が学問教
養をひけらかす場合が多々あるようです」
「いわゆる、ペダンチック、衒学的という奴
だな」
「文学的論評の下ではほとんど価値がありま
せん」
「『マクベス』から引用しているが、文豪シ
ェイクスピアの文といえども価値がないのか」
「ゴルゴタ(Golgotha)といえば、西洋人が金
科玉条とみなす聖書中の故事です。しかし、
誰でも我ゴルゴタから<屍の山>を連想する
とはかぎりません」
「非キリスト教徒の日本人の読者にはピンと
こないかもしれないな」
「世間にはこれらの連想語法の続出する文字
を見て流石は文学者なり、才筆なりと称する
向きもありますが、それは鰻屋の店先に米俵
を積み重ねてあるのを見て流石に名代の鰻屋
なりと嘆賞するようなものだそうです」
「舶来のハイカラ文学者を鰻屋の米俵にたと
えるとは流石漱石だ」

"Except they meant to bathe in reeking wounds,
Or memorize another Golgotha,
I cannot tell."
---Macbeth. Act I. sc. ii. ll. 39-41,

血まみれの傷の膿みで浴(ゆあ)みするつもりか、/
あるいはまた第二のゴルゴタを築くつもりかという以外は/
何も申せません。
───『マクベス』第一幕第二場、三九ー四一行


頭大尾小
   2010/3/13 (土) 08:41 by Sakana No.20100313084100

3月13日

「文学的な価値を有し、適当な形容であって
も、複雑すぎて力の弱い連想になってしまう
場合もあります」
「策士策に溺れるという場合か」
「人のすれ違う様を忍冬の花云々の感覚的材
料で説明したアーノルドの文章は適切な連想
であり、材料も詩味に富んでいます」
「上乗の成功というべきではないか」
「ところが、説明すべき材料が説明されるべ
き材料ものに比べて長すぎるという欠点があ
ります」
「たしかに、人がすれ違うということだけを
説明するのに五行の描写は長すぎるような気
もするが、西洋人の手口としては不自然では
ないのだろう」
「漱石先生は日本人ですから、頭大尾小、い
ささか落ちつかぬと判定されましたが、西洋
の詩家はかかる不都合の感を抱かないとみえ
て、この種の語法が散見されるという指摘を
しておられます」
「東洋と西洋の文学を比較する上で興味深い
論点の一つになりそうだ」

"And as a spray of honeysuckle flowers
Brushes across a tired traveller's face
Who shuffles through the deep dew-moistened dust,
On a May evening, in the darkened lanes.
And starts him, that he thinks a ghost went by ---
So Hoder brushed by Hermod's side."
---Matthew Arnold, Balder Dead. I. ll. 230-5

「五月の夕暮、薄暗い小道で/
じっとりと露にぬれた上に足をひきずっていく/
疲れた旅人の顔を/
忍冬(にんどう)の小枝が撫でて、/
幽霊が通り過ぎたのかと驚かすように、/
そのようにホーダーがハーモッドをかすめて通った。
───アーノルド「死せるボールダー」第一巻、二三○ー二三五行)



ホメロス的直喩
   2010/3/16 (火) 07:57 by Sakana No.20100316075732

3月16日

「ホメロスの叙事詩に見られるような数行に
もわたる長い直喩──これをホメロス的直喩
(Homeric simile)といいます」
「すると、この手の技法は古代ギリシアの時
代からの伝統だな」
「ええ、ですから、若い頃からギリシア、ロ
ーマの古典(Classics)に親しんでいれば、抵
抗を感じないはずです」
「漢籍にはこのようなホメロス的直喩の例が
ないので、漱石はとまどったのだろう」
「漱石先生は漢籍に通じておられました。困
るのは漢籍にもキリシア、ローマの古典にも
通じていない書生です」

As when on the echoing beach the sea-wave lifteth up itself
in close array before the driving of the west wind; but on
the deep doth it first raise its head, and then breaketh upon
the land and belloweth aloud and goeth with arching erest about
the promontories, and spewth the foaming brine afar; even so
in close array moved the battalions of the Danaans without
pause to battle."
---A. Lang, W. Leaf & E. Myers. The Illiad of Homer. p77.

(海鳴りの轟く海岸で、波が西風に吹きたてられて小刻みに押し寄せ
てくるとき、まずはるか沖合いで頭をもたげ、ついで岸に砕けて咆哮
し、弓なりの波頭を挙げて岬をめぐり、泡立つ塩水を遠くに吐き出す
ように、ちょうどそのように、ダナーン(ギリシア)の軍勢は密集して、
留まることなく戦闘に向かった。
───A.ラング、W.リーフ、E. マイアーズ訳「ホメロスのイーリアス」七七頁)


比喩のための比喩
   2010/3/19 (金) 15:08 by Sakana No.20100319150801

3月19日

「比喩で頭でっかちになった文例をご紹介し
ます」
「なるほど、最初の文例は比喩が八行、次の
文例は比喩が十八行──その後でやっと本文
がはじまっている」
「これだけ長いと、比喩のための比喩といっ
てもいいでしょう」
「馬鹿馬鹿しい」
「でも、西洋には比喩の好きな読者が多いの
ではないでしょうか」
「漱石も好きそうだな」
「漱石先生は本文に不用の材料を比喩中に濫
用するのを戒めておられます」
「自分が好きなものだから、自らを戒めたの
だろう」

"But, as when cowherds in October drive
their kine across a snowy mountain pass
To winter pasture on the southern side,
And on the ridge a waggon chokes the way,
Wedged in the snow; then painfully the hinds
With goad and shouting urge their cattle past,
Plunging through deep untrodden banks of snow
To right and left, and warm steam fills the air---
So on the bridge the damsel block'd the way,
And question'd Hermod as he came and said."
---BalderDead. II. ll. 91-100.

(しかし、牛飼たちが十月に/
雪の山路を越えて仔牛たちを/
南側の冬の牧場へと連れて行くとき、/
雪に足を取られた荷車が尾根の道をふさいでおり/
牧童たちは苦労して/
突き棒で突いたり、叫び声をあげたりして、牛を追い立て、/
人の通わぬ雪の山に深く入り、/
右に左にと突っ切っていく、そのため温かい湯気があたりを充たすようになる──/
そんな具合に橋の上でその少女は道を遮り、/
やってくるハーモッドに訊ねて言った。
───『死せるボールダー』第二巻、九一ー一○○行)

"As when some hunter in the spring hath found
A breeding eagle sitting on her nest.
Upon the craggy isle of a hill-lake,
And pierced her with an arrow as she rose,
And follow'd her to find her where she fell
Far off;---anon her mate comes winging back
From hunting, and a great way off descries
His huddling young left sole; at that, he checks
His pinion, and with short uneasy sweeps
Circles above his eyry, with loud screams
Chiding his mate back to her nest; but she
Lies dying, with the arrow in her side,
In some far stony gorge out of his ken,
A heap of fluttering feathers; never more
Shall the lake glass her, flying over it;
Never the black and dripping precipices
Echo her stormy scream as she sails by;---
As that poor bird flies home, nor knows his loss.---
So Rostum knew not his own loss, but stood
Over his dying son, and knew him not."
---ll. 556-75.

(春、猟師が/
山の湖の岩肌の島で/
巣について雛を育てる雌鷲を見つけ、/
舞い上がるところをひと矢で射抜き、/
あとを追って、はるか彼方の落ちた場所を見つけようとする。/
──ほどなく夫の鷲が/
餌探しから舞い戻ってきて、遠く離れたところから/
雛たちだけがとり残されて寄り集まっているのを見る。/
そこで雄鷲は翼を引き締め、/
不安げに小刻みに飛びながら/
巣の上を旋回し、高い声で/
妻に巣に帰るよう呼び掛ける。/
だが雌鷲は、脇腹に矢を受けて、瀕死の姿で/
雄鷲には見えぬ遠くの岩間に横たわり、/
羽毛をふるわすだけの塊になっている。もはや湖は/
上を飛び行く雌鷲の姿を映すこともなく、/
また水のしたたる黒々とした断崖も/
空を滑り行く雌鷲の鋭い叫びをこだますることはないだろう。──/
あの哀れな雄鷲が巣に帰りつつ、自分の喪失について知らないように、──/
ちょうどそのように、ラスタムは自分の喪失を知らず、/
死にゆく息子のかたわらに立って、それがわが子とは知らなかった。/
──五五六ー五七五行)


薄荷を舌頭に点ずるが如し
   2010/3/22 (月) 08:09 by Sakana No.20100322080924

3月22日

「長すぎる比喩は日本人の読者向きではあり
ません」
「感情が高潮に達したとき、急に岐路に入り、
悠々たる大比喩に優遊するが如き大国民の襟
度(きんど)は日本人の読者からは期待でき
ないのか」
「経済大国としてジャパン・アズ・ナンバー
ワンとおだてられた時期もありましたが、文
学的大国民とはとてもいえません」
「日本の伝統文学は捨てたものでもないよ」
「故里を出でし鶴の子の松に帰らぬ淋しさよ」
「いいね」
「謡曲『接待』で、佐藤継信の母が吾子の死
を嘆く場面、こういう比喩が日本人の心の琴
線にふれます」
「英文学にだって、一滴の薄荷を舌頭に点ず
るが如き比喩はあるだろう」
「漱石先生はフォルスタッフが居酒屋で喧嘩
する折の台詞を紹介しておられます」

"A rascal bragging slave! the rogue fled from me
like quicksiver."
---2 Henry lV. sc.iv. ll. 247-8.

(口ばかり達者な卑怯者め! 俺から、水銀のように
すばしこく逃げていきゃがった。
───『ヘンリー四世、第二部』第二幕第四場、二四七ー二四八行)


滑稽的連想
   2010/3/26 (金) 08:35 by Sakana No.20100326083510

3月25日

「第四章 滑稽的連想、にすすみます」
「漱石は『吾輩は猫である』の手口をここで
研究したにちがいない」
「二個の材料を連結して両者の間に予期し得
べき共通性を道破した時に文学的価値が生じ
るのではありません。意外の共通性により突
飛なる総合を生じたる時はじめてその特性を
発揚します」
「吾輩と猫は意外な共通性、突飛なる総合の
例といえるかな」
「萩と月、はどうでしょう」
「月とスッポン」
「滑稽的連想には思いもよらぬ両者を首尾よ
くつなぎ合わせる手際がもとめられます」
「深遠にしてかつ永久なる類似を首尾よくつ
なぎ合わせるのは難しい」
「皮相浅薄な類似でいいのです」
「それでは単なる駄洒落になりやすい」


発音の類似性
   2010/3/28 (日) 13:27 by Sakana No.20100328132719

3月28日

「シェクスピア『リチャード二世』にはゴー
ント(Gaunt)という人物が登場しますが、英語
でgauntというと形容詞で<痩せ衰えた><憔
悴した>という意味です」
「ゴーントがゴーント(憔悴)しているとい
えば、苦沙彌先生がクシャミをしたというよう
な言葉あそびだ」
「まさか、文豪シェクスピアがそんな単純な言
葉あそびを弄するとは」
「たしか『リチャード二世』は悲劇のはず」
「1597年に出版された「四折版」では「悲劇」
(『The tragedie of King Richard the second
(王リチャード二世の悲劇)』)なっています」
「悲劇でも言葉あそびをする余裕があるのは
流石沙翁というべきか」
「引用の句はJohn of Gauntが臨終の語なれば
沙翁は決してこれを滑稽的に使用せるにあらず。
これを滑稽に解説せるは余の意見に過ぎず。余
がこの句を以て滑稽的臭味を帯びたりといふは
真面目の句として失敗せるといふにひとしと、
漱石先生は言っておられます」
「日本人の分際でシェクスピア批判をするとは
生意気な」
「ついでに、『トロイラスとクレシダ』からの
引用もありますが、こちらは投入語法の例です。
比較してみてください」

"Gaunt am I for the grave, gaunt as a grave,
Whose hollow womb inherits nought but hones."
---Richard ll. Act II. sc. i. ll. 82-3.

(私は墓穴に片足入れたゴーントでして、/
なかはからっぽで骨しか残らぬ墓穴のように憔悴(ゴーント)しています。
───『リチャード二世』第二幕第一場、八二ー八三行)

"I was about to tell thee---when, my heart,
As wedged with a sigh, would rive in twain,
Lest Hector or my father should perceive me,
I have, as when the sun doth light a storm,
Buried this sigh in wrinkle of a smile;
But sorrow that is couch'd in seeming gladness,
Is like that mirth fate turns to sudden sadness."
---Troius and Cressida. Act I. sc. i. ll. 34-40

(わたしはお前にこんなことを言おうと思ったんだ。わたしの心臓は、/
溜息の楔を打ち込まれて、二つに裂けてしまいそうだった。/
だがヘクターや親父に気づかれては困ると思って、/
太陽が嵐に光を注ぐように、/
わたしはこの溜息を笑顔の皺のなかに埋めてしまった。/
しかしうわべだけ嬉しそうな顔に隠された悲しみは/
運命がいつ悲しみに変えるかもしれない喜びのようなものだ。
───シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』第一幕第一場、三四ー四○行)


口合と頓才
   2010/3/31 (水) 09:10 by Sakana No.20100331091032

3月31日

「漱石先生は滑稽的連想を口合と頓才にわけ
て説明しておられます」
「口合(くちあい)も頓才(とんさい)も最
近はほとんど使用されず、今や死語に近い」
「英語でいえば、口合はpun、頓才はwitです」
「punとwitなら今でも通用することばだが、
日本語の口合と頓才は通用しない」
「パン、ウィットのようにカタカナ外来語と
して使うしかないですね」
「ところが、パンに相当する英語はbreadだと、
日本人は教えられている。punを連想しにくく
なっているのが困る」
「関西では洒落のことを口合といい、江戸で
は地口といったともいわれています」
「漱石坊ちゃんは江戸っ子のはずだが、地口
ということばを使わず、口合を使ったのは何
故だろう」


口合の驍将
   2010/4/3 (土) 08:29 by Sakana No.20100403082951

4月3日

「沙翁は口合の驍将なり、だそうです」
「驍将(ギョウショウ)とは古風な表現だが、
要するに、シェイクスピアはオヤジギャグを
連発する駄洒落の名人ということになる」
「この種の連想は文学的価値がないと断定す
る評論家がいますが、その考えによればシェ
イクスピアが文豪かどうかもあやしくなりま
す」
「ゴーントがゴーント(憔悴)するなどとい
う台詞の連発では無理もない」
「しかし、流石漱石先生はそこのところを理
路整然と論じて、口合を擁護しておられます」
「拝聴しよう」
「凡そあらゆる連想は一方に甲があり、他方
に乙があって、中間に丙という連鎖があるの
です」
「それで?」
「駄洒落を下劣だという評論家はその非難を
丙に向けます。つまり、共通性をあらわす要
素が皮想的にして児戯に似たものだと批判し
ます」
「単なる言葉あそびでは、文学的価値の点で
物足りない」
「ところが、漱石先生によれば、滑稽的連想
において重要なのは中間の丙ではなく、両端
に横たわる甲と乙に存す、のだそうです」
「ふーん、よくわからんが、その解説を拝聴
するのは次回にしよう」


飛び離れた連想
   2010/4/7 (水) 08:57 by Sakana No.20100407085743

4月6日

「凡そあらゆる連想は一方に甲があり、他方
に乙があって、中間に丙という連鎖がありま
すが、口合における滑稽的連想で重要なのは
中間の丙ではなく、両端に横たわる甲と乙に
存します」
「投出語法、投入語法、それに自己と隔離せ
る連想でもっとも重要なのは説明材料甲や被
説明材料乙よりも両者の一路に合してぴたり
と動かざる点、即ち丙のはずだが」
「そうですね。うまく説明ができたかできな
いかが問題です」
「換言すれば、共通性を示す丙という要素が
堅固にして、よく落ち着いていればよい」
「それに対して、滑稽的連想は甲を説明する
ために乙を使用するのではありません。むし
ろ、甲と乙の性質如何によってその価値を定
めるものです」
「というと?」
「甲と乙がほとんど思議しがたきほど飛び離
れたところに妙味があります。この二者をつ
なぐ丙の性質の如何はさほど重要ではありま
せん」
「したがって、丙の性質がすこぶる薄弱な口
合は単に丙が薄弱だという理由だけで軽んず
べきではないというのが漱石の屁理屈か」
「いいえ、屁理屈ではありません」



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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2014 Sakana Hasebe