夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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感覚的F
   2009/3/15 (日) 09:20 by Sakana No.20090315092024

3月15日

「感覚的Fは4種の文学的内容のうちでもっ
とも強大のfを起こし得るものです」
「つまり、最も文学的内容として適当なのは
感覚がF(焦点的意識、印象または観念)の
場合ということかな」
「ミルトンは詩を以て、単純にして感覚的、
しかも情熱に富むべしと論じました」
「高浜虚子は客観写生をとなえた」
「イギリス文学では俳句は考えなくてもよい
でしょう。たとえば、バーンズの詩は詩句か
ら焼くが如き鋭さを感じます」
「感じたのは漱石だろう。バーンズの詩を読
めないきみは何も感じていないはずだ」
「一方、ワーズワースはこの自然界に一種の
抽象的霊体を捕らえようとします。如何にそ
の言語の情的なるにもせよ、その感興すこぶ
る鈍なる免れざるをべし」
「漱石は同じようなことを、『英国詩人の


人事的F
   2009/3/18 (水) 08:51 by Sakana No.20090318085124

3月18日

「人事的Fも感覚的Fとならんで強大なf
(情緒的要素)を引き起こす文学的内容です」
「人間ドラマは演劇的内容ともいえる」
「文学的内容には人間ドラマだけでなく、人
事上の議論もあります」
「たとえば?」
「スタンダール『恋愛論』のような議論です」
「ザルツブルグの小枝か」
「ええ、ザルツブルグの塩坑に小枝を投げ入れ
て2,3ヶ月後に取り出してみると、輝かしい結
晶作用でおおわれているように、相手を好きだ
という気持ちが心の中で濃度を増してくること
によって、その気持ちが結晶化するのだという
説です」
「面白い比喩だが、『赤と黒』や『パルムの僧
院』で男女のかわす一瞥の一刹那を叙した場面
のほうが面白い」
「つまり、人事的Fは抽象的な議論よりも具体
的な描写のほうが私たちの心に強い情緒fをよ
びおこしてくれます」


超自然的F
   2009/3/21 (土) 10:16 by Sakana No.20090321101609

3月21日

「超自然的Fの標本は宗教的Fです」
「耶蘇教の神に対する情緒の文学的結晶の例
としてはテニソンの詩『イン・メモリアム』
があることは承知しているが、耶蘇教を信じ
ていない者には馬の耳に念仏だ」
「感覚的Fや人事的Fに比べれば超自然的F
は抽象度が高くなります」
「日本のような無信心者の多い国では耶蘇教
の神に対する情緒に訴えることは難しい」
「映画『十戒』などを観ると、私でも神に対
する情緒が湧いてきます」
「超自然的Fの喚起力に関しては文学は映画
に及ばないということかな」
「日本は一応、仏教国ということになってい
ますね。仏に対する情緒が文学的に結晶した
例はないのでしょうか」
「さあ、どうかな。倉田百三『出家とその弟
子』、吉川英治『親鸞』、司馬遼太郎『空海
の風景』などは読んだことがある。いずれも
仏というより人間に対する興味を呼びさませ
てくれる小説だが、仏に対する情緒が文学的
に結晶した例とはいえない」
「幸田露伴『五重塔』や井上靖『天平の甍』
は如何でしょうか」
「ちょっと違うんじゃないの」


知識的F
   2009/3/24 (火) 08:01 by Sakana No.20090324080107

3月24日

「知識的Fは人生問題に関する観念を標本と
するものです」
「人生問題に関する観念とはどのようなもの
か」
「カントの論文の如く、ヘーゲルの哲学講義
の如く、あるいはユークリッドの幾何学の如
きものです」
「文学的内容として採用される場合、そんな
小難しい理屈では読者の感興や情緒fに訴え
るはずがない」
「混沌のうちより規律を立て、荒漠のうちよ
り物体を取り来り、境なきものに境を画し、
形なきものに形を与え、事物に観念を冠する
点においてわれわれの情緒を動かすことなき
にあらずとプラトンは言っているそうです」
「プラトンが何と言おうと、そんなものは内
容それ自体は情緒とまったく没交渉のものだ」
「まあ、そういわないで。真に具体的なもの
は抽象的なものに媒介されたものでなければ
なりません」


キューピッド
   2009/3/27 (金) 08:44 by Sakana No.20090327084455

3月27日

「知識的Fが抽象的になっている例としてポ
ープの詩でサッポーがファオンに海を超えて
帰り来れと歌う末段をご紹介します」
「それほど抽象的な表現とも思えない」
「<キューピッドは君のために帆を孕ませて
くれるだろう>が抽象的表現です」
「そうかな」
「これはオヴィディウス(Ovid)の作品をも
とにしていますが、原作によりかかりすぎて
いるため、具体的な印象が読者に伝わりませ
ん」
「キューピッドがローマ神話の愛の神だとい
うことくらいは誰だって知っている。知識的
Fというほどおおげさな問題ではない」
「オヴィディウスの原文ではキューピッドが
水先案内人として船をあやつり、そのやわら
かい手で帆をはる様子が読者に明瞭なる印象
を伝わるにように描写されています」
「きみはオヴィディウスの原文をラテン語で
読んだのか」
「いいえ。ボウルズ(Bowles)の評を紹介して
いる漱石先生の受け売りです」
「漱石は読んでいるのだろうか」
「評家(Bowles)の説、妥当なりと云ふの外な
しと言っておられます。当然、読んでおられる
でしょう」

"O launch thy bark, secure of prosp'rous gales;
Cupid for thee shall spread thee swelling sails."
---Sappho to Phaeon, II. 252-3
「さあ、船出したまえ、
順風を頼みとして、/
キューピッドは君のために帆を孕ませてくれるだろう」。
(ポープ「サッポーからファオンへ」二五二ー二五三行)


義務へ寄せるオード
   2009/3/30 (月) 19:32 by Sakana No.20090330193251

3月30日

「もう一例、知識的Fが抽象的になっている
例としてワーズワスの詩『義務へ寄せるオー
ド』を読んでみましょう」
「いい詩だね」
「どこがいいのですか。<如何にその乾燥無
味なるかを見よ。(西洋人は知らず余はたゞ
かくのごとく感ずるなり)>と、漱石先生は
言っておられます」
「見解の相違だ」
「全体的において抽象的文字が多すぎます。
また絵画の分子がなく、色彩を欠いています」

"Stern Daughter of the Voice of God!
 O Duty! If that name thou love
Who art a light to guide, a rod
To check the erring, and reprove;
Thou, who art victory and law
When empty terrors overawe;
From vain temptations dost set free,
And calm'st the weary strife of frail humanity!"
---Wordsworth, Ode to Duty, II, I-8

義務へ寄せるオード

「神の声より生まれた厳しい娘、/
おお、義務よ! 導きの光であり、過つものをおし止め、/
叱責する鞭であるお前が/
もしこの名を好むなら、/
虚しい誘惑から解き放ち、/
弱い人間の疲れやすい闘いを和らげてくれよう、/
お前は、虚しい恐怖が居丈高に君臨しているのに、/
勝利であり、法則なのだから」。
 (ワーズワス『義務へ寄せるオード』一ー八行)


哲学と詩との融合
   2009/4/2 (木) 09:17 by Sakana No.20090402091752

4月2日

「ワーズワスの自伝的長詩『逍遙』は哲学と
詩との融合が実現した傑作と激賞されており
ます」
「そもそも哲学と詩とは融合しうるだろうか」
「それが評価の分かれ目です」
「漱石の評価は?」
「詩の本質より隔離したる、高尚なる抽象文
字の集合たるに過ぎず。失敗の作と云ふの外
なしというマシュー・アーノルドの説は何人
も、これを無理とは思ふまじ、と言っておら
れます」
「詩のわからないアーノルドとかいう評論家
の尻馬にのった偏見だ」
「そうでしょうか」
「漱石には哲学詩がわからない。漢詩や俳諧
の文人趣味にもたれかかりすぎている」

"──immutably survive,
For our support, the measures and the forms,
Which an abstract intelligence supplies;
Whose kingdom is, where time and space are not."
------Wordsworth, The Excursion. Bk. IV. II. 73-6

「私たちを支えるために、/
尺度と法則が変わることなく生きつづけ、/
それを抽象的な知性が補い与える。/
その王国は時空を超えたところにある」。
  (ワーズワス『逍遙』第四巻七三ー七六行)


義務
   2009/4/5 (日) 09:13 by Sakana No.20090405091330

4月5日

「漱石先生はワーズワスの詩『義務へ寄せる
オード』を乾燥無味だが、次の個所だけは詩
的だと認めておられます」
「花が笑い、その薫りが足もとに漂う。爽や
かな空には星がまたたいている──いいね」
「でも、この個所はこの詩の他の個所に比べ
て比較的具体的というだけだそうです」
「やはり抽象的だというのか」
「そうです」
「それはこの詩が<義務>という抽象的観念
を主人公にしたものだからやむをえない」
「お前というのは<義務>のことですね」
「そもそも日本人には<義務>を詩の主人公
とするような発想がない。漱石はその発想を
ワーズワスから学ぶべきだった」

"Flowers laugh before thee on their beds,
And fragrance in thy footing treads;
Thou dost preserve the stars from wrong;
And the most ancient heavens, through Thee, are fresh and strong."
---Wordsworth, Ode to Duty, II, 45-8

「花々はお前のまえで花壇に笑い、/
薫りはお前が踏む足許に添う。/
お前は星たちが迷わぬように守ってやり、/
もっとも年老いた天でさえ、
お前のお蔭で爽やかで強い」。
(ワーズワス『義務へ寄せるオード』四五ー四八行)


抽象的な散文
   2009/4/8 (水) 12:27 by Sakana No.20090408122700

4月8日

「詩について述べたことは散文にもあてはま
ります」
「あたりまえのことをいうな」
「そこで、抽象的な散文の例としてメレディ
ス『オーモント卿と彼のアーミンタ』から引
用しておきましょう」
「堂々たる文章だ」
「詩がありません。人生の重大事件に触るゝ
ことなき時は其興味著しく減退すること、あ
たかも微風が水面を払ふて瞬間の漣*(れん
い)を生じずるが如く、只だ僅に読者の微笑
を買ふに過ぎざるべしと、漱石先生は言って
おります」
「漣(れんい)とは何だ」
「(い)という漢字が難しくて変換できませ
んが、要するに<さざ波>のことです」
「そんな難しい漢字を使用したところで、読
者の微笑を買ふに過ぎざるべし」

"This was the shadowy sentiment that made
the wall of division between them. There
was no other. Lord Ormont had struck to
fragments that barrier of the conventional
oath and ceremonial union. He was unjust
---he was Injustice. The weak may be wedded,
they cannot be married, to Injustice. And 
we have the world for the buttress of Injustice,
then is Nature the flaring rebel; there is
no fixed order possible. Laws are necessary
instruments of the majority; but when they
grind the same human being to dust for their
maintenace, their enthronement is the rule
of the savage's old deity, sniffing blood
sacrifice. There cannot be a based society 
upon such conditions. An immolation of the
naturally-constituted individual arrests the
general expansion to which we step, decivillizes
more, and is more impious to the God in man, 
than temporary revelries of a licence that 
Nature soon checks."
---Meredith, Lord Ormont and his Aminta, chap. xxiv

「これは彼らの間を隔てる塀をつくる翳りの
ある感情だった。ほかには何もない。オーモ
ント卿は因習的な誓いや儀式的な繋がりの障
壁を粉砕してしまった。彼は正しくなかった、
──不正そのものだった。弱者は不正と結婚
の儀式をあげることはできても、本当に結ば
れることはない。もしわれわれが不正を護る
障壁として世間を用いたなら、自然は反抗の
炎に燃え上がるだろうし、きちんとした秩序
など不可能になってしまう。法は多数のため
に必要な道具かもしれない。しかし、法を維
持するために健全なる人間を粉々に磨り潰す
ようなことがあれば、法を王座に即ける儀式
は、未開人の古代の神の支配になり、血の生
贄の匂いがする。こうした条件に基盤をおい
た社会など存在しない。本来の資質にめぐま
れた人間を犠牲に供することは、われわれが
進みつつある全面的な発展を阻み、非文明化
を推進し、人間の内部にある神を汚すもので
あり、それに比べれば、自然がすでに歯止め
を掛けてくれる一時の放埒狼藉などまだまし
というものである」。
(メレディス『オーモント卿と彼のアーミンタ』第二十四章)


ラスキンの美学
   2009/4/11 (土) 09:59 by Sakana No.20090411095924

4月11日

「ここで美術評論家ジョン・ラスキン(1819-1900)
の説が紹介されています。超自然的Fで、抽
象的でありながら読者の情緒的要素fを喚起
する説のようです」
「きみのfは喚起されたのか」
「あまりにも高邁な説で私にはついていけま
せん」
「漱石はどうだ」
「ラスキンが美の本源を神の属性に置けるも
必竟其fの強きが為ならずんばあらずと言っ
ておられますから、ラスキン説には関心を抱
かれたようです」
「八百万の神ではなく、一神教の神を信仰し
ない者にはラスキンの説は理解しにくいと思
うが」

1)無限の美は神の不可解性より流れ出る
2)統一の美は神の可解性より流れ出る
3)静止の美は神の不変性より流れ出る
4)均斉の美は神の正義普遍性より流れ出る
5)純の美は神の精力性より流れ出る
6)適度の美は法により統(す)ぶる神の性
より流れ出る


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2014 Sakana Hasebe