夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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抽象的観念Fで相応のfを喚起するもの
   2009/2/13 (金) 08:46 by Sakana No.20090213084612

2月13日

「一般的にいって抽象的な観念がFだとそれ
に伴う情緒的要素のfが微弱になりますが、例
外的に相応の情緒的要素fを伴う場合があり
ます」
「たとえば?」
「一つには超自然的事物、特に耶蘇教の神に
対するする情緒。もう一つは数百もしくは数
千の単独なる場合を概括してこれに対する情
緒を起こすときで、私たちの心琴にふれて情
緒が喚起されます」
「耶蘇教の神に対する情緒はよくわからない」
「アウグスチヌス『懺悔録』、ダンテ『神曲』、
ミルトン『失楽園』、バンヤン『天路歴程』
等々、この種の情緒が泰西文学に至大の影響
を有することは今さらいうまでもありません」
「そうかな。遠藤周作『沈黙』の情緒ならわ
かるが」
「それは閑さや岩にしみ入る蝉の声に通じる
異端の島国の情緒です」


超自然的事物
   2009/2/16 (月) 11:48 by Sakana No.20090216114838

2月16日

「超自然的事物のうち、耶蘇教の神に対する情緒
の文学的結晶の例としてテニソンの詩をご紹介し
ておきます」
「耶蘇教の信者でないきみのような読者がこんな
詩を読んでも情緒的要素のfは微弱にちがいない」
「そんなことはありません。私は知的好奇心にみ
ちあふれており、すぐれた詩を読むとえもいわれ
ぬfが湧いてくるのを感じますから」
「耶蘇教のほかにも超自然的事物への抽象的観念
Fから強い情緒的fが生じることはないのか」
「世霊があります」
「世霊? いったい何だ、それは?」
「形而上学者がいわゆる世霊(Mundane Spirit)
と名づくるもの、あるいは、宇宙則神論者が形而
下の物体に漠然たる霊を想像し、またはその存在
を信じ、この無声無臭の物に向って、これをFと
して、一種のfを生じることがあると、漱石先生
は仰っておられます」
「では、その例も紹介してくれ」
「漱石先生の『文学論』にはワーズワースの詩の
引用がありますが、煩わしいのでここでは省略し
ます。興味があればそちらを読んでください」

"Strong Son of God, immortal Love,
   Whom we, that have not seen thy face,
   By faith, and faith alone, embrace,
 Believing where we cannot prove;"
----------------------------------------
"Forgive these wild and wandering cries,
   Confusions of a wasted youth;
   Forgive them where fail in truth,
And in thy wisdom make me wise."
---Tennyson, In Memoriam

「神の強い愛(め)ぐし児、永遠の愛よ、/
あなたのお顔を見たことのない私たちは、
信仰によって、それのみによって、あなたを胸に抱きます、/
証しすることができないままに信じながら」。
──テニソン『イン・メモリアム』序、一ー四行
-----------------------------------------
「これらもの狂おしい、行方さだめぬ叫びをお赦しください、/
疲れはてた若者の混乱を。/
その叫びが真実を欠くとも、それをお赦しになり、/
あなたの智恵によって私を賢くしてください」。
──同、四一ー四四行


概括的真理
   2009/2/19 (木) 07:47 by Sakana No.20090219074736

2月19日

「抽象的観念がF(焦点的観念または印象)
でも相応のf(情緒的要素)を喚起する例外
的なケースとしては、超自然的事物に対する
Fのほかに、概括的真理に対するFがありま
す」
「概括的真理とはどのようなものか?」
「ことわざとか、賢哲の格言とかです。小説
や戯曲に著者自身の言として、あるいは作中
人物の言としてあらわれくる場合もあります。
そして、直接に人生の利害に深い関係を有す
る経験をわずか一句にまとめたもの、あるい
は賢人がその生涯の抱負を適切なる数語に結
晶せしめ得たるものです」
「論語読みの論語知らず。英文学者の英文学
知らず」
「ミルトン『失楽園』からも引用しておきま
すしょう」

"Not love thy life, nor hate; but what thou liv'st
Live well; how long or short permit to Heaven."
---Paradise Lost, Bk. XI.ll.553-4

「汝の生を愛するでもなく、憎むでもなく、生きること/
ただそのことをひたすら生きよ、その長短は天に任せて」。
──ミルトン『失楽園』第十一巻、五五三ー五五四行

"The mind is its own place, and in itself
Can make a Heaven of Hell, a Hell of Heaven."
---Ibid, Bk. XI.ll 254-5

「心はそれ自らの棲家で、それ自身のなかで/
地獄から天国をつくり、天国から地獄をつくる」。
──同、第一巻、二五四ー二五五行


一般共通の真理に対する情緒
   2009/2/22 (日) 09:55 by Sakana No.20090222095558

2月22日

「数百もしくは数千の単独なる場合を概括し
てこれに対する情緒とは、ことばを変えてい
えば、一般共通の真理に対する情緒です」
「一般共通の真理の特徴にはどのようなもの
があるか?」
「漱石先生は次の5点をあげておられます。
 (1)単純であること。
 (2)常に常人の意識下に潜んでいること。
 (3)科学者が科学的研究の結果、算出し
  た普通一般の知識と縁遠いものではない。
 (4)主として人事に関するもの。
 (5)日常処世の際に切実に応用できるも
  の。
「その5点のすべてをみたすのは容易なこと
ではない」
「ことわざや、賢哲の格言のほかに、法話、
語録、支那文学の一般、及び説教等には一般
共通の真理に対する情緒fを引き起こす焦点
的観念または印象F<最も多かるべし>だそ
うです」


抽象的
   2009/2/25 (水) 09:21 by Sakana No.20090225092112

2月25日

「数百もしくは数千の個々の場合を概括した
ものがことごとく抽象的と推論するのは誤り
です」
「そうか」
「たとえば、Honesty is the best policy.
(Don Quixote、「正直は最良の策」『ドン・
キホーテ』第三三章)といえば、抽象的です」
「そうか」
「"Where ignorance is bliss, 'Tis folly to
be wise."(Gray, On a Distant Prospect of 
Eton College. 「無知が至福であるのに、/賢
くあろうとするのは愚かだ」(グレイ『イート
ン校を遠望して』九九ー一○○行)も抽象的で
す」
「そうか」
「次に、"A kiss of the mouth often touches 
not the heart"(「口にしたキスはしばしば心
にまで伝わらない」(古諺))は、抽象の度合が
減じます」
「そうか」
「"A man often kisses the hand that he would
fain see cut off.(「切り取られればいいと思う
手にもくちづけをすることがよくある」(古諺)
も概括的観念ですが、その抽象の度合は微弱で
す」
「そうか」
「最後に、"The dog that trots about finds
a home.(「犬も歩けば棒に当たる」)や"Out the 
blue (you came to me.) 「藪から棒」のような
ことわざの形式のものは多くが具体化されたもの
です」
「そうか」
「おわかりいただいたでしょうか」
「抽象的な概念は抽象的で日本人の脳にはわかり
にくい」


抽象的なものに対する情熱
   2009/2/28 (土) 09:25 by Sakana No.20090228092530

2月28日

「抽象的なものに対する情熱なしにはおよそ
文化の発達はありません」
「それは漱石が言っているのか」
「三木清です。『哲学入門』に載っています」
「抽象的なものに対して情熱を抱くのは哲学
者や科学者だけだ。庶民は具体的なものにし
か情熱を抱かない」
「しかし、直接に具体的なものは真に具体的
ではなく、かえってそれ自身抽象的です。真
に具体的なものは抽象的なものに媒介された
ものでなければなりません」
「哲学者は難しい言い方をするが、そもそも
抽象とはどういう意味だ」
「ある物事の共通する部分を抜き出して把握
することです」
「?」
「<正直は最良の策>といえば抽象的、<犬
が歩けば棒に当たる>といえば具体的です」


ドン・キホーテ
   2009/3/3 (火) 09:50 by Sakana No.20090303095045

3月3日

「"The dog that trots about finds a home.
(「犬も歩けば棒に当たる」)のように具体的
一般真理を最も多量に散見するは恐らく世界文
学中『ドン・キホーテ(Don Quixote)』に右に
出づるものあらざるべく、其の主人公サンチョ
(Sancho)の言語はことごとく此種の格言より
なると云ふて不可なかるべし、だそうです」
「サンチョ・パンサは脇役だ。主人公ではない」
「少なくとも余は通読の際、しか感じたるなり
と漱石先生は仰っています。次に数例をあげて
おきましょう」
「ドン・キホーテはスペイン文学だ。英文学の
例はないのか」
「英文学では、小説家のメレディス、詩人のポ
ープがこの方面の代表です」

"True it is, if ever the heifer is offered,
the tether is at hand."---Pt. II. Bk. IV. chap x.
「たしかに、若い雌牛をくれるというときは、
いつも繋ぎ綱が付いている」
    (『ドン・キホーテ』第二部第四巻第十章)
"Your worship describes it a very easy matter,
but between Said and Done a long race may be run."
---Pt. II. Bk. IV. chap. xii.
「閣下はいともたやすいこととおっしゃるが、言
うのとやるのとの間には長い道程があります」
    (同、第十二章)
"The hare starts where she is least expected."
---Pt. II. Bk. II. chap. xiii
「兎は思いもかけないところから飛び出す」
    (同、第二巻第十三章)
"The bed is filled, though it be with hare and straw."
---Pt. II. Bk. I. chap. iii
「ベッドの詰めものは乾燥や麦藁でも間に合う」
    (同、第一巻第三章)
"Sleeves are good even after Easter."
---Pt. I. Bk. IV. chap.iv
「復活祭が済んでも、晴れ着は有効」
    (同、第一部第四巻第四章)
"A bird in hand is worth two in the bush."
---Ibid
「手のなかの一羽は藪の二羽」
    (同)
"The king's crumb is worth the baron's batch.
---Pt. I. Bk. IV. chap. xii
「王のパン屑の値は男爵の一竈分のパンに等しい」
    (同、第十二章)

"Possession without obligation to the object 
approaches felicity."
         (G. Meredith, The Egoist, chap. xv.)
「物に対する義務に縛られずに所有するのは至福に
近い」
    (メレディス『エゴイスト』第十五章)
"There is pain the surrendering of that we are
fain to relinquish."
         (Ibid.)
「喜んで捨てようと思っているものでも、手放すと
なると苦痛なものだ」
    (同)
"To err is human, to forgive divine."
        (A. Pope, the Essay on Criticism)
「誤るは人、赦すは神」
    (ポープ『批評論』)




文学的内容の分類及び其価値的等級
   2009/3/6 (金) 09:24 by Sakana No.20090306092401

3月6日

「第一章で文学的内容の形式、第二章で文学的
内容の基本成分についての講義を受講しました。
次は文学的内容の分類及び其価値的等級につい
ての講義に進みます」
「先はまだ長いのか」
「文学論目次によれば、全体で五編の構成です
が、やっとまだ第一篇の第三章にさしかかると
ころです」
「やれやれ。こんな講義を聴いて何かの役にた
つのだろうか」
「文学博士になれるかもしれません」
「文学博士になって何の意味がある。漱石は博
士号を辞退したぞ」
「文学的教養が身につきます」
「文学論は失敗の亡骸(なきがら)、しかも奇
形児の亡骸だ、あるいは立派に建設されないう
ちに地震で倒された未成市街の廃墟のようなも
のだと漱石自身が『私の個人主義』でみとめて
いる」
「その謙虚なことばをまともに受けてはいけま
せん。私はむしろ、文学論の廃墟が文学者漱石
を生んだと考えています」


Fの分類
   2009/3/9 (月) 09:53 by Sakana No.20090309095311

3月9日

「文学的内容の基本成分がすべて(F+f)
の形式にあてはまることは、これまでにご紹
介した文例からおわかり頂いたことと思いま
す」
「文例が多すぎて頭が混乱する」
「なんのこれしき、英文学中九牛の一毛にす
ぎません」
「もっとわかりやすく整理してくれ」
「今、文学的内容たりうべき一切のもの、つ
まり(F+f)の形式に改めうべきものを分
類すれば、次の4種になります。

(1)感覚F・・・自然界
(2)人事F・・・人間の芝居
(3)超自然F・・・宗教
(4)知識F・・・人生問題に対する観念

これらのF4種はいずれも情緒fをともなう
ものです」


審美的F
   2009/3/13 (金) 10:27 by Sakana No.20090313102729

3月12日

「感覚、人事、超自然、知識の4種が文学的
内容の基本成分としてのF(焦点的意識、印
象または観念)に分類されるというが、その
ほかにはないのか」
「たとえば、審美Fを主張する人がいます。
文学は一種の芸術なり、されば吾人がこれに
対する感情は即ち審美感想にあらずや、これ
を算入せざる理由如何と──しかし、漱石先
生は審美Fをふくめることに反対しておられ
ます」
「反対の理由は?」
「吾人が文学に対して生ずる情緒が概して審
美的なることは明白な事実なれども、こは、
たゞ前に挙げたるFに附随して起り来るもの
にして、単純にかくの如き一種の情緒あるに
あらず、故に強て審美的情緒なる語を用ゐん
とせば、以上のうちに或るものを引き抜きて、
しか名づくれば足る。これ余が特別に此項目
を置かざりし所以(ゆえん)なり」
「審美情緒の起源は人間の本能ではないか」
「所謂審美情緒とは美に対する一種の主観的
感情に過ぎざれば、これ亦余が上来述べ来り
しfのうちに含まるべきものなること勿論に
して、審美情緒は常に快感なりと云ふ点より
して、此の情緒は時にfと符号し時には全然
符号する能はざることありと知るべし」



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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
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