夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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豊富な想像力
   2008/7/18 (金) 10:09 by Sakana No.20080718100925

7月18日

「最後に特筆すべきことはスウィフトの想像
力が豊富なことだと漱石先生は言っておられ
ます」
「わざわざ特筆してくれなくてもそれはわか
る」
「スウィフトの想像はコールリッジの『昔の
船乗り』に表れてくるような神秘的想像では
なく、到底実世間にはあり得べからざる事実
を、あたかも厳として存在するが如く明瞭に
感ぜせしむる想像です」
「たとえば、小人国や大人国・・・」
「小人国や大人国の話を読んでも不思議な夢
のような感じにはなりません。読者は二、三
ページ読んでいくうちに小人や大人が不合理
千万な被造物であることを忘れてしまいます」
「老巧な筆致で読者をコロリと騙している」
「言葉の魔法ですね。漱石先生によれば、ス
ウィフトの想像力で感心すべき点は二つあり
ます」
「その一つは?」
「その奇抜にして常人の夢にも想い及ばざる
境地を拉(らつ)し来る事です」
「もう一つは?」
「この奇抜なる想像をさらに写実的に描き出
す想像です」
「想像力に写実的な描写力が加わっていると
ころがミソだな」


堂々たる文学
   2008/7/21 (月) 08:26 by Sakana No.20080721082609

7月21日

「これまでのところで、スウィフトの諷刺文
学についての漱石先生の講義はほぼおさらい
ができました」
「まとめてくれ」
「要するに、スウィフトの諷刺は堂々たる文
学です」
「なぜ、堂々たる文学なのだろう?」
「漱石先生の評言から察してください。<ス
ウィフトは理非の弁別に聡(さと)く、世の
中の腐敗を鋭敏に感ずる人である。病的に人
間を嫌忌したという名を博したにもかかわら
ず、親切な人である。正義の人である。見識
を持った人である。見識がなければ諷刺は書
けない。妄(みだ)りに悪口を吐(つ)いた
り、皮肉な雑言を弄することは誰にでも出来
るが、真に諷刺ともいうべきものは、正しき
道理の存する所に陣取って、一隻の批評眼を
具して世間を見渡す人でなければ出来ないこ
とである>」
「なるほどね。この評言には漱石の志がみと
められる」
「志?」
「漱石自身もスウィフトの如く、堂々たる文
学を書こうと志した。『吾輩は猫である』が
堂々たる文学かどうかはわからないが、漱石
は少なくともその志を意識の根底において書
いたはずだ」


ポープと人工派の詩
   2008/7/24 (木) 08:59 by Sakana No.20080724085930

7月24日

「スウイフトに次いで論じるのは、アレキサ
ンダー(1688-1744)と人工派の詩です」
「ポー(Poe)の詩なら読んだことがあるが、
ポープ(Pope)の詩は知らない」
「A little learning is a dangerous thing.
(学んで浅きは危うし=生兵法は大疵の基)と
か、To err is human, to forgive divine.
(誤るは人、赦すは神)という詩句はご存じ
でしょう」
「知っているが、そんな教訓めいたものは詩
ではない」
「ポープの『批評論』の載っている有名な詩
句です」
「『批評論』が詩の題名とはおそれいった。
。いずれにしても、今どき、そんなローマ法
王のような名前の詩人に関心を抱く日本人が
いるだろうか」
「今どきの日本人はどうかわかりませんが、
100年前に漱石先生は十八世紀英国の代表
的詩人としてポープを論評しておられます」
「物好きだね。ワーズワース、シェリー、キ
ーツ、バイロンなど浪漫派の有名詩人がいく
らでもいるのに」



批評論
   2008/7/27 (日) 08:44 by Sakana No.20080727084448

7月27日

「ポープは立派な修辞家である、錬句家であ
る、しかし真正の意味における詩人とはいえ
ないというのが今日最も多く学者間に認めら
れている断案で、日本の英学者などもそうい
うものかしらと思っているそうです」
「漱石もそう思っていたのか」
「その通りですが、しかし、それでは『文学
評論』の講義をする上で何の風情もない──
というわけで、元来毛色の変わった日本人の
立場から見たらどんなものかを漱石先生は考
察されたのです」
「髪の毛の色は日本人が黒、イギリス人は金
髪、赤毛が一般的だったが、最近は日本人も
茶髪が増えて、あまり違いが目立たなくなっ
てきた」
「しかし、西洋の詩形及び詩調の鑑別力が鈍
いという点では、日本人は昔も今も変わりま
せん」
「たしかに、日本人の感覚ではポープの『批
評論』(An Essay on Criticism)は詩の題名
ではない」
「『批評論』は行数からいうと七百四十行に
過ぎず、それが三篇に分かれています。内容
は、批評家の分類、批評家は自己の限界を知
らねばならないということ、批評家たらむと
欲せば古代の文学を研究せねばならないとい
うこと、それに関連して古代作家の頌辞、高
慢が正鵠を誤るもとになるということ、学問
には際限のないこと、評家は全体を通覧すべ
く、一字一句の疵瑕を探すようではならぬと
いうこと、どんな作でも完全という物はない
ということ、みだりに古語を学ぶなというこ
と、音と意の調和を計らねばならぬというこ
と、それから狭くてはいけない、雷同しては
いけない、無定見ではいけないというような
ことが勝手に並んでいるそうです」


人間論
   2008/7/30 (水) 06:59 by Sakana No.20080730065924

7月30日

「ポープの詩としては『人間論』(An Essay
on Man)も有名です」
「人間についてのエッセイ──どんなことが
書いてあるのか」
「四つの書信から構成されています。第一信
によれば、人間は自己を中心として物を論ず
るものであるからして、到底世界の大を知る
ことは出来ぬ。自己の運命すら知らない人間
はただ神を信じて死を待つがよい。それで希
望さえ失わなければそれでよろしい、という
ような内容の詩です」
「希望を失わないでひたすら死を待つという
思想はいいね」
「第二信では、人間の徳はすべて悪徳から出
るもので、悪徳を変じて徳となすものは理性
である。一個人についていえば、その人は同
時に善人でもあり、悪人でもある。即ち善悪
はことごとく交差しているともいえるという
ような思想が述べられています」
「平凡な思想だが、的ははずれていない」
「第三信。万有は互いに呼応して自己の幸福
を構成する。単独に独立して世にあるものは
一つもない。それを自分ひとりが超越したも
ののように、世の中はすべて自分のために造
られているなどと考えるのは大それた間違で
ある、云々」
「異議なし」
「幸福とは一言にしていえば、健康、平和及
び完全である。一見した所では、この三者に
おいて、世間には不公平があるようであるが、
人間総体の幸福は希望と恐怖という二つの情
のために平衡がとれている。神は個人のため
に一般法則を変ずるものではない、云々」
「素晴らしいエッセイのようだ。素晴らしい
詩かどうかはわからないが」


薔薇十字団
   2008/8/2 (土) 08:08 by Sakana No.20080802080832

8月2日

「ポープには『髪盗人』(The Rape of the
Lock)という詩もあります」
「花盗人なら俳句の季語だが」
「ピーター卿がアラベラ・ファーマーとい
う美人の髪毛を一握り切ったために両家の
仲違いとなったので、両家の反目を和らげ
るためのものをと依頼されてポープがつく
った詩です」
「ほう?」
「面白いのはポープが詩の中へロジクルー
シアンの思想を綴り込んだことです」
「路地来る思案?──なんだそれは」
「ロジクルーシアン(Rosicrusians)は薔
薇十字団と呼ばれる秘密結社の称で、その
会員になれば天地万有ことごとくこれを掌
(たなごころ)に指すがごとく明らかなり
といわれていました」
「錬金術師たちの秘密結社だな」
「彼らの言うところによれば、土水火風の
四元には目で見ることのできない精霊が住
んでいます。即ち、シルフス、ノームス、
ニムフス、サラマンダース(Sylphs、Gnomes、
Nymphs、Salamanders)の四者です」
「また、サラマンダーか。漱石はゲテモノ
が好きだね」


ダンシアッド
   2008/8/5 (火) 09:09 by Sakana No.20080805090956

8月5日

「『ダンシアッド』(The Dunciad)は、諷
刺の多いポープの作品の中で、最も苦心の
余に成った諷刺で、ある点から見ればポー
プの傑作といってもよろしいと、漱石先生
は言っておられます」
「Dunciadとはどういう意味だ?」
「Dunceは馬鹿のことで、それへiadをつけ
てホーマーのIliad風に呼んだものです」
「ギリシア最古の叙事詩『イリアッド』の
パロディか」
「ポープが金をつくって一生安楽にすごす
ことができたのは『イリアッド』の翻訳の
おかげだそうです。『オデュッセイ』も翻
訳しています」
『翻訳ってそんな儲かるものなのか』
「最近の日本では『ハリー・ポッター』の
ようにごく稀ですが、ベストセラーになる
こともあります」
「それでは『ダンシアッド』を翻訳して儲
けようではないか」
「十八世紀当時のイギリスの馬鹿者(個人
的にポープの気に要らなかった連中)に筆
誅を加えた詩ですから、これを翻訳しても
売れないでしょう」
「では二十一世紀日本の馬鹿者に筆誅を加
えた原作を書こう」
「そんなものは週刊誌の特集でしょっちゅ
とりあげられていますから珍しくも何とも
ありません」



ヒロイック・カプレット
   2008/8/8 (金) 09:07 by Sakana No.20080808090705

8月8日

「ポープの詩にはその他、『牧童歌』(Pastorals)、
『ウインゾーの森』(Windsor Forest)、
『ほまれの伝道』(The Temple of Fame)、
『アベラードに送れるエロイザの消息』
(Eloisa to Aberard and Elergy to the
Memory of an Unfortunate Lady)、『書簡集』
(Epistles)、『ホレースに倣いて』(Imita-
tions of Horace)などがあります」
「いくらたくさん詩を残していても、二十一
世紀の日本では誰も読まない」
「日本には変わり者がいますから、どこかの
誰かが必ず読んでいます」
「それにしても、題名から判断して、ポープ
は詩人というよりエッセイストだ」
「詩人ですよ。ヒロイック・カプレットとい
う形式で書いていますから」
「なんだそれは?」
「英雄詩体2行連句といって、2 行ずつが韻を
踏んで対句をなす弱強 5 歩格の詩型です」
「詩の条件は内容よりも形式なんだな」
「ポープの詩の場合はそうです」
「俳句や短歌のようなものか」
「そう言うと、俳人や歌人から反論が出るか
もしれませんが、一般的にはその通りだとい
えます」
「俳句が記憶しやすいように、ポープのヒロ
イック・カプレットも記憶しやすいかもしれ
ない」


ヒロイック・カプレットの実例
   2008/8/11 (月) 08:34 by Sakana No.20080811083427

8月11日

「ポープがヒロイック・カプレット(英雄詩
体2行連句)といって、2 行ずつが韻を踏んで
対句をなす弱強 5 歩格の詩型を用いたことは
よくわかった。念のため、実例を紹介してく
れ」
「それでは短い対句を紹介しましょう。
"A little learning is a dang'rous thing:
Drink deep, or taste not the Pierian spring."
        --Essay on Criticism
(学んで浅きは危うし、パイエリアの詩の泉
は大いに飲むべし、しからざれば一滴も口に
すべからず。---『批評論』)」
「なるほど、ちゃんと韻をふんでいる。それ
に、弱強 5 歩格のようだ」
「・・・(弱強 5 歩格が、ほんとうに、わか
っているのかな?)」
「もっとロマンチックな詩はないのか」
「こんなのはどうでしょう。
"I hear thee, view thee, gaze o'er all thy charms,
And round thy phantom glue my clasping arms.
I wake: --no more I hear, no more I view,
The phantom flies me, as unkind as you.
I call aloud: it hears not what I say:
I stretch my empty arms; it slides away."
  (以下省略・・『アベラードに贈れるエロ
イザの消息』(Eloisa to Aberad))」
「訳文は?」
「翻訳しようと思ったが、翻訳をするといやに
センチメンタルで、とても読まれない妙なものが
出来上がる、このままにして置くほうがよいと了
見を定めたと漱石先生は言っておられます」
「漱石のような朴念仁にはロマンスの妙味はわ
からぬものらしい」



ポープの詩の特徴
   2008/8/14 (木) 12:39 by Sakana No.20080814123927

8月14日

「ポープの詩については、以上の紹介にとど
めておきますが、最後に漱石先生がポープの
詩の特徴を4つの要素にまとめて分析してお
られることを指摘しておきます」
「漱石は項目に分けて分析するのが好きだね」
「知的要素、人事的要素、感覚的要素、超自
然的要素の四つの要素についての批評です」
「ポープの詩に知的要素が強いことは、『批
評論』や『人間論』という詩の題名からもあ
きらかだ」
「芭蕉の句でいえば、<道端の木槿は馬に喰
はれけり>のような理屈をふくんだ句が多い
そうです」
「人事的要素とはどんなものだ」
「前回、一部をご紹介した『アベラードに贈
れるエロイザの消息』(Eloisa to Aberad))
のように人間の喜怒哀楽等を表現した詩です。
理屈や議論はありません。ただ恋しい、慕わ
しいという感情だけが述べられています」
「感覚的要素とは?」
「自然に対する感覚を詠んだ詩で、『牧童歌』
(Pastorals)と『ウィンゾーの森』(Windsor
 Forest)が該当しますが、日本でいえば『古
今集』のような古典詩の雅語を駆使してつく
るという作風。したがって、ワーズワースな
ど後の浪漫派の詩人の作風とは違います」
「最後に残ったのが超自然的要素だが」
「たとえば、『髪盗人』(The Rape of the
Lock)で、土水火風の四精が登場しています。
超自然といっても、都会の精、客間、応接間
の精です。隅田川の屋根舟の上に徘徊する精
です」
「隅田川ではなく、テームズ川だろう」


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
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