夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
 ID


全969件 <更新> ページ移動 ⇒ [ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 終了]

PAGE 15 (141〜150)


ヤフー
   2008/6/18 (水) 08:37 by Sakana No.20080618083719

6月18日

「高貴なフウイヌムの国にはヤフーという醜
い動物がいます。どんな動物かと見にいって
みると、あにはからんや、人間そっくり」
「・・・」
「ガリヴァーも上陸したときはヤフーと間違
えられましたが、どうも他のヤフーとは違う
らしいと認められます」
「馬に認められて喜ぶとはガリヴァーも情け
ない奴だ」
「この国では馬が万物の霊長ですから仕方が
ありません。ガリヴァーは自分を養ってくれ
る馬のことを<我が君(my master)>と呼び
ます」
「ずいぶんへりくだったものだ」
「ヤフーの性格は卑屈ですから、ガリヴァー
もその点では同じです。しかし、そのガリヴ
ァーがすべての旅行を通じて、これほど醜悪
な動物を見たこともなく、これほどむかむか
するような嫌悪感を抱いたことが動物はない
というのがヤフーです」
「いわゆる近親憎悪という奴かな」
「ヤフーは実に狡(ずる)く、意地が悪く、
陰険で、復讐心に富んでいます。体は強くて
頑丈なくせに、心は臆病ときており、したが
って傲慢で、卑屈で、残忍で、好色──要す
るに、人間から理性と美徳を取りさった動物
がヤフーです」
「もういい。人間性がいやになってきた」


文学的に出来ている
   2008/6/21 (土) 08:05 by Sakana No.20080621080554

6月21日

「ここまでが『ガリヴァー旅行記』の梗概
で、これから先がその批評です」
「では、漱石の批評を要領よくまとめてく
れ」
「まず、『桶物語』との比較ですが、『ガ
リヴァー旅行記』の方がよほど面白い、文
学的に出来ている」
「ちょっと待て。<文学的に出来ている>
などと不用意に言わないでほしい。<文学
とは何か>を漱石はきちんと定義している
のか」
「その点については明言はしておられませ
んが<文学の形式は吾々の趣味に訴へるも
のでなければならない>と『文学形式論』
で言っておられます」
「ということは、『ガリヴァー旅行記』の
形式が<吾々>の趣味に訴えるものだとい
うことになる」
「<吾々>とは誰のことでしょう?」
「もちろん漱石自身をふくんでいるだろう
が、きみのようなレベルの読者が<吾々>
にふくまれているかどうかはわからない」
「・・・」
「だから、<文学的に出来ている>と漱石
が言っても、鵜呑みにしてはいけない。き
みの趣味に訴えるものではないかもしれな
いからだ」


抽象的真理
   2008/6/24 (火) 06:59 by Sakana No.20080624065946

6月24日

「『桶物語』は教会の歴史を比喩的に述べ
たてているのに対して、『ガリヴァー旅行
記』は抽象的真理を述べ、普遍的命題を述
べんとしています」
「そんな抽象的なことをいってもわからん」
「抽象的ということばの意味はご存じです
か」
「わけのわからんことという意味だ」
「『大辞林』によれば、抽象とは、<事物
や表象を、ある性質・共通性・本質に着目
し、それを抽(ひ)き出して把握すること。
その際、他の不要な性質を排除する作用
(=捨象)をも伴うので、抽象と捨象とは
同一作用の二側面を形づくる>ことです」
「『ガリヴァー旅行記』のどこが抽象的真
理だ?」
「たとえば、大と小に着目し、大人と小人
の性質・共通性・本質を抽(ひ)き出して
把握しています」
「そんなものは仮説か情報だ。軽々しく真
理といってほしくない」


普遍的命題
   2008/6/27 (金) 08:31 by Sakana No.20080627083102

6月27日

「『ガリヴァー旅行記』は普遍的命題を述べ
んとしています」
「その普遍的命題とやらの意味を説明してく
れ」
「<普遍的>はすべてのものに共通している
さま、<命題>は意味に不明瞭なところがみ
あたらない文章のことです」
「すべてのものに共通している、意味に不明
瞭なところがみあたらない文章?」
「英語でいえば、普遍的はユニバーサル
(universal)ですよ。命題はプロポジション
(proposition)」
「わからんな。『ガリヴァー旅行記』が述べ
んとする普遍的命題とはどのようなものか」
「たとえば、徳(virtue)です。馬の国のフウ
イヌムには徳がそなわっていますが、ヤフー
には徳がありません」
「弱肉強食の世界では、徳のある者が勝つと
はかぎらない。徳が普遍的命題かどうかは疑
問だ」
「では、死はどうでしょう。『ガリヴァー旅
行記』にはストラルドブルグという不死人間
が登場しますが、彼らのような不死人間と比
べると、寿命が尽きて死ねことのできるふつ
うの人間の運命はめぐまれています」
「それが普遍的命題を述べるということか─
─洋行帰りの漱石のいうことはどうもよくわ
からん。そもそも普遍的ということばは日本
の庶民の間では普遍的でない」


諷刺の広狭深浅
   2008/6/30 (月) 07:06 by Sakana No.20080630070653

6月30日

「では、次にスウィフトの諷刺文学とアヂソ
ンの常識文学との比較にうつりましょう」
「アヂソンなんて、二十一世紀の日本では誰
も読まないからそんな比較をしたって意味が
ない」
「私は一応、"Cato: A Tragedy, and Selected
Essays"という本をアマゾンで購入しました」
「本を購入しても読まなければ意味がない」
「タトラーやスペクテーターに掲載されたア
ヂソンのエッセイを読んでいますよ」
「それならよろしい。で、漱石はスウィフト
の諷刺文学とアヂソンの常識文学とを比較し
て何と言っている?」
「諷刺に上る題目が広狭深浅の度において大
いに相違していると言っておられます。スウ
ィフトが人類全体に猛烈な諷刺を加えている
のに対して、アヂソンの場合は人の儀容、作
法不作法であり、攻撃する所は罪悪ではなく、
悪習や癖、つまり、瑣末な社会的題目です」
「実際にその通りなのか」
「ちょっと言い過ぎのようなところもありま
すね。アヂソンだって、瑣末な社会的題目だ
けを攻撃しているばかりではなく、人類全体
を向上させるための建設的な提案もしており
ます」
「どんな提案だ」
「たとえば、正直な人間は党派を超えて結束
し、共通の敵に立ち向かうべきだというよう
なことを提案しています。(For my own part, 
I could heartily wish that all Honest Men
would enter into an Association, for the 
support of one another against the Endeavours
of those whom they ought to look upon as 
their common Enemies, whatsoever side they
may belong to.")」
「なるほど、一つの見識ではある。正直な人
間の中に自分をふくめていることに何の疑い
も持っていないところが浅いとはいえるが」
「スウィフトの見方のほうが深いですね」
「浅い諷刺と深い諷刺──漱石は深い諷刺の
ほうを文学的と評価しているが、浅い諷刺で
一生を暮らせば人間としてはその方が幸福か
もしれない」


酔狂の沙汰
   2008/7/3 (木) 08:52 by Sakana No.20080703085237

7月3日

「スウィフトの諷刺文学を読むか、アヂソン
の常識文学を読むか」
「それは、読者がどちらを面白いと思うかに
よってきまる」
「<大多数の読者は皆自分の勝手で読んでい
る。悪く言えば酔狂に読んでいる。既に酔狂
の沙汰であって見れば、どこかに面白い所が
なければならない>と漱石先生も言っておら
れます」
「おいおい、読書は酔狂の沙汰かい。そうす
ると、青少年への読書のすすめがは酔狂のす
すめということになる」
「まあ、そんなに言葉尻をとらえて、漱石先
生にさからわないでください。ここでは、文
学作品にはどこかに面白い所がなければなら
ないという事実を強調しているだけです」
「面白い所のまったくない文学作品だってあ
るぞ。純文学の小説などはむしろ面白い所が
ないのがふつうだ」
「それは読者の読みが浅いからです」
「まあ、そういうことにしておこう。それで、
スウィフトやアヂソンを読むのは酔狂の沙汰
だとして、面白い所はなんだ?」
「真理を悟って絶望の淵に身を投げるところ
に愉快を感じるのがスウィフト、上っ面のこ
とを嘲笑して愉快を感じるのがアヂソンです」


犬儒主義(Cold Cynicism)
   2008/7/6 (日) 08:35 by Sakana No.20080706083521

7月6日

「漱石先生によれば、スウィフトの諷刺は冷
酷なる犬儒主義(cold cynicism)とでも評した
い気がするそうです」
「冷酷なる冷笑主義と言えばよいのに、犬儒
主義とはひどい。犬儒とは儒者を冒涜するこ
とばだ」
「ソクラテスの孫弟子にあたるディオゲネス
という古代ギリシアの哲学者が樽を住居にし
て、犬のような生活を送り、<犬のディオゲ
ネス>と呼ばれています」
「東洋には古来、<犬の儒者>はいない」
「狗肉(犬の肉)を食べる儒者はいたのでは
ないでしょうか」
「狗肉を食べる儒者を犬儒とは呼ばない」
「いいじゃないですか。漱石先生がシニシズ
ムのことを犬儒主義と訳しておられるのです
から」
「儒者になりそこねて『吾輩は猫である』な
どという小説を書いた漱石ならむしろ猫儒主
義というべきだ」
「でも、スウィフトと猫は関係がありません」
「スウィフトは馬儒主義だ」



京都の冬の底冷え
   2008/7/9 (水) 07:25 by Sakana No.20080709072512

7月9日

「スウィフトの文章を読むと冷たい心持ちに
なる。その冷たさは京都の冬の底冷えのよう
な冷たさだそうです」
「自然の冷たさで、人情の冷たさではないと
いうのか」
「ええ、ですから喜怒哀楽とともに激しく骨
肉を動かすほどの影響は受けません」
「スウイフト自身の喜怒哀楽はどうだ」
「少なくとも作者の喜怒哀楽は作品には表れ
ていません」
「作者が作中人物に感情移入せず、突き放し
ているのか」
「そうですね。何処までも事実を事実とする
流儀で、何となくよそよそしい感があります」
「作者が作中人物に感情移入しなければ、読
者も感情移入しないと思うが、そんな小説を
読んでどこが面白いのだろう」
「書かれていることが人生の事実だからです。
人間とはどんな動物であるかということが、
『ガリヴァー旅行記』を読めばよくわかりま
す」
「書き方は?」
「スウィフトの書き方はいつでも着実で、明
瞭で、落ち付いて、乾燥で、平面的で、よそ
よそしくて、高見の見物的です」
「つまり、人生とは何ぞやについては叙述し
ているが、人生如何に生きるべきかについて
は作者は何のアドバイスもしない・・・」
「・・・底冷え小説です」


老巧な筆致
   2008/7/12 (土) 08:08 by Sakana No.20080712080846

7月12日

「<スウィフトの筆には詩的な所がない。頓
才もあり諷刺的でもある。また非常な達筆で
ある。しかしながら遂に詩的な所がない。否
極めて少ない、したがって、感情的に人の心
を動かす点が少ない>と漱石先生は言ってお
られます」
「すぐれた小説には必ず詩的なところがある
よ。傑作と駄作との違いはせんじつめれば
<詩>の有無。漱石がいうように『ガリヴァ
ー旅行記』が古今の傑作なら、どこかに<詩>
によってつきぬけたところがあるはずだ」
「『ガリヴァー旅行記』は詩的な所がないよ
うに見せかけて実は全編これ<詩>だとはい
えませんか」
「あのスカトロジー(排せつ物嗜好)の描写
を読まされるととても<詩>とは思えない」
「要するに、スウィフトは老巧な筆致の作家
で、画家が色を殺して色を出すが如く、筆を
殺して<詩>を表現しているのです」
「漱石がそう言っているのか」
「<詩>を表現しているとまでは言っておら
れませんが、<筆を殺している所が妙だ>と
言っておられます。<よほど熟練していない
とこういう手際には行くものではない>とも」


超然と構える審判官
   2008/7/15 (火) 08:45 by Sakana No.20080715084515

7月15日

「スウィフトは猛烈な毒舌を弄しながら、自
己は至上の裁判官の如く超然としています」
「興奮して頭に血がのぼるタイプではなさそ
うだ」
「皮肉が三度のメシより好きなのです」
「好きというより、皮肉を言うことが生活習
慣になっているのだろう」
「皮肉な所がスウィフトの真面目な所です。
彼の真面目は諷刺と冷罵以外に存在しないの
です」
「一種の変態だね」
「そもそも諷刺という行為自体が常態ではな
く、変態です。したがって、諷刺をする前に
ちょっと調子をかえて断りたがるものです。
常態から変態に移る間際に何らかの合図があ
るのがふつうですが、スウィフトの場合はま
ったく断らないし、合図もしません」
「そこまで徹底できればご立派だ」
「人間としてのスウィフトはわかりませんが、
文章家としてのスウィフトはのべつ幕なしに
諷刺をやっています。まあ商売のようなもの
です。だからこの冷ややかな毒罵を浴びせか
けておいて、説明もしなければ主観的言語も
交えません」


ページ移動 ⇒ [ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 終了] <照会>
 
「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2014 Sakana Hasebe