夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
 ID


全969件 <更新> ページ移動 ⇒ [ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 終了]

PAGE 13 (121〜130)


自尊心(2)
   2008/4/19 (土) 08:04 by Sakana No.20080419080408

4月19日

「自尊心についてはギッシング(1875-1903)が
『ヘンリ・ライクロフトの私記』で述べている
ことが参考になるかもしれないのでご紹介しま
す」
「脱線はほどほどにしろよ」
「ライクロフトの猛烈な自尊心がはじまった
のは学校の軍事教練での屈辱的でみじめな体
験からだと言っています。<一週に一回、運
動場で『教練』があった。四十年もたった今
でさえも、ただそのことを考えただけで、当
時しばしば私を病人のようにした、あの悲痛
な絶望の身ぶるいに再び襲われるのである>
』(平井正穂訳)」
「自尊心(プライド)は幼児だって持ってい
る」
「ライクロフトの場合は特別に猛烈な自尊心
です。<それはやわらげられるべきものでこ
そあれ、激化さるべきものではなかったはず
である>(it should have been modified, 
not exacerbated.)」
「すると、スウィフトの自尊心もライクロフ
トのような屈辱的でみじめな体験から始まっ
たというのか」
「たぶん、そうだと思います」
「プライドを持つのは人間にとって必要なこ
とだ。スウィフトの場合は、特別に猛烈な自
尊心がよい方向に働いたのではないか」
「さあ、それはどうでしょうか。<それはや
わらげられるべきものでこそあれ、激化さる
べきものではなかったはずである>という考
えもありますから」


私利私欲の克服
   2008/4/22 (火) 07:42 by Sakana No.20080422074231

4月22日

「ジョナサン・スウィフトは自尊心の強さが
私利私欲にふけることへのブレーキとなりま
した」
「私利私欲を超越するのは難しい」
「難しいですが、スウィフトは超越したので
す。彼のやり方は参考になります」
「どんなやり方だ」
「自分の財産を三分割して、三分一は常に慈
善の目的に使用します。又、一定金額を貧乏
な商人に貸す資金として別にとっていました。
商人はこれを借りて無利息で一週間毎に返す
習慣になっていたそうです」
「彼は孤児だからもともと財産はなかったは
ず」
「お金に関しては苦労人ですね。節約して財
産をつくったのです。節約する能力がなけれ
ば財産をつくることができず、慈善にも結び
つきません」
「アイルランドの二宮金次郎みたいな男だ。
厭世主義者とは思えない」
「厭世主義者というのではなく、厭世的な傾
向のある、自尊心の強い男だったのです」


天の邪鬼
   2008/4/25 (金) 07:44 by Sakana No.20080425074458

4月25日

「ジョナサン・スウィフトは真面目な問題で
も冗談半分に取り扱うような男でした」
「照れ屋なのかな」
「人を褒めるときでもけなすようなことをい
います」
「天の邪鬼だ」
「人の世話をする前に威したりします」
「ホンネがつかみにくい」
「熱心な宗教家で、宗教家としての職分を怠
るようなことはなかったが、その職分のなか
へも時折いたずら半分の滑稽を交えることが
ありました」
「不謹慎な奴だ」
「ランカア(Lancar)という所で牧師の職を執
っていた時分のある水曜日のこと、会衆がみ
な散じて残るは自分とロジャー(Roger)という
書記ばかりとなった後に、彼は厳格な顔をし
て立ち上がり、いきなり朝の勤行を始めから
終わりまで繰り返して済ましていたそうです」
「まじめなのか、ふざけているのかわからな
い」
「まじめすぎてもダメ、ふざけすぎてもダメ
というわけで、案外バランス感覚が発達して
いたのかもしれません」


病気持ち
   2008/4/28 (月) 06:54 by Sakana No.20080428065436

4月28日

「ジョナサン・スウィフトは病気持ちでした。
病気のために生涯苦しめられています」
「病名は?」
「本人は胃病だと云っていましたが、どうも
脳の病気だったのではないかとも言われてい
ます」
「どんな症状だったのだろう」
「晩年には失業や情人の死や憤激や何やかや
で合併症のような苦痛を覚え、苦痛のない時
は、まるで白痴の如き状態に陥ったのみか、
時々テンカン病のような発作が来て、ついに
命を終える結果になったそうです」
「狂人だったのかな」
「狂人だという人もいますが、彼の知性は晩
年までたしかだったという人もいます」
「天才と狂人は紙一重だが」
「行為と結果とを連結する点においては平生
の通りであるけれども、言語の粗暴なること
は充分精神病の徴候として認むるに足るなど
と云われていました」
「言語の粗暴なることが精神病の徴候にされ
るなら誰だって精神病と判定される可能性が
ある。われわれも気をつけなければいけない」


二人の女性
   2008/5/1 (木) 07:42 by Sakana No.20080501074254

5月1日

「ジョナサン・スウィフトは女性嫌いでした」
「女性の嫌いな男性はいない」
「若い頃は女性が好きでも、中年になると嫌
いになる男性がたまにいます」
「スウィフトがその一人だというのか」
「『ガリヴァー旅行記』を読むと、大人国の
ブロブディンナグでは、王妃つきの女官がガ
リヴァーの前で、肌もあらわに素っ裸になっ
て下着を着かえる描写があります。その姿た
るやおよそ心を蕩(とろ)かすようなもので
はなく、ただもう恐怖と嫌悪の情がこみあげ
てくるのみだ。ガリヴァーが傍にいるのに、
彼女たちは飲んだものをいとも平然として排
泄する。それも、三トン以上はたっぷり入ろ
うという大きな容器に、少なくとも一回に二
樽分くらいを垂れ流す、というのです」
「百年の恋もさめる描写だ。現実にもスウィ
フトは女性関係で苦労したにちがいない」
「ステラとバネッサという二人の女性をもて
あましていたようです」
「結婚はしていなのか」
「放っておくと何をするかわからないステラ
をなだめるために、結婚の儀式だけはあげま
したが、秘密にしていました。実質的な結婚
生活には入っていません」
「それではもう一人のバネッサはスウィフト
が独身だと思うだろう」
「ええ、バネッサは生殺しの蛇のような境遇
です。ついにステラへ手紙を送って、彼女と
スウィフトとの関係をたしかめました」
「当然、ステラはスウィフトの妻だという」。
「衝撃のあまりバネッサは死んでしまい、ス
テラも名義上の結婚だけで我慢しているうち
に死んでしまいます」
「それでスウィフトだけが長生きをした・・
・。悲惨だね」
「ダブリンの大僧正が涙を流して<今出てい
った男(スウィフト)は世界中で一ばん不幸
な男である。然しその理由はいえない>と言
ったことがあるそうです」


愛国者
   2008/5/4 (日) 06:47 by Sakana No.20080504064702

5月4日

「ジョナサン・スウィフトは当時の他の文人
の如く文学者であると同時に政治家でした」
「現代の日本でいえば、石原慎太郎や田中康
夫のようなタイプか」
「十八世紀の英国では文学者と政治家の兼業
がふつうだったのです」
「現世逃避の隠者や逃亡奴隷型の作家でない
ことはたしかだ」
「スウィフトはボリンブロークやオックスフ
ォード伯爵と親密な王党派の政治家でしたが、
『桶物語(A Tale of Tub)』が皇后アンの怒
にふれて、一生栄達の機会を失ってしまいま
した」
「ガリヴァーも小人国の宮殿が火事になった
とき、おびただしい量の尿を放出して鎮火し
て皇后の立腹をかっている」
「しかも、民党 (Whigs)の権勢が強くなって
王党(Tories)のスウィフトは益々昇進の途
をふさがれてしまう。そこで彼はついにアイ
ルランドの愛国者として英国政府に反対する
地位に立ちました」
「厭世家で愛国者とは矛盾しているのではな
いか」
「ドレーピアの事件以来、スウィフトはアイ
ルランドの国民的英雄となりました。彼が英
国から帰った時などは人民が行列して出迎え
る、寺の鐘をつくという大騒ぎになったそう
です」


一年経過
   2008/5/7 (水) 08:26 by Sakana No.20080507082656

5月7日

「一念発起して夏目漱石先生の文学論の講義
を受講しはじめてからいつのまにか一年経過
してしまいました」
「まだ文学論の講義の入口にまでも進んでい
ないよ」
「そうですね。やっと文学評論でジョナサン・
スウィフトにとりくんでいるところですから」
「いつになったら文学論を卒業できるのだ」
「さあ、わかりません。とにかく目の上の瘤
のようなスウィフトを早くやっつけてしまい
たいと思います」
「そもそも漱石の文学論や文学評論は日本の
文学に影響を与えているのだろうか」
「<漱石にはあまり感心するものがない。但
し、『文学論』、『文学評論』に、すっかり
感心した>と川端康成は言っています(中野
好夫編『現代の作家』)」
「漱石の小説にはあまり感心するものがない
と言っているとしたら、すごいね。流石はノ
ーベル文学賞作家だけのことはある」
「そうでしょうか。私は『文学論』、『文学
評論』に、すっかり感心したという発言のほ
うがすごいと思います」
「いずれにしても川端康成がきみより頭がい
いことはたしかだ」


桶物語
   2008/5/10 (土) 06:53 by Sakana No.20080510065344

5月10日

「ジョナサン・スウィフトの代表作の一つは
『桶物語』(A Tale of a Tub)です」
「変な題名だね」
「船乗りが鯨に出会うと船が転覆するおそれ
があるというので、空の桶を玩具として鯨に
投げてやるという習慣があります」
「鯨の物語か」
「海洋小説ではありません。宗教的な諷刺小
説のようです」
「キリスト教の話なら大半の日本人は興味を
示さないだろう」
「でも漱石先生は読んでおられます」
「漱石は『桶物語』を読めと推奨しているの
か」
「参考のために読んで御覧になっても損はな
いが、何しろ忙しい世の中だから、強いて御
勧めも致しかねると言っておられます」
「それなら無理をして読むことはないだろう」
「ではお言葉に甘えて『桶物語』はパスさせ
ていただきます」
「捨ておけ物語だな」


教会の歴史
   2008/5/13 (火) 09:09 by Sakana No.20080513090928

5月13日

「『桶物語』の主な登場人物はピーター、マ
ーチン、ジャックの三人です」
「『桶物語』はパスすると言っていたのでは?」
「キリスト教の教会の歴史を諷揄した小説で、
十八世紀の英文学を研究する上では教会の歴
史も無視できませんので、一応三人のモデル
が誰かということだけはご紹介しておきまし
ょう」
「ピーターはペテロだろう」
「ええ、天主教(Popery)、つまりカトリック
です」
「カトリックは普遍的という意味だが・・・」
「マーチンは英国教会、ジャックはその他の
非国教徒をあらわします」
「マーチンとジャックは誰だ」
「マーチンはルーテル(Luther)、ジャックは
ジョン・カルヴィン──二人とも宗教改革で
有名な人物です」
「なるほど、いずれにしても今さら教会の歴
史など勉強するヒマはない。当時の英国では
宗教改革のあおりをうけてキリスト教徒が三
派に分裂していたということだけを文学の常
識としておさえておけばよいだろう」
「そんな心がけでは死後の天国は望めそうも
ありません」


ガリヴァー旅行記
   2008/5/16 (金) 08:17 by Sakana No.20080516081734

5月16日

「では、いよいよスウィフトの傑作といわれ
ている『ガリヴァー旅行記』にうつります」
「有名なわりには読まれていない。今では小
児だけが読む本になり下がっている」
「漱石先生も一世紀前にそう言って嘆いてお
れます」
「きみは原作や完訳本を読んだのか」
「中野好夫訳を読みました」
「原文は?」
「すみません。小人国だけでギブアップです」
「それでは、スウィフトが気の毒だ」
「詩的な文体ではないし、内容が面白いので、
訳本で十分でしょう」
「それで、古今の傑作だと思ったかい」
「漱石先生が古今の傑作と評価しておられる
のでマチガイありません」
「漱石の見解ではない。きみ自身の評価だ」
「私の好みとしては『吾輩は猫である』のほう
が面白いと思います」
「『吾輩は猫である』は『ガリヴァー旅行記』
の影響のもとに書かれた二番煎じの作品だ」
「ホフマン『牡猫ムルの人生観』やメルヴィル
『白鯨』の影響を受けているという説もありま
す」
「漱石が研究したのは十八世紀の英文学だ。
ドイツ文学やアメリカ文学ではない」


ページ移動 ⇒ [ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 終了] <照会>
 
「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2014 Sakana Hasebe