夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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厭世文学
   2008/3/20 (木) 08:56 by Sakana No.20080320085600

3月20日

「常識文学の次は厭世文学の評論にとりかか
ります。厭世文学の代表的作家はジョナサン・
スウィフト(1667-1745)です」
「スウィフトの『ガリヴァー旅行記』は少年
少女向けの面白い物語だ。これを読んで厭世
的になった日本人の少年少女がいたらお目に
かかりたい」
「少年少女向けのダイジェスト版は小人国と
大人国への荒唐無稽な旅行譚という印象が強
いのですが、原作を読めば厭世文学だという
ことがわかります」
「厭世文学というより諷刺文学だろう」
「でも漱石先生が厭世文学と称しておられま
す」
「それは漱石が倫敦でノイローゼになり、厭
世的な気分のときに読んだからではないのか」
「馬の国では馬が高貴な動物であるのに対し
てヤフー(人間)は醜悪下劣な動物となってい
ます。ヤフーのような人間ばかりの世の中な
ら誰だって厭世的になるでしょう」
「スウィフトが厭世的な作家なら自殺してい
るはずだが、88歳まで長生きをしたという事
実から判断すると、それほど厭世的な人物で
はなかったはずだ」
「自殺は魂の死を意味します。アイルランド
教会の司祭をつとめたスウィフトが自殺する
わけにはいきません」
「厭世的になりながら88歳まで長生きをする
とはご苦労様なことだ」




滑稽、諷刺、厭世
   2008/3/23 (日) 10:03 by Sakana No.20080323100343

3月23日

「滑稽文学←→諷刺文学→厭世文学。漱石先
生の講義によれば、三者の関係はこういう図
式であらわされるようです」
「そんな幼稚な図式を漱石が使っているのか」
「いえ、これは私のボンクラ頭を合点させる
ため便宜的につくった図式です。滑稽小説と
諷刺小説とは相異なる。そして、諷刺小説の
一部は厭世小説なのです」
「滑稽物と諷刺物を区別する基準は何だ」
「滑稽物の読者に与える影響は、未来におい
て、読者がその滑稽を再演して見たくなる傾
向を帯びてくる点であり、これに反して読者
の諷刺物から得る影響は、同じく未来におい
て、読者がこの被諷刺的地位を避けようとす
る傾向です。もしこの被諷刺的地位におちい
ってしまえば、個人として自己の人格を傷つ
けられる不安の念が生じてきます」
「ふむ。それで、厭世物は?」
「被諷刺的地位が、人類一般に共通な普遍性
から出ていて、人間は誰もそれを免れること
ができない場合には、諷刺は一変して絶望暗
黒なる厭世文学になります」
「スウィフトの『ガリヴァー旅行記』がその
代表作という訳か。滑稽文学と諷刺文学の代
表作は?」
「たとえば、十返舎一九『東海道中膝栗毛』
は滑稽小説、ジョージ・オーウェル『動物農
場』は諷刺小説です」


生きた影響
   2008/3/26 (水) 07:55 by Sakana No.20080326075503

3月26日

「スウィフトの諷刺は如何なるものであるか、
諷刺とは元来どんなものであるかについて、
漱石先生は論じておられます」
「諷刺とはどんなものだというのか」
「そもそも文学は私たちの趣味(テースト)
の表現(エキスプレッション)です」
「それがどうした」
「文学はある意味において、私たちの好悪、
好き嫌いを表すものです。このある意味にお
いてという言葉を説明していないと誤解がで
きやすいので、ちょっとお断りをしておきま
すと・・・」
「おいおい、話がどんどん横道にそれている
ぞ」
「漱石先生の頭脳は緻密なのです。論理の筋
道をあきらかにしなければ前に進めません」
「勝手にしろ」
「すべての文学作品は普通以上の広義からみ
た場合の訓戒を読者に与えます」
「この年になって今さら訓戒なんか受けたく
ない」
「そういう人は成長がストップしています。
本を読もうとしません。ところが、本を読も
うとする人は訓戒されたがっている。つまり、
生きた影響を本から受けたがっているのです」
「それが諷刺とどういう関係があるのか」
「結論をそう急がないでください」
「おれは忙しいのだ」
「では続きは次回ということで・・・」



活きた影響
   2008/3/29 (土) 08:26 by Sakana No.20080329082614

3月29日

「すみません。漱石先生の『文学評論』を読
み直してみると、<生きた影響>ではなく、
<活きた影響>と書いてありました」
「同じような意味だろう」
「ニュアンスが違うと思いますが、そういえ
ば、<生きた影響>と書いてある個所もあり
ますね。岩波文庫版の誤植でしょうか」
「そんなことはどうでもいい。本を読む読者
は活きた影響を受けたがっているというが、
作者はどうなんだ」
「作者は事実(もしくは想像によって多少変
化された事実)から得ています。つまり、作
者が自然から受けた<活きた影響>を書いた
ものが文学です」
「作者だって他の作者が書いた本から影響を
受けるだろう」
「他の作者が書いた本も自然ですが、作者に
とっての自然はそれだけではありません。活
きた影響とは、有機的に私たちの生命の一部
を構成するもので、枯死した断片的な知識と
は違います」
「きみのように誰かの本を読んで得た請け売
りの知識をとくとくとしゃべっているのとは
違うというか」
「私のことは放っておいてください。とにか
く、活きた影響は未来の行為行動を幾分でも
支配する傾向を帯びています。つまり、趣味
(テースト)になるのです」
「活きた影響を受けるということは作者の趣
味が読者の趣味になるということか」


趣味に付着する好悪
   2008/4/1 (火) 09:09 by Sakana No.20080401090932

4月1日

「趣味には必ず好悪がともないます」
「文学作品の評価は、結局、好きか嫌いかに
つきる」
「好悪は選択を生じます。選択の結果はいず
れ発現して、行為、動作、言語となります」
「必ずしもそうなるとはいえない」
「そうならなくても、それを発現しようとす
る傾向が脳裏にあるのです」
「だからどうした」
「つまり、活きた影響とは好悪の付着してい
るあるものということになります」
「堂々めぐりだ。要するに好きか嫌いかにつ
きる」
「そこで、この好悪に二字について誤解を防
いでおく必要があります」
「しつこい奴だな。また、横道にそれて、枝
葉の議論になってきた」
「でも、<文学はある意味において、私たち
の好悪、好き嫌いを表すものである>という
場合の<ある意味で>を説明しておかないと
誤解が生じるおそれがあります。だからこそ、
好悪の二字について誤解を防いでおく必要が
あるのです」
「好き嫌いに理屈はない。誤解もくそもある
ものか」
「それでも念には念を入れ、誤解を防いでお
かなければなりません」


ある意味の意味
   2008/4/4 (金) 08:09 by Sakana No.20080404080926

4月4日

「文学はある意味において、私たちの好悪、
好き嫌いを表すものです」
「わかったよ」
「このある意味においてという言葉を説明し
ておきます」
「勝手にしろ」
「文学者の取り扱う材料を類別すると、真偽
の方面から見る材料、善悪の方面から見る材
料、美醜の方面から見る材料、壮劣の方面か
ら見る材料があります」
「その外にも類別のやり方はあるだろう」
「便宜上、このように類別しておきましょう」
「勝手にしろ」
「善悪や美醜や壮劣の方面から見る材料には
初めから好悪の念がともなっています。しか
し、真偽の方面から見る材料にも好悪の念が
ともなっているでしょうか」
「自然の事実はすべて真だ。想像の事実も作
者が真だと思いこんでいれば真だ。好悪の入
る余地はない」
「そうだとすれば、真偽の方面から見る材料
に関するかぎり、文学は私たちの好悪、好き
嫌いを表すものではないという理屈になりま
す」
「なるほど。しかし、ある種の作者(あるい
は読者)にとって何よりも重要なのは真偽だ。
善悪や美醜や壮劣の材料よりも真偽の材料を
好む」
「その通りです。そこに好悪が発生していま
す。したがって、文学はある意味において、
私たちの好悪、好き嫌いを表すものであると
いうことができるのです。おわかりいただけ
たでしょうか」
「わかったよ」


世の中
   2008/4/7 (月) 12:24 by Sakana No.20080407122447

4月7日

「文学は私たちの趣味(テースト)の表現
(エキスプレッション)、即ち、ある意味に
おいて、私たちの好悪、好き嫌いを表すもの
です」
「わかった。わかった」
「おわかりいただけたようですので、次に進
みます」
「異議なし」
「この人生において私たちは世の中で暮らし
ています。世の外から世の中を眺めているの
ではありません」
「おれは超然と世の中を眺めておるぞ」
「戦争で家が焼かれても超然としていられま
すか」
「戦争反対!」
「泥棒が侵入して家人を殺しても超然として
おられますか」
「・・・」
「人間が超然として生きていくのは不可能で
す。真偽の材料のみを対象とし、ただ真の一
字のために、自分の好き嫌いを支配されるほ
ど呑気な立場には立っていません。善悪の方
面からも、美醜の方面からも、壮劣の方面か
らも、盛んに好き嫌いをたくましくして世相
を眺めているのです」
「そうだろうか」
「あらためてお伺いしますが、世の中を面白
く感じておられますか。それとも癪にさわっ
てしかたがないという気分ですか」
「どちらでもない。おれは超然としていたい
のだ」
「判断停止で、逃げているのではないですか。
あげ足をとられないように」






文学の類別
   2008/4/10 (木) 07:45 by Sakana No.20080410074504

4月10日

「作者が世相を眺めてどう感じるかによって
文学を類別してみます」
「そう簡単に烏や鷺のように類別はできない
だろう」
「講義の便宜上、エイヤッと、類別しましょ
う。まず、世相を面白く感じて生まれるのが
楽天的文学──そのうち、現在の世相に満足
するのが写実的、過去に満足を表するのは歴
史的、未来もしくは想像上の世相に満足を表
するのは理想的な文学です」
「ふむ。すると理想主義のユートピア小説だ
けでなく、地味な写実小説や史実に基づく歴
史小説も楽天的文学ということになる」
「それに対して世相が癪になって仕方がない
と感じている作者がつくるのが悲観文学、諷
刺文学、厭世文学です」
「過去や未来の世相が癪にさわるといって憤
慨する作者はいない」
「そうですね。過去を悪んだり、未来を悲観
したりするよりも、われわれにとっては現在
の世相が一番癪にさわります」
「つまり、十八世紀英国の世相が癪にさわる
とスウィフトは思っていたということか」
「そうですね。それがスウィフトの諷刺文学
あるいは厭世文学を理解するカギの一つです」



怠惰にして無能
   2008/4/13 (日) 07:55 by Sakana No.20080413075516

4月13日

「ジョナサン・スウィフト(1667年-1745年)
の厭世文学は生い立ちに由来していると思い
ます」
「生い立ちが悲惨なのか」
「生まれる前に父親が亡くなっています。母
親は自活の道に窮し、ジョナサンを捨てて、
アイルランドからイングランドに渡ってしま
いました」
「それで孤児院か養育家庭で育てられたのか」
「伯父のゴドウィンが育てました。キルケニ
ー・グラマースクールへ通わせてくれたそう
です」
「立派な伯父さんだ」
「さらに、十四歳の時、ダブリンのトリニテ
ィ・カレッジに入学しています」
「孤児にしては恵まれている」
「頭はよかったようですが、どこかひねくれ
ていたのか、少しも学課を勉強せず、校則も
守りません。いざ卒業という時に、学校は
Dulness and Insufficiency(怠惰にして且つ
無能)という理由でバチェラー・オブ・アー
ツの学位を与えませんでした」
「きみも怠惰にして且つ無能だが」
「私の場合は特別なはからいで与えられたの
です。ジョナサンも結局は学業劣等品行不良
にもかかわらず特別の詮議をもって学位を授
けられています」
「そんな人間でも生きていける世の中を厭う
とはけしからん。罰があたるぞ」


自尊心
   2008/4/16 (水) 08:13 by Sakana No.20080416081312

4月16日

「ジョナサン・スウィフトは自尊心の強い男
でした」
「孤児という生い立ちと関係があるのかな」
「オックスフォードの伯爵が彼に若干の金を
贈った時、その贈り方が気に喰わぬといって、
一度ならず二度迄も謝罪させたそうです」
「伯爵が貧乏人に恵んでやるという態度をと
ったのだろう」
「ダニエル・デフォーを罵って名も無き犬と
か何とか云ったことがあります」
「名も無き犬どころか、『ロビンソン漂流記』
で有名な作者だ」
「酔っぱらって、家に帰らなかったバトラー
(執事)をクビにしたことがあります」
「それはバトラーが悪い」
「その時、スウィフトは「どんな復讐でもし
てみろ(Do the worst you dare, sir!)と言
いました」
「やろうと思えば復讐ができたのか」
「当時、スウィフトはアイルランドの銅貨鋳
造権に関する疑惑で、ドレーピアという仮名
を使い、Drapier's Letters(ドレーピアの消
息)という英国政府を攻撃する文書を発表し
ていました」
「それがどうした」
「英国政府は懸賞金を出してドレーピアが何
者かについての通報者をもとめていました。
クビになった以上、バトラーはスウィフトが
ドレーピアだと密告すれば、懸賞金をせしめ
ることができたのです」
「バトラーが密告するような男ではないこと
がスウィフトにはわかっていたのだろう」
「それにしても自尊心の強い男です」


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