夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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経済大国
   2008/2/19 (火) 08:59 by Sakana No.20080219085951

2月19日

「以上が夏目漱石『文学評論』による十八世
紀英国の状況一般の概略です」
「一言でまとめればどうなる?」
「経済大国でしょう。英国はこの一世紀で大
いに経済力をつけました」
「軍事大国ではないのか」
「もちろん軍事力もつけていますが、七年戦
争(1756-1763)やアメリカ独立戦争(1775-17
83)をのぞけば、大規模な戦争はあまりしてい
ません」
「植民地への侵略は盛んにやっている」
「それが経済力の増強につながったのです」
「植民地への侵略も戦争の一種だろう。奴隷
貿易や捕鯨などでも儲けている」
「そこはうまくやったのです。アメリカには
独立されてしまいましたが、インディアンの
国ではなく、アングロサクソン民族の支配す
る国ですから、親戚のようなものです」
「うまくやった理由は?」
「広い意味での文学の力だと思います。アダ
ム・スミスの『国富論』なども文学ですね。
要するに、十八世紀のイギリス人は文学的セ
ンスをみがいたのです」
「漱石がそう言っているのか」
「そうは言っていませんが、私がそのような
印象を受けました」


常識文学
   2008/2/22 (金) 08:49 by Sakana No.20080222084932

2月22日

「いよいよ文学評論の本論です」
「やっと本論か」
「のんびりいきましょう。まず、アヂソン
(1672-1719)とスチール(1672-1729)の常識文
学です」
「知らない名前だね」
「常識(common sense)は忘れさられる。常識
文学の作家も忘れされらるということなので
しょうか」
「そもそも文学のうち小説は英語ではnovel、
新しいという意味だ。新しいものを追求すれ
ば非常識なものになりやすい」
「二十一世紀の日本では、それが常識的な文
学観かもしれませんが、本来、文学は常識を
志向し、読者に常識の指針を示してくれるも
のだと私は思います」
「きみは非常識なことをいう」
「常識の重要性を主張することがなぜ非常識
になるのですか」


新聞ジャーナリズム
   2008/2/25 (月) 08:37 by Sakana No.20080225083711

2月25日

「アヂソンとスチールの作品発表の媒体は主
として自分たちの発行による新聞でした」
「ジャーナリズムのはしりか」
「新聞名は『タトラー』(1709年4月12日-17
11年1月2日まで週3回発行)、『ゼ・スペクテ
ーター』(1711年3年1日-1712年12月6日及び1
714年1月-1714年12月、日刊)、『ゼ・ガーヂ
アン』(1713312-1713年10月、日刊)です」
「『ゼ・スペクテーター』と『ゼ・ガーヂア
ン』は今でも発行されている」
「編集スタッフは変わっているでしょう。創
刊当初はどの新聞も編集者はアヂソンとスチ
ールで、筆者も主としてその二人でした」
「その他に寄稿者はいないのか」
「『ガリヴァー旅行記』のスウィフトや詩人
のアレキサンダー・ポープも寄稿しています」
「知人だったんだな」
「互いに珈琲店に寄り合っては談笑にその日
を暮らした朋友です」


礼儀作法
   2008/2/28 (木) 10:27 by Sakana No.20080228102735

2月28日

「アヂソンとスチールが『タトラー』『スペ
クテーター』『ガーヂアン』に寄稿したのは
礼儀作法や日常の談話法のようなものだった
ようです」
「そんなものが文学とは驚いた」
「二十一世紀の日本でもまさにそのような文
学がもとめられていると思います」
「『冠婚葬祭入門』の類ならあるよ。塩月弥
栄子という偉大な文学者がいるぞ」
「ちょっと古いですね。1970年の大ベストセ
ラーでした」
「もう38年前にもなるのか」
「アヂソンとスチールが書いたのは冠婚葬祭
の作法についてではありません。無愛想も過
ぎれば野蛮になる。丁寧もむやみだと無(ぶ)
しつけになる。こういう欠点を矯正しようと
したのです。そんな作家は英国では十八世紀
までいませんでした。また、何時口をきいて
よいか、何時差し控えるべきものか、断るに
はどうして断るものか、応じるにはどうして
応じるものか。こういうことも当時はよくわ
からなかった。そこで、アヂソンとスチール
が論陣をはって、英国人を常識的な国民にす
るようつとめたのです」
「それで、英国人は常識的になったのか」
「日本人と比較するとどうかわかりませんが、
フランス人よりは常識的な国民になったよう
です」


ナイフとフォーク
   2008/3/2 (日) 07:59 by Sakana No.20080302075902

3月2日

「食事のマナーで、食後にナイフとフォーク
をどのように置くかという問題についてアヂ
ソンは『スペクテーター』七号で論じていま
す」
「箸の正しい持ち方も知らないきみにはどう
でもいいことではないのか」
「アヂソンがある時、ディナーに招待され、
食後にナイフとフォークを食い違いに置いた
ところ、主婦が食い違いにせず、並べて下さ
いと言ったそうです」
「食い違いにすると、縁起が悪いとその主婦
は思ったのだろう」
「アヂソンはそう思いません。食後にはナイ
フとフォークを食い違いに置くのが常識であ
り、正しい食事のマナーだと思いこんでいま
す」
「それでどうした?」
「<家に帰って、人間の迷信の愚まいに伴う
弊害を考えて深き瞑想に沈んだ(Upon my return
home, I fell into a profound contemplation
on the evils of that attend these superstitious
follies of mankind.>そうです」
「おおげさだな。漱石のコメントは?」
「<中学生徒だって、こんな瞑想に沈むもの
は一人もいない。(アヂソンは)文芸のたし
なみがないのみならず、常識をはずれた瞑想
家だとも思われる>と言っておられます」
「アヂソンの常識は漱石の非常識のようだな」



衒学者
   2008/3/5 (水) 08:18 by Sakana No.20080305081838

3月5日

「学問をする男のうちで、最も性質(たち)
の悪い衒学者(ペダント)は、天分常識の欠
乏した上に、相当の好悪も分別もなくむやみ
に沢山書物を読んだ輩だ、学問はバカを千層
倍も厄介にすると、アヂソンは言っているそ
うです(『スペクテーター』第百五号)」
「ごもっともな説だ。きみの言動を観察して
いるとよくわかる」
「しかし、漱石先生は、この批評がもっとも
か、もっともでないかはアヂソンの見たる常
識(common sense)の性質如何によって決せら
れるべき問題であると言っておられます」
「アヂソンの常識とは、要するに、十八世紀
英国の貴族、紳士階級で学問のある人々の常
識だ。漱石のような東洋の島国からやってき
た田舎者の常識とは違う」
「漱石先生は田舎者ではありません。学問の
ある江戸っ子です。一度び常識の薫陶を受け
て、常識以上の修養をする機会がないと、現
在のすべてが永久に正当なものであるという
考えになってしまうということに気がついて
おられました」
「アヂソンは気がつかなかった」
「十八世紀倫敦の常識に満足していたのです」
「漱石の見解の通りだとすると、学問はバカ
を千層倍も厄介にするとアヂソンは言うが、
常識以上の修養をする機会をつかむにはやは
り学問が必要だという理屈になる」


訓戒的傾向
   2008/3/8 (土) 06:18 by Sakana No.20080308061816

3月8日

「アヂソンとスチールの述作の本位は訓戒的
傾向(moralizing tendency)であると、漱石
先生は言っておられます」
「昔も今も知識的文化人には訓戒的傾向がみ
とめられる」
「訓戒というのはお説教のこと、英語でいえ
ばモラル(moral=道徳)を説くことです」
「道徳教育は封建的な忠君愛国思想につなが
りかねないので、のぞましくない」
「そう考えて、道徳教育反対!と叫んでいた
連中が今や権力を握って、道徳を無視してい
ます。そんな連中が今さら、訓戒的傾向を示
したところで、若者はいうことをききません」
「漱石は何と言っている?」
「アヂソンとスチールの世界観は狭く、彼等
の訓戒は非芸術的だと批判的です」
「道徳に反対なのか」
「横からも、縦からも、斜めにみ見られる広
い世界を、ただ道徳の二字で貫いて、何でも
かんでも道徳的に眺めているアヂソンとスチ
ールの平面的限界、直線的視線を批判してお
られます」
「道徳は狭し、芸術は広しか。けしからん」


ウィットとヒューモア
   2008/3/11 (火) 09:28 by Sakana No.20080311092807

3月11日

「常識に富んだ都会人種の趣味はヒューモア
となって現れるるよりもむしろウイットとし
て現れるそうです」
「それも漱石の見解か」
「ええ、ヒューモアとは人格の根底から生じ
る可笑味(おかしみ)です。たとえば、ドン
キホーテとかフォルスタッフとか」
「それに対してウィットは?」
「人を笑わせるという結果を予期しておかし
みを演じたものです。つまり、内から湧いた
のではなく、外から取っつけた笑いがウィッ
トです」
「イギリス人はヒューモアに富み、フランス
人はウィットに富むという通説があるが、ア
ヂソンやスチールのようなイギリスの代表的
な常識文学の作者がウィットの人ということ
なら通説がくつがえる」
「日本の落語や漫才もユーモアの芸というよ
りはウィットの芸ということになります」
「漱石も江戸っ子で常識に富んでいるからユ
ーモアの人というよりウィットの人かな」
「でも、『吾輩は猫である』の苦沙弥先生に
は人格の根底から生じたようなおかしみがあ
りますね」


サラマンダー
   2008/3/14 (金) 07:30 by Sakana No.20080314073056

3月14日

「二個の類似観念を綜合する才をアヂソンは
ウィットと呼んでいたそうです」
「例をあげて説明してくれ」
「女をサラマンダー(山椒魚あるいは火蜥蜴)
に比較しています」
「そんなウィットは日本人には通じない」
「山椒魚は別名はんざきで、半分に身を裂か
れても生きているといわれている動物だが、
イギリスには火あぶりの刑に処せられても死
なないしたたかな女がいる──これは二個の
類似観念といえるのではないでしょうか」
「こじつければ何でも類似観念になるが、相
手に通じなければウィットは空振りだ」
「このウィットが通じない相手は常識がない
田舎者だとアヂソンは嗤うでしょう」
「アヂソンこそ倫敦の田舎に閉じこもって、
偉そうにしている山椒魚のような奴だ」

 "There is a species of women, whom I shall
distinguish by the name of salamanders. Now
a salamander is a kind of heroine in chastity,
that treads upon fire, and lives in the midst
of flames without being hurt. A salamander 
knows no distinction of sex in those she 
converses with, grows familiar with a stranger
at first sightm and is not so narrow-spirited
as to observe whether the person she talks to 
be in breeches or pesticides."
(世の中には一種の婦人連がある。余はこの婦
人連に敢てサラマンダーの名称を呈したい。サ
ラマンダーというのは、火の上を渡ったり、炎
のなかに住んでいて、怪我をしたためしがない
ほどに節操堅固な女豪をいうのである。サラマ
ンダーは相手が男だろうが女だろうがお構いな
しに話をする。一見直ちに旧知の如く親しくな
る。先方が袴をつけていようが、簪をさしてよ
うが、そんなことに頓着するような局量の狭い
女ではない)(『スペクテーター』百九十八号)


常識文学の特徴
   2008/3/17 (月) 08:29 by Sakana No.20080317082948

3月17日

「それではアヂソンとスチールに代表される
常識文学の特徴をまとめておきたいと思いま
す」
「今どき、漱石の講義ノートを理解しようと
するとは御苦労千万なことだ」
「(1)常識的
  (イ)明快さ(文章及び内容)
  (ロ)日常的に見聞できることに問題を
     かぎる
  (ハ)過度を嫌い突飛を忌む(→中庸)
 (2)訓戒的傾向
 (3)ヒューモアよりもウィット

 だいたいこんなところでしょうか」 
「儒教の教えに通じるものがあるかな。
<中庸の徳たるや、それ至れるかな>と孔
子は言っている」
「日常生活における行動の規範としては中庸
はのぞましいのですが、新しい文学を目指す
にしてはちょっとものたりないですね」
「新しい文学とやらはこれまでにたっぷり読
ませてもらった。もうたくさんだ」


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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
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