夏目漱石の『文学論』を読みとく

長谷部さかな 著
 
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はじめに (趣旨説明)
   2014/11/1 (土) 08:08 by Sakana No.20070501080808

 「夏目漱石の『文学論』を読みとく」というタイトル
を選びましたが、「読みとくつもり」あるいは「読みと
きたい」という意味です。「読みといた」という完了形
の意味ではないことを最初におことわりしておきます。
 魚ごときに難解な『文学論』が読みとけるものかと、
この試みを嘲笑する頭脳明晰な方もおられることは存じ
ておりますが、私なりに私の能力の及ぶ範囲内で読みと
いて、漱石先生の文学的遺産を継承したいというのが私
の願望です。黒船来航の百五十年後、日本の魚でも内発
的開化(『現代日本の開化』参照)ができないことはな
いと証明できればよいのですが。
 講義ノートは、太平の逸民二人による問答体を採用し
ました。これは退屈な講義に厭気がさして、途中でドロ
ップアウトしないようにと思いついた苦肉の策です。不
謹慎ともとれる見苦しい発言は観世音菩薩のような大度
量心で大目に見てください。
 岩波文庫版の『文学論』を私が入手したのは2007年5
月、Windows Vistaが発売されてからまもなくの頃でし
た。なんとか一通り読了したのが、4年半後の2011年11
月。ずいぶん時間をかけたのに、内容が十分に理解で
きたとはいえません。
 マーフィ氏、上田氏、ボーダッシュ氏の英訳を入手し、
気を取り直して、再読しはじめたのが2012年6月7日、
二度目の読了が2014年6月19日です。そのおかげで、文
学の全体像がおぼろげながら見えてきたかなという気も
していますが、錯覚かもしれません。
 現在は、英訳を参考にしながら、『文芸の哲学的基礎』
を読んでいます。この講義は『文学論』を補完する重要
な論点を含んでいます。
 パソコンの寿命は短いもので、Windows Vistaのサポ
ート期間は2017年4月11日までだそうです。なんとかそ
れまでには『文芸の哲学的基礎』と『私の個人主義』の
英訳も読了した上で、なんらかのかたちで感想をまとめ
たいと思っております。    (記:2014年11月1日)


一念発起
   2007/5/1 (火) 16:51 by Sakana No.20070501165136

5月1日

「本日はメーデー。そしてWindows Vistaのユ
ーザーになったことを記念し、一念発起しま
した」
「汝、いまさら何をホッキするや」
「明治三十八年九月のに東京帝国大学文科大
学に仮想留学して、夏目漱石先生の文学論の
講義をまじめに受講することにしたのです」
「文学とは何かわかっているのか」
「わかっていません」
「漱石はわかっていたのか」
「<余は小時好んで漢籍を学びたり。これを
学ぶ事短かきにも関らず、文学はかくの如き
者なりとの定義を漠然と瞑々裏に左国史漢よ
り得たり>と言っておられます」
「左国史漢とは『春秋左史伝』『国語』『史
記』『漢書』のことで、昔の読書人は四書五
経の次に読んだものだが、それだけでは西洋
の近代文学はわからんだろう」
「イギリスへ留学する前は、<英文学もまた
かくの如くなるべし>と自信満々だった漱石
先生ですが、<漢学に所謂文学と英語に所謂
文学とは到底同定義の下に一括し得べからざ
る異種類のものたらざるべからず>と壁にぶ
つかりました」
「それで神経衰弱になったか」
「しかし、流石は漱石先生で英文学を団子に
まるめて摂取、咀嚼、消化してしまわれた、
その成果がこれから私の受講しようとする文
学論です」
「せっかく一念発起したのならドロップアウ
トするなよ」
「はい、ドロップアンドドラッグしながらが
んばります」


漢学塾と英学塾
   2007/5/2 (水) 18:26 by Sakana No.20070502182648

5月2日

「漱石が、文学はかくの如き者なりとの定義
を漠然と瞑々裏に左国史漢より得たのは何歳
ころでしょうか」
「漢学塾二松学舎に入学したのが明治十四年
(1880)年だから十五歳のころかな」
「今なら中学三年生。それで<文学はかくの
如くなり>が漠然と瞑々裏にでもわかるもの
でしょうか」
「秀才なら今の中学三年生でもわかる」
「しかし、漱石が<漢学許り専門に習ってゐ
た>のは約一年許りです(談話「私の経過し
た学生時代」)。そんな短い期間に<文学は
かくの如き者なり」と言えるだけの力がつく
とは信じられません」
「吉田松陰、橋本左内、山田方谷など昔の秀
才は十五歳で堂々たる文章や漢詩をつくって
いる」
「漱石は、その後、1883年に神田駿河台の英
学塾成立学舎に入学。ここで頭角をあらわし
ましたが、いくら努力しても、<西洋の文学
はかくの如くなり>と納得することができず、
<漢学に所謂文学と英語に所謂文学とは到底
同定義の下に一括し得べからざる異種類のも
のたらざるべからず>と慨嘆したのです」
「要するに、東洋と西洋では文学の定義が違
うということだ」
「まず、その違いがわかっている必要があり
そうですね」


ガリバーとロビンソン
   2007/5/4 (金) 08:55 by Sakana No.20070504085543

「<漱石は東洋の伝統的な文学精神と英文学
のパトス(情念)との矛盾に悩み、日本人と
して異国の文学を研究することの困難と不安
を感じ続けていた>と某HP*で紹介されている
そうです」
「神経衰弱になる位だから困難と不安を感じ
たというのは嘘ではないが、その事実を認め
るのは漱石が自己に対しても他者に対しても
誠実だったことを示している」
「でも、困難と不安を感じてばかりいる先生
では頼りないですね」
「一見して弱気のようにみえるが、実は困難
と不安を克服し、自信をもって英文学作品を
論評している」
「そういえば、『ロビンソン・クルーソー』
の作者として有名なデフォーの小説は<読ん
でみるとどれもこれも長い気がする>といい、
デフォーの文体を下司で下卑ていると評して
います」
「西洋文学の請売り学者にはそんなことはい
えない。そこまで言えるのは漱石が英文学に
通暁していたからだ」
「一方、スイフト『ガリバー旅行記』は古今
の傑作と高く評価していますが、<只今では
何か小児だけが読む書物に成り下がった様で」
とコメントしています」
「『ガリバー旅行記』にしても『ロビンソン・
クルーソー』にしても、児童向けのダイジェ
スト版ではなく、全文をきちんと読んだ読者
なら漱石の論評の凄さがわかるだろう」
「進学塾と英会話塾にしか通っていないいま
どきの読者が全文を読んでいるでしょうか」
「漢学塾と英学塾で学んだ漱石先生の講義の
受講生ならみんな読んでいるだろう」


言ひおほせて何かある
   2007/5/5 (土) 07:26 by Sakana No.20070505072634

「漱石はスイフトの『ガリバー旅行記』を古
今の傑作と評価しています」
「さもありなん。『吾輩は猫である』の発想
はガリバーに似ている」
「『吾輩は猫である』はホフマンの『牡猫ム
ルの人生観』の発想を借用したものと言われ
ていますが」
「それは猫を結びつけただけの皮相な見方に
すぎない。風刺の精神を漱石はスイフトから
学んだのだ」
「でも風刺の質は違いますね。漱石の文章の
ほうが上品です」
「その通り。ガリバーはリリパット(小人国)
で宮廷の火事をオシッコで消火して女王の立
腹をかったが、漱石の小説にはそんなscatology
(排せつ物嗜好)はない」
「そういえば、スイフトの想像は<詩的と云
ふよりも寧(むし)ろ散文的>と評していま
す」
「漱石は漢詩の心得がある。詩心が風刺の文
章表現を抑制させ、洗練させているといっても
いい」
「それが漱石の弱点で、『吾輩は猫である』
はガリバーの物語のように人間社会を徹底
的に風刺する文学にはならなかったとはいえ
ませんか」
「言ひおほせて何かある」


「『文学論』以前の講義録
   2007/5/7 (月) 11:02 by Sakana No.20070507110218

5月7日

「ゴールデンウィークが終わりました」
「宿題の夏目漱石『文学論』は読了したのか」
「岩波文庫版の新刊は上巻だけですが、とり
あえず読了です」
「comprehension level(理解力のレベル)は?」
「30パーセント程度でしょうか」
「まあ、きみの脳みそならそんなところだろ
う」
「この『文学論』の講義は、明治三十六年四
月から六月まで行った最初の講義<英文学概
説(英文学形式論)>を、新学年の九月から
も同じく<英文学概説>として引きついだ講
義なんですね」
「『文学論』には最初の講義の部分がぬけて
いるのか」
「そうなんですよ。それで、いきなり、<凡
(およ)そ文学的内容の形式は(F + f)なる
ことを要す>などとのたまうので度肝をぬか
れたのです」
「最初の講義ではどんな講義をしたのだろう」
「『英文学形式論』です。文学の定義から説
き起こし、文学の形式を概観しています」
「なるほど、その続きとして、こんどは文学
の内容を説いたのが『文学論』というわけか」
「ええ、ですから、私としてはまず、漱石先
生の説く文学の定義を知りたいのですが、残
念ながら『文学論』にはそれがありません」
「漱石全集には載っているだろう」
「そうでしょうか。いずれにしても私の東京
帝国大学文科大学への仮想留学の時期は明治
三十八年九月から明治三十六年四月まで時期
を早めなければなりません」
「『文学論』以前の講義録が漱石全集に載っ
ているかな」
「それは調べた上で、またご報告します」



白頭茫然
   2007/5/8 (火) 07:58 by Sakana No.20070508075832

5月8日

「漱石はロンドンに留学して英文学の有名作
品の読書に没頭しますが、一年余経過したと
ころで、読み終えた本の甚だ僅少なるに驚き、
こんなやりかたではダメだと悟りました」
「先ず文学の全般に通じる必要を感じて古今
東西数千年の書籍を読破しようとする企てを
放棄したのか」
「かくの如くせば白頭に至るも遂に全般に通
ずるの期はあるべからず、と言っています」
「そういえば、きみは桑原武夫推奨の近代小
説五十篇をやっと読了したところで白頭だね」
「白頭茫然です」
「その点、漱石は賢明だった」
「<余は心理的に文学は如何なる必要があっ
て、この世に生れ、発達し、頽廃するかを極
めん」と彼は誓いました」
「ほう」
「<余は社会的に文学は如何なる必要があっ
て、存在し、隆興し、衰滅するかを究めん>
とも誓いました」
「心理的、社会的といっているが、その言い
方には左国史漢の影響がみてとれる」
「文学の尻尾を春秋や史記の歴史のようなも
のとしてつかまえようとしたのでしょうか」



曖昧朦朧
   2007/5/9 (水) 07:33 by Sakana No.20070509073357

5月9日

「図書館で漱石全集を調べてきました」
「『英文学概説』(『英文学形式論』)は載
っているか」
「載っていますが、漱石自身の草稿ではなく、
四人の学生のノートをまとめたものです」
「そんなノートが信頼できるのか」
「まあ、不備不完全なところもあるでしょう
が、当時の東京帝国大学文科大学英文学科の
学生は優秀でした。信頼していいでしょう」
「前任者のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)
の講義は人気があった。それに比べて退屈だ
と居眠りする学生が多かったのではないかな」
「でもクラスでいちばん優秀な四人のノート
だけあって、内容がよくわかります」
「やはり、文学とは何かの定義からはじまっ
ているのか」
「その通りです。私たちが日常使用する言語
の中には曖昧朦朧(vague and obscure)なもの
が多い。内容そのものを思考の材料とせず、
記号として使う。文学はその種の言葉の一つ
だと言っています」
「それで文学とは何ぞやの定義から講義をは
じめたわけだ」
「これでやっと私もスタートラインに立つこ
とができます」
「文学論のスタートラインは<凡(およ)そ
文学的内容の形式は(F + f)なることを要す>
ではないのか」
「その(F + f)で私はおちこぼれたのです。
『英文学概説』(『英文学形式論』からはじ
めれば、今度こそ、なんとか文学を理解する
ことができるでしょう」
「できるかな。甘くないと思うよ」


文学とlitera
   2007/5/17 (木) 08:21 by Sakana No.20070517082109

5月17日

「ウイキペディア百科辞典によれば、文学と
は言語表現による芸術作品の事をいうそうで
す」
「その定義では不十分だ。文学というわけの
わからない記号を芸術というもう一つのわけ
のわからない記号で説明している」
「芸術とは表現者あるいは表現物と、鑑賞者
とが相互に作用し合うことなどで、精神的・
感覚的な変動を得ようとする活動。とりわけ
表現者側の活動として捉えられる側面が強く、
その場合、表現者が鑑賞者に働きかけるため
にとった手段、媒体、対象などの作品やその
過程を芸術と呼ぶ。表現者が鑑賞者に伝えよ
うとする内容は、信念、思想、感覚、感情、
など様々であると、ウイキペディアは説明し
ています」
「<あるいは><など><とりわけ><側面
が強く><様々>・・・こんなあいまいな言
葉を使った定義では結局なにがなんだかわか
らず、頭が混乱するばかりだ。漱石先生は何
といっている」
「文学literatureという語はラテン語のlitera
(文字)という語が起源だそうです」
「漢文の文学の定義は?」
「漱石はそれには言及していませんが、当然
わかっていたはずです」
「ラテン語のliteraと漢文の文学を比較して
説明していないのか。
「漱石先生の講義は『英文学概説』(『英文
学形式論』)の講義です。漢文学概説でも比
較文学概説でもありません。ラテン語のlitera
と漢文の文学との比較はわたしたち学生が研
究しなければならないことです」


文学の定義
   2007/5/20 (日) 08:03 by Sakana No.20070520080316

「漱石の『英文学形式論』を読了しました」
「では、わかりやすく解説してくれ」
「困りましたね。難しいです」
「文学の定義からはじめているのだろう」
「ええ、ラテン語のlitera(文字)という語
に起源しているliterature(文学)の定義に
ついて、たとえば次のような諸説を紹介して
います」
「ずいぶん、いろんな説があるんだな」
「ほかにもありますが、省略しました」

*文学とは世界に此まで考へられ、云はれた
るものゝ最善(ベスト)を知得(アックエー
ント)させるものだ(アーノルド)。

*事実あるいは意見の記録で、文字化された
ものすべて(バックル)

*第一に、知識の文学があり、第二に、力の
文学がある。知識の文学の機能は──教える
ことであり、力の文学の機能は──感動させ
ること。知識の文学は単に推理分析する悟性
に訴えるものであり、力の文学は究極的に、
そうあり得べきことだが、最高の悟性ないし
理性に訴えるもので、必ず喜びと共感の感情
を通じて訴えかけるものである(ド・クウィ
ンスィー)

*文学とは、読者に喜びを与えるように配列
され書かれた、聡明な男女の思想と感情であ
る(ブルック)。

*文学は時代精神を表すものなり。

*文学は当時の風俗、習慣の反映なり。

*文学は吾人の情緒(センチメント)を上品
(レファイン)にし、趣味を純浄(ピュリフ
ァイ)するものなり。

*文学は美を目的とした一切の記述なり。

*芸術は模倣なり(アリストートル)

*かつて経験したことのある感情をみずから
の心の中に喚起し、その感情を運動、線、色
彩、音、ことばで表現された形によって喚起
したうえで、他人も同じ感情を経験するよう
にその感情を伝えること・・・これこそ芸術
の働きである(トルストイ、感応主義=
contagious theory)。

*芸術が人間の営みであるのは、次のことに
よる。すなわち、だれかが意識的に外に現れ
た記号を使って、自ら体験した感情を他人に
受け渡し、それらの人々はこれらの感情に感
染してその感情を体験するということ(シェ
レー、交感=sympathyを根底とした定義)。





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「夏目漱石の『文学論』を読みとく」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2014 Sakana Hasebe