則天去私の文学論 『中国篇:孔孟老荘』

長谷部さかな 著

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『薔薇戦争』まとめ
   2017/5/29 (月) 09:07 by Sakana No.20170529090735

『薔薇戦争』まとめ 2017年5月

・必然(neccesity)(1)
・必然(2)
・必然(3)
・逆境(adversity)(1)
・苦境(in heavy plight) 
・艱難辛苦(grievous thoughts)
・逆風(adverse wind)
・不幸な出来事(mischance)
・偶然(chance)
・奇遇(occasion)

「沙翁の歴史劇の中には則天去私につながる
ものがあるのではないかと思って、『薔薇戦
争』関連劇の読書会をはじめました。一ヶ月
経過したところで、手応えは如何ですか?」
「あるといえばある、ないといえばない」
「どうして、あるといえばあるのですか?」
「必然(necessity)が徳(virtue)だと考えれ
ば、必然的にそうなる」
「でも、そういう考え方は日本人にはなじま
ないですね」
「ギリシア哲学やキリスト教の神学を研究す
れば、ヒントが見つかるかも知れない」
「それでは、逆にどうしてないといえばない
のですか?」
「漱石が必然や偶然について言及した例が少
ないからだ」
「『明暗』には偶然のついての言及がありま
す」
「偶然を云々するだけでは則天去私の文学の
文学にはならない」

『英国篇:薔薇戦争』
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『多元的宇宙』まとめ
   2017/5/30 (火) 09:29 by Sakana No.20170530092925

『多元的宇宙』まとめ 2017年5月

・『思い出す事など』メモ(1)ー(7)
・主知主義に対するベルグソンの批判
・主知主義に対するベルグソンの批判(邦訳)
・主知主義的な方法

◎ウィリアム・ジェームズの『多元的宇宙』
は、修善寺の大患で九死に一生を得た夏目
漱石が病床で読み、「読みやすく明快であ
る」「良い本を読んだと思う」という感想
を、『思い出す事など』に記している。

◎「読みやすく明快である」と私は思わな
いが、「好い本」という漱石の評価からは
三年かけても読む価値がある本と信じたい。

◎方針としては、「第六講主知主義にたい
するベルグソンの批判」から読むことにす
る。病みあがりの漱石は、その後、第七講
と第八講もふくめて三日で読了したという
が、私の読解力では後半だけでも読了する
のに三年位はかかるかもしれない。
 
◎主知主義とは英語で"Intellectualism"。
漱石は理知主義としている。

『米国篇:多元的宇宙』
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『俳諧狂句』第一類 狂句 蛙篇
   2017/5/31 (水) 06:45 by Sakana No.20170531064551

『俳諧狂句』第一類 狂句 蛙篇 2017年5月

古池や蛙飛び込む水のをと   松尾芭蕉 
手をついて歌申ぐる蛙哉    山崎宗鑑?
だんびりと池に蛙の飛び入りて 竹馬狂吟集
歌軍文武二道の蛙かな     安原貞室
閣に座して遠き蛙を聞く夜かな 与謝蕪村
やせ蛙まけるな一茶これにあり 小林一茶
水がめに蛙うくなり五月雨    正岡子規
山吹や喉がふくれて啼く蛙    高濱虚子
青蛙おのれもペンキぬりたてか 芥川龍之介
蛙蛙独りぼっちの子と我と   種田山頭火

 俳諧狂句の名作十句を連作風にならべてみ
た。すべての句が蛙を題材としている。「か
わず」あるいは「かえる」と読む。川や池に
いる小さな蛙のことで、ガマガエル、食用ガ
エルなど大型蛙は含まない。

『日本篇:俳諧狂句』
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『薔薇戦争』まとめ 2017年6月
   2017/6/28 (水) 12:14 by Sakana No.20170628121459

2017年6月

・歴史劇(history plays)
・エドワード三世(Edward III)
・リチャード二世(Richard II)
・ヘンリー四世 (Henry IV)
・ヘンリー五世(Henry V) 
・ヘンリー六世(Henry VI)
・エドワード四世(Edward IV)
・リチャード三世(Richard III)
・ヘンリー七世(Henry VII)
・チューダー朝(Tudor dynasty)

「沙翁歴史劇のうちこの読書会でとりあげる
戯曲は『エドワード三世』から『ヘンリー七
世』までの八篇です」
「八篇に限定し、『ジョン王』や『ヘンリー
八世』を除外したわけは?」
「歴史的には百年戦争と薔薇戦争の時代、地
理的には主としてイングランドを舞台にした
歴史劇としました」
「フランスの戦場や宮廷の描写もある」
「フランスは百年戦争の交戦相手国です。い
ずれにしても、どこかで線引きをしなければ
なりません」
「エドワード三世からヘンリー七世まで八人
の国王の名前をならべているが」
「せめて国王の名前だけは覚えてください。
引用したセリフから性格もある程度はわかる
と思います」


『多元的宇宙』まとめ 2017年6月
   2017/6/29 (木) 08:26 by Sakana No.20170629082613

2017年6月

・論理は正しい尺度か
・主知主義に対するベルグソンの批判(2)
・特異な、ものの見方
・主知主義に対するベルグソンの批判(3)
・人間のオリジナリティ
・主知主義に対するベルグソンの批判(4)
・豊かな独創性
・主知主義に対するベルグソンの批判(5)
・主知主義に対するベルグソンの批判(6)
・まっすぐな文体

◎第六講 「主知主義に対するベルグソンの
批判」を読みはじめたが、私の知性のレベル
から判断すれば、ベルクソンの批判は主知主
義的な批判以外の何者でもない。

◎ベルクソンは独創的で、特異な考えをする。
彼の考えにはオリジナリティがある。そのよ
うな独創的な考えは、「まっすぐな文体」で
表現されているので、ジェームズのように高
いレベルの知性の持ち主には理解できるが、
知性のないぼんくら頭が理解するのは難しい。


『俳諧狂句』第二類 古句 
   2017/6/30 (金) 07:39 by Sakana No.20170630073937

『俳諧狂句』第二類 古句 2017年6月 

盗人を捕らえて見れば我が子なり 新撰犬筑波集
佐保姫の春立ちながら尿をして  山崎宗鑑
蚤虱馬が尿する枕もと      松尾芭蕉
花よりも團子やありて帰る雁   松永貞徳
白露や無分別なる置き所     西山宗因
真じ目に成るが人の衰へ     武玉川 三篇
本降りに成て出て行雨やどり   柳多留 初篇
子が出来て川の字形に寝る夫婦  柳多留 初篇
役人の骨っぽいのは猪牙に乗せ  柳多留 二篇
朝顔につるべ取られてもらひ水  加賀千代女

 江戸時代ないしそれ以前の古俳諧、古川柳
から適当に十句収集して第二類古句篇とした。
盗人、尿などを詠んだ句でも真面目に選んで
並べれば、白露にも劣らない無分別なる置き
所と思いたいが、やはり分別も少し働く。


『薔薇戦争』まとめ 2017年7月
   2017/7/31 (月) 10:08 by Sakana No.20170731100819

2017年7月

・必然(4)
・必然(5)
・必然(6)
・必然(7)
・必然(8) 
・必然(9)
・逆境(2)
・天意(1)
・天意(2)
・天意(3)
・天意(4)

「必然("necessity")と逆境("adversity")
および天意("heaven", "heavens")の使用例
をいくつか集めてみました」
「"necessity"には必然という意味と必要とい
う意味があり、日本語への翻訳では適宜使い
分けがされている」
「"necessity"は逆境と訳されることがあり、
その場合、"necessity"は"adversity"という
意味に近くなります」
「天意"heaven", "heavens")という意味に近
づくこともある」
「話し手の意志によって意味が違ってきます。
話し手がキリスト教徒の場合は、必然は天意
あるいは神意に近づくと思います」
「天意と神意は違うだろう」
「それについては、沙翁の歴史劇からもっと
使用例を収集した上で、検討することにしま
しょう」


『多元的宇宙』まとめ 2017年7月
   2017/7/31 (月) 10:11 by Sakana No.20170731101103

2017年7月

・主知主義に対するベルグソンの批判 (7)
・主知主義に対するベルグソンの批判 (8)
・主知主義に対するベルグソンの批判 (9)
・主知主義に対するベルグソンの批判(10)
・主知主義に対するベルグソンの批判(11)
・アキレスと亀
・詭弁の論破
・時間は無限に分割可能か
・自然は卵をいかにしてつくるか
・我々の時間知覚は脉をきざんでふえていく

◎第六講 「主知主義に対するベルグソンの
批判」の続きを読む。「アキレスは亀をおい
こすことはできない。なぜなら、アキレスが
亀に出発点に到達する時までには、亀はすで
にその出発点の先にでているから」というゼ
ノンの詭弁についてベルクソンが論じている。

◎時間は無限に分割可能であるという主知主
義的原則に立てば、ゼノンの詭弁を論破でき
ないが、我々の時間知覚が一定量の持続単位
のつみかさねだと考えれば論破できる。



『俳諧狂句』第三類 感覚F(時間)2017年7月 
   2017/7/31 (月) 10:15 by Sakana No.20170731101512

2017年7月 

松も時なり竹も時なり             道元
ときは今天が下しる五月哉      光秀
五月雨をあつめて早し最上川      芭蕉、
春の海ひねもすのたりのたりかな    蕪村
白髪同士春を惜しむもばからしや      一茶
ほととぎすほととぎすとて明けにけり 千代女
光陰の一幕過ぎてほととぎす         机鳥評宝十三812・拾一15
流れゆく大根の葉の早さかな        虚子
一日は長し一年すぐにたち         渓々
いつも鳴らない目覚まし時計        千田佳代

  夏目漱石『文学論』は文学的内容を感覚F、
人事F,超自然F、知識Fの4種に分類してい
る。感覚Fのうち時間の感覚らしきものを表現
したと思われる十句を並べてみた。時は金なり、
というが、松も時なり竹も時なりともいう。


則天去私の文学論ノート
   2017/8/4 (金) 08:30 by Sakana No.20170804083057

「文学論ノート」その一 

  則天去私の文学論ノート

 いかなる存念なるや、われながらよくわからないところもありま
すが、とりあえず見切り発車で、夏目漱石幻の論文といわれる『則
天去私の文学論』の資料収集をはじめることにしました。参考にす
るのは、村岡進編『漱石資料ー文学論ノート』(岩波書店)です。
 これは東北大学付属図書館で未整理のままになっていた漱石文庫
所蔵の漱石資料を村岡氏が整理した労作です。『文学論』はこれら
の資料にもとづいて構築されたと推測されています。『文学論ノー
ト』の延長戦上に『文学論』があるとはいえませんが、『文学論ノ
ート』なくして『文学論』はありえないとはいえるでしょう。
 それなら、幻の論文『則天去私の文学論』にも幻の資料がなけれ
ばなりませんが、それらしきものは『夏目漱石文学全集』には見あ
たりません。漱石の脳内にぼんやりと構想らしきものがあっただけ
のようです。
 とすれば、幻の論文『則天去私の文学論』に関しては、読者がそ
れらしき資料を自分で集めるしかないーーそう思って、私は自分だ
けの思いつきで沙翁の歴史劇(英国篇)やW・ジェームズの哲学論
文『多元的宇宙』(米国篇)を読み、断面的文学である俳諧狂句の
作品例の収集(日本篇)や天に関する孔孟老荘の箴言を収集(中国
篇)することにしたのです。もしかすると、『則天去私の文学論』
に役立つかもしれないし、根本的に文学とはいかなるものぞという
漱石の問いへの答が見つかるかもしれないと思ったからです。
 村岡進編『漱石資料ー文学論ノート』の中には「人生論覚え書き」
があり、次のように記されています。

  「生命の概念、生命の起源に関する諸説。生理学的に見た生命。
生の目的は生そのもの。いかに生きるべきかの問題は第二義的な目
的。いかに生きるべきかの問題を解決すると、関心の分化がはじま
る。労働と自然の恵みとが平衡関係にあるときは、いかに生きるべ
きかの問題は生じない。労働が余剰生産をもたらすときはじめてい
かに生きるべきかの問題がは生ずる。そして、生の分化がここには
じまる。その実例、富の蓄積より関心の分化が生ずる一方、社会は
実際的な関心において複雑に分岐する。そして道徳は衝動的道徳、
普通の道徳、一般原理の道徳に分化する」。

 これを読むと、漱石は「根本的に文学とは如何なるものぞ」とい
う問いとともに、「根本的に人生とは如何なるものぞ」という問い
をかかえていたことがわかります。おそらく漱石の意識内では文学
と人生が分かちがたく結びついていたのではないかと思われます。
 そういえば、「則天去私」という四文字熟語の言葉には文学論と
いうより人生論のひびきがあります。漱石が五十年にみたない人生
において「いかにして生くべきか」を考え続け、晩年になってよう
やく到達した人生観が「則天去私」だと思います。
 それは、「人生論覚え書き」によれば、第二義的な目的です。そ
れに対して第一義的な人生の目的は生そのものです。明治四十年に
東京美術学校で行った講演『文芸の哲学的基礎』で述べた表現によ
れば、「吾々は生きたいと云う念々(ねんねん)に支配せられてお
ります」。
 漱石が永眠したのは大正五年一二月九日です。息を引き取る前に、
漱石は、寝間着の胸をはだけながら「ここへ水をかけてくれ。死ぬ
と困るから」と叫んだそうです(夏目鏡子述『漱石の思い出』)。
これは第一義的な人生の目的である生そのものの叫びでしょう。一
方、娘婿の松岡譲らに「もう一度大学の講壇に立って新しい則天去
私の文学論を講じてみたい」と言ったのは、第二義的な人生の目的
からだと思います。
 そのことは、『文学論ノート』「人生論覚え書き」で、「生の目
的は生そのもの。いかに生きるべきかの問題は第二義的な目的。い
かに生きるべきかの問題を解決すると、関心の分化がはじまる」と
いう記述からも裏付けられると思います。
  それに関連して講演『文芸の哲学的基礎』の前半で述べた内容の
総括(そうかつ)が参考になるかもしれないので付記しておきます。

 (一)吾々は生きたいと云う念々(ねんねん)に支配せ
   られております。意識の方から云うと、意識には
   連続的傾向がある。
 (二)この傾向が選択(せんたく)を生ずる。
 (三)選択が理想を孕(はら)む。
 (四)次にこの理想を実現して意識が特殊なる連続的方
    向を取る。
 (五)その結果として意識が分化する、明暸(めいりょ
   う)になる、統一せられる。
 (六)一定の関係を統一して時間に客観的存在を与える。
 (七)一定の関係を統一して空間に客観的存在を与える。
 (八)時間、空間を有意義ならしむるために数を抽象して
   これを使用する。
 (九)時間内に起る一定の連続を統一して因果(いんが)
    の名を附して、因果の法則を抽象する。
                  (2017.08.03 H.Sakana記)


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則天去私の文学論 『中国篇:孔孟老荘』 長谷部さかな 著
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