『文学論』──自己本位の読み方のまとめ

長谷部さかな 著
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概括的真理
   2015/7/27 (月) 07:23 by Sakana No.20150727072331

7月27日

「文学的内容の基本成分に関連してもう一つ
興味深い話題は、俚諺、格言で表現される概
括的心理です」
「たとえば?」
「『ドン・キホーテ』第三十三章の"Honesty 
is the best policy.(正直は最良の策)は、
抽象的な一種の概念ですが、サンチョ・パン
サがいうと、情緒をともなって読者に訴える
力が強いと思います」
「浪漫的な夢想に生きているドン・キホーテ
に対して、サンチョ・パンサは常識的な世界
観によって生活している」
「風よりも軽いものは女である、というミュ
ッセのセリフはどうでしょう」
「それは格言、俚諺というより皮肉だろう」
「可哀想だた惚れたって事よ、は?」
「愚劣の極だ」
「作家なら、智(ち)に働けば角(かど)が
立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流さ
れる。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうく
つ)だ、のように口調がよく、なるほどその
通りと読者を納得させる新しい俚諺、格言を
創るのが望まれますね」

「本当にそうだ。せんだってミュッセ(フラ
ンスの詩人・小説家・劇作家)の脚本を読ん
だらそのうちの人物が羅馬(ローマ)の詩人
を引用してこんな事を云っていた。――羽よ
り軽い者は塵(ちり)である。塵より軽いも
のは風である。風より軽い者は女である。女
より軽いものは無(む)である。――よく穿
(うが)ってるだろう。女なんか仕方がない」
         (『猫』六)

智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じ
ょう)に棹(さお)させば流される。意地を
通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とか
くに人の世は住みにくい。(『草枕』)

先生が、ある脚本のなかにある句を有名だと
いって紹介する。「Pity is akin to 1ove. 
という句だ」。それを何と訳すか、四人で試
みる。与次郎が「これは俗謡でいかなければ
駅目」といって、「可哀想だた惚れたって事
よ」というと先生は「下劣の極だ」と苦い顔
をする。    (『三四郎』)


文学的内容の分類
   2015/7/30 (木) 05:29 by Sakana No.20150730052930

7月30日

「漱石先生は文学的内容(Literary Substance)
の基本成分(The Constituent Elements of Literature)
を列挙した後に、文学的内容を次の4種に分類
しておられます。
  感覚的F (sensation F)
  人事的F (personification F)
  超自然的F (metaphisicial F)
  知的F (intellectual F)
この分類についてどう考えますか」
「せっかく苦労してまとめあげた分類だが、残
念ながらわが国の文壇では貴重な文学的遺産と
しては認知されていない。漱石の『文学論』は
ムダな空鉄砲だったのではないか」
「貴重な文学的遺産を生かし切れなかったのは
漱石先生の責任ではなく、後世の読者の責任だ
と思います」
「そもそも文学的内容(Literary Substance)と
やらのそんな分類に何の意味があるのか」
「それは『文学論』を熟読すればよくわかるは
ずです」
「文学論読みの文学論知らず。熟読してもきみ
のようにあまりピンときていないような間抜け
顔の奴がいる」
「(めげずに)知識はすべて内容と形式から成
り立っています。凡そ文学的内容の形式は(F+f)
なることを要す(One can perhaps approach the 
form of literary substance with the expression 
of (F + f)」---translation by Joseph A. Murphy)



文学作品の分類
   2015/8/2 (日) 05:19 by Sakana No.20150802051902

8月02日

「文学的内容(Lierary Substance)の分類と
いうのは漱石先生独特の創見によるものです
が、私のような凡庸な読者にとっては単純に
文学作品(Literary works)の分類について考
えたほうがわかりやすいと思います」
「凡庸な頭でも理解できるのはどんな分類だ
ろう」
「伊藤整『文学入門』によれば、文学作品は
記録文学、物語文学、詩歌の三つに分けられ
ています。もっとも感覚的なものは詩歌、も
っとも現実そのものに近いのが記録文学です」
「物語文学は?」
「竹取物語、源氏物語のような空想の世界を
描いたもので、その起こりは多く宗教と関係
があるようです」
「小説と詩に分けたり、あるいは叙事詩、抒
情詩、小説、戯曲と分ける。さらに小説を長
編小説、中編小説、短編小説に分けたり、詩
を散文詩や抒情詩や叙事詩や劇詩に分けたり
することもできる」
「でも、そのような一般的な区別の仕方には
あまり意味がないですね。やはり文学作品を
伊藤整のように記録文学、物語文学、詩歌に
分けるか、文学的内容を漱石先生のように、
感覚F、人事F、超自然F、知的Fに分けて
考えるのが、まっとうな文学者のやることだ
と思います」


文学的内容の分類(感覚F)
   2015/8/5 (水) 08:37 by Sakana No.20150805083721

8月5日

「それでは文学的内容の分類のうち、まず感
覚Fの文例を漱石作品から拾ってみましょう」
「文学作品でもっとも感覚的なのは詩歌だと
いうが、行水の女に惚れる鴉かな という虚
子のデカダン俳句も詩歌のうちか」
「そうでしょうね。舞台の真中へ大きな柳を
一本植え付けて、その柳の幹から一本の枝を
右へスッと出させて、その枝へ烏(カラス)
を一羽とまらせる。その下へ行水の盥を出し
て、裸の美人が横向きになって手拭を使って
いる──今や美人が盥で行水する時代ではあ
りませんが、想像するだけで、私の感覚には
訴えてきます」
「明治大正時代の古めかしいレトロ感覚だ」
「紫の女はどうですか」
「『虞美人草』か。藤尾という女にそんな同
情をもってはいけないと漱石は云っている。
あれは嫌な女だ。詩的であるが大人しくない。
徳義心が欠如した女である。あいつを仕舞に
殺すのが一遍の主意である。うまく殺せなけ
れば助けてやる。しかし助かればなおなお藤
尾なる人間は駄目な人間になる。あれは厭な
女だ」
「朝日新聞に連載がはじまると、三越が虞美
人草浴衣を売り出し、飛ぶように売れるほど
の評判になりました。そして、藤尾が死ぬと、
抗議の手紙が朝日新聞に殺到したそうです」
「作者の感覚と読者の感覚にずれがある例だ
ともいえよう」

「先ず道具立てから話すが、これも極簡単な
のがいい。舞台の真中へ大きな柳を一本植え
付けてね。それからその柳の幹から一本の枝
を右の方へスッと出させて、その枝へ烏(カ
ラス)を一羽とまらせる」「烏がじっとして
いればいいが」と主人が独り言のように心配
した。「何わけは有りません。烏の足を糸で
枝へ縛り付けて置くんです。でその下へ行水
盥を出しましたね。美人が横向きになって手
拭を使っているんです」「そいつは少しデカ
ダンだね。第一誰がその女になるんだい」と
迷亭が聞く。「何これもすぐ出来ます。美術
学校のモデルを雇って来るんです」「そりゃ
警視庁がやかましく云いそうだな」と主人は
心配している。(行水の女に惚れる烏かな 
虚子)(『猫』六)

 紅(くれない)を弥生(やよい)に包む昼
酣(たけなわ)なるに、春を抽(ぬき)んず
る紫(むらさき)の濃き一点を、天地(あめ
つち)の眠れるなかに、鮮(あざ)やかに滴
(した)たらしたるがごとき女である。夢の
世を夢よりも艶(あでやか)に眺(なが)め
しむる黒髪を、乱るるなと畳める鬢(びん)
の上には、玉虫貝(たまむしかい)を冴々
(さえさえ)と菫(すみれ)に刻んで、細き
金脚(きんあし)にはっしと打ち込んでいる。
静かなる昼の、遠き世に心を奪い去らんとす
るを、黒き眸(ひとみ)のさと動けば、見る
人は、あなやと我に帰る。半滴(はんてき)
のひろがりに、一瞬の短かきを偸(ぬす)ん
で、疾風の威(い)を作(な)すは、春にい
て春を制する深き眼(まなこ)である。この
瞳(ひとみ)を遡(さかのぼ)って、魔力の
境(きょう)を窮(きわ)むるとき、桃源
(とうげん)に骨を白うして、再び塵寰(じ
んかん)に帰るを得ず。ただの夢ではない。
糢糊(もこ)たる夢の大いなるうちに、燦
(さん)たる一点の妖星(ようせい)が、
死ぬるまで我を見よと、紫色の、眉(まゆ)
近く逼(せま)るのである。女は紫色の着
物を着ている。(『虞美人草』)


文学的内容の分類(人事F)
   2015/8/8 (土) 07:47 by Sakana No.20150808074730

8月8日

「次は人事F──文学的内容の主流は何とい
っても感覚Fと人事Fです」
「たしかに、超自然的Fと知的Fは影が薄い。
ホラー小説や哲学小説では文学的内容の主流
にはなり得ない」
「天璋院の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの
御っかさんの甥の娘──というのはわかりに
くい人事ですが、そう云われてみると、わけ
がわからないままに、なんとなくおかしいで
すね」
「天璋院篤姫の秘書の妹の嫁入り先の姑の甥
の娘なんぞ人事的に面白くもなんともない」
「たしかにそのこと自体は面白くないですね。
それにひきかえ、『坊っちゃん』が紹介して
くれる中学校の先生方の描写は面白い。あだ
名のつけ方が実にうまいと感心しました」
「狸と赤シャツはわかるが、うらなりは説明
しないとわからない」
「大概顔の蒼(あお)い人は瘠(や)せてる
もんだがこの男は蒼くふくれている。(中略)。
蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄
子を食った酬(むく)いだと思う。この英語
の教師もうらなりばかり食っているに違いな
い」
「山嵐は?」
「これは逞(たくま)しい毬栗坊主(いがぐ
りぼうず)で、叡山(えいざん)の悪僧(あ
くそう)と云うべき面構(つらがまえ)であ
る。人が叮寧(ていねい)に辞令を見せたら
見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊
びに来給(きたま)えアハハハと云った。何
がアハハハだ。そんな礼儀(れいぎ)を心得
ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこ
の時からこの坊主に山嵐という渾名(あだな)
をつけてやった
「それに、野だいこ?」
「画学の教師は全く芸人風だ。べらべらし
た透綾(すきや)の羽織を着て、扇子(せん
す)をぱちつかせて、お国はどちらでげす、
え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来
て……私(わたし)もこれで江戸っ子ですと
云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生
れたくないもんだと心中に考えた」

「御師匠さんはあれで六十二よ。随分丈夫だ
わね」六十二で生きているくらいだから丈夫
と云わねばなるまい。吾輩は「はあ」と返事
をした。少し間(ま)が抜けたようだが別に
名答も出て来なかったから仕方がない。「あ
れでも、もとは身分が大変好かったんだって。
いつでもそうおっしゃるの」
「へえ元は何だったんです」「何でも天璋院
(てんしょういん)様の御祐筆(ごゆうひつ)
の妹の御嫁に行った先(さ)きの御(お)っ
かさんの甥(おい)の娘なんだって」「何で
すって?」「あの天璋院様の御祐筆の妹の御
嫁にいった……」「なるほど。少し待って下
さい。天璋院様の妹の御祐筆の……」「あら
そうじゃないの、天璋院様の御祐筆の妹の…
…」「よろしい分りました天璋院様のでしょ
う」「ええ」「御祐筆のでしょう」「そうよ」
「御嫁に行った」「妹の御嫁に行ったですよ」
「そうそう間違った。妹の御嫁に入(い)っ
た先きの」
「御っかさんの甥の娘なんですとさ」「御っ
かさんの甥の娘なんですか」「ええ。分った
でしょう」「いいえ。何だか混雑して要領を
得ないですよ。詰(つま)るところ天璋院様
の何になるんですか」「あなたもよっぽど分
らないのね。だから天璋院様の御祐筆の妹の
御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なん
だって、先(さ)っきっから言ってるんじゃ
ありませんか」「それはすっかり分っている
んですがね」「それが分りさえすればいいん
でしょう」「ええ」と仕方がないから降参を
した。吾々は時とすると理詰の虚言(うそ)
を吐(つ)かねばならぬ事がある。(『猫』二)

 今日学校へ行ってみんなにあだなをつけ
てやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英
語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学は
野だいこ。(『坊っちゃん』)



文学的内容の分類(超自然F)
   2015/8/11 (火) 05:56 by Sakana No.20150811055611

8月11日

「こんどは超自然F(metaphysical F)の文例
を拾ってみました」
「metaphysicalを辞書でひくと、形而上学の、
哲学的な、きわめて抽象的な、難解なという
意味になる。超自然というのとすこしニュア
ンスが違うのではないか」
「supernatural とするとオカルトっぽくな
りますね。翻訳者のJoseph A. Murphyが頭を
ひねったところでしょう」
「<天地万有は神が作ったそうな>というの
は超自然的な神を信じている信者ではなく、
懐疑的な知識人の発言のように聞こえる。超
自然的Fというより知的Fの文例だろう」
「まあ、metaphysical Fならそれでいいので
す。それはともかく、自分が前世で人殺しだ
ったことを背中の子から告げられるというの
は超自然的に不気味だと思いませんか」
「たしかに超自然的な話だが、夢ならDNAに組
み込まれた前世の記憶がよみがえることもあ
るかもしれない」
「記憶というのは、ふだんは忘れていて、あ
るきっかけでふっと思い出すものです。『明
暗』で津田が<ああ、世の中にはこんなもの
が存在していたのだっけ。どうして今までそ
れを忘れていたのだろう>という場面があり
ます」
「忘れていたことを思い出すのも超自然Fな
ら、高齢者の日常は超自然的Fだらけだ」

 天地万有は神が作ったそうな、して見れば人
間も神の御制作であろう。現に聖書とか云うも
のにはその通りと明記してあるそうだ。さてこ
の人間に就いて、人間自身が数千年来の観察を
積んで、大(おおい)に玄妙不思議がると同時
に、益々神の全智全能を承認する様に傾いた事
実がある。それは外でもない。人間も斯様(か
よう)にうじゃうじゃ居るが同じ顔をしている
者は世界中に一人も居ない。顔の道具は無論極
っている。大きさも大概似たり寄ったりである。
換言すれば彼等は皆同じ材料から作り上げられ
ている。同じ材料で出来ているにも関わらず一
人も同じ結果に出来上っておらん。よくもまあ
あれだけの簡単な材料でかくまで異様な顔を思
い就いた者だと思うと、製造家の伎倆に感服せ
ざるを得ない。(『猫』五)

 雨の中で小僧の声は判然聞えた。自分は覚え
ず留った。いつしか森の中へ這入(はい)って
いた。一間(いっけん)ばかり先にある黒いも
のはたしかに小僧の云う通り杉の木と見えた。
「御父(おとっ)さん、その杉の根の処だった
ね」
「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。
「文化五年辰年(たつどし)だろう」
 なるほど文化五年辰年らしく思われた。
「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年
前だね」
 自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前
文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根
で、一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然
(こつぜん)として頭の中に起った。おれは人
殺(ひとごろし)であったんだなと始めて気が
ついた途端(とたん)に、背中の子が急に石地
蔵のように重くなった。(『夢十夜』第三夜)

 馬車はやがて黒い大きな岩のようなものに突
き当ろうとして、その裾(すそ)をぐるりと廻
り込んだ。見ると反対の側(がわ)にも同じ岩
の破片とも云うべきものが不行儀に路傍(みち
ばた)を塞(ふさ)いでいた。台上(だいうえ)
から飛び下りた御者(ぎょしゃ)はすぐ馬の口
を取った。
 一方には空を凌(しの)ぐほどの高い樹(き)
が聳(そび)えていた。星月夜(ほしづきよ)
の光に映る物凄(ものすご)い影から判断する
と古松(こしょう)らしいその木と、突然一方
に聞こえ出した奔湍(ほんたん)の音とが、久
しく都会の中を出なかった津田の心に不時(ふ
じ)の一転化を与えた。彼は忘れた記憶を思い
出したような気分になった。「ああ、世の中に
はこんなものが存在していたのだっけ。どうし
て今までそれを忘れていたのだろう」
              (『明暗』)


文学的内容の分類(知的F)
   2015/8/14 (金) 07:22 by Sakana No.20150814072218

8月14日

「知的Fの文例をご紹介します。猫と『明暗』
の津田とどちらが知的か。比較しながら読んで
ください」
「どうしてあの女はあすこへ嫁に行ったのだろ
う、などと考える津田より、老人に禄なものが
居ない、という猫のほうが知的だろうね」
「津田はまだ三十歳、老人ではありません。そ
れに、ポアンカレを知っているインテリです」
「ポアンカレというのは誰だ?」
「位相幾何学の定理などを考えた偉大な数学者
です」
「しかし、津田はポアンカレではない。新婚の
妻がいるのに、あすこへ嫁に行った女に逢いに
ふらふらと湯河原の湯治場へ行くようなおろか
な男だ」
「世に住めば事を知る。事を知るのは年を取る
の罪ですぞ。津田の行為の明暗を批判する資格
は老人にはありません」

 世に住めば事を知る。事を知るは嬉しいが日
に日に危険が多くて、日に日に油断がならなく
なる。狡猾になるのも卑劣になるのも表裏二枚
合わせの護身服を着けるのも皆事を知るの結果
であって、事を知るのは年を取るの罪である。
老人に碌なものが居ないのはこの理だな。吾輩
なども或は今のうちに多々良君の鍋の中で玉葱
と共に成仏する方が得策かも知れん。
               (『猫』五)

 彼は二三日(にさんち)前ある友達から聞い
たポアンカレーの話を思い出した。彼のために
「偶然」の意味を説明してくれたその友達は彼
に向ってこう云った。「だから君、普通世間で
偶然だ偶然だという、いわゆる偶然の出来事と
いうのは、ポアンカレーの説によると、原因が
あまりに複雑過ぎてちょっと見当がつかない時
に云うのだね。ナポレオンが生れるためには或
特別の卵と或特別の精虫の配合が必要で、その
必要な配合が出来得るためには、またどんな条
件が必要であったかと考えて見ると、ほとんど
想像がつかないだろう」
 彼は友達の言葉を、単に与えられた新らしい
知識の断片として聞き流す訳に行かなかった。
彼はそれをぴたりと自分の身の上に当(あ)て
篏(は)めて考えた。すると暗い不可思議な力
が右に行くべき彼を左に押しやったり、前に進
むべき彼を後(うし)ろに引き戻したりするよ
うに思えた。しかも彼はついぞ今まで自分の行
動について他(ひと)から牽制(けんせい)を
受けた覚(おぼえ)がなかった。する事はみん
な自分の力でし、言う事はことごとく自分の力
で言ったに相違なかった。「どうしてあの女は
あすこへ嫁に行ったのだろう。それは自分で行
こうと思ったから行ったに違ない。しかしどう
してもあすこへ嫁に行くはずではなかったのに。
そうしてこのおれはまたどうしてあの女と結婚
したのだろう。それもおれが貰(もら)おうと
思ったからこそ結婚が成立したに違ない。しか
しおれはいまだかつてあの女を貰おうとは思っ
ていなかったのに。偶然? ポアンカレーのい
わゆる複雑の極致? 何だか解らない」
 彼は電車を降りて考えながら宅(うち)の方
へ歩いて行った。(『明暗』)


人生は文学にあらず
   2015/8/18 (火) 08:34 by Sakana No.20150818083435

8月17日

「文学的内容の基本成分を一瞥し、文学的内
容を4種、即ち感覚F、人事F、超自然F、
知的Fに分類する方法を教わりました。何か
ご質問はありますか」
「そんな文学的内容の基本成分やら文学的内
容の分類に意味があるのか」
「あると思えばあります。ないと思えばない」
「では、そもそも文学は人生に必要なのか」
「文学は人生にあらず。ですが、人生に必要
と思えば必要です」
「ならば、知的fは何処にありや?」
「知的fは喚起し得る情緒が少なく、文学的
内容としての位置が弱いのです」
「それにしても、読心術を心得た猫という趣
向の小説だが、猫はにゃーにやーというだけ
で、人間の言葉は話せない。猫の心を読んで
筆記している者がいるはずだが。その筆記者
は、苦沙弥か漱石か金之助か」
「そんなことはどうでもよいでしょう。それ
より、『猫』は知的Fの小説として成功して
いるかに見えますが、超自然的Fの小説かも
しれません。そして、情緒的要素fがたっぷ
りふくまれています」
「文学が人生に必要だと思うのは知的Fのは
たらきか」
「そうとは限りません。文学的内容は情緒f
を主とす」
「『坑夫』の回想記は『猫』ほど面白くない」
「それは知的な趣向が素人の読者の情緒fに
伝わりにくいからです。船乗りになって堕落
した記憶がある私には『坑夫』の面白さがす
こしわかるるような気がします」

 吾輩は猫である。猫の癖にどうして人の心
中をかく精密に記述し得るかと疑ふものがあ
るかも知れんが、此位(このくらい)な事は
猫にとって何でもない。吾輩は是で読心術を
心得て居る。いつ心得たなんて、そんな余計
な事は聞かんでもいゝ。ともかく心得て居る。
人間の膝の上へ乗って眠ってゐるうちに、吾
輩は吾輩の柔らかな毛衣(けごろも)をそっ
と人間にこすり付ける。すると一道の電気が
起って彼の腹の中の行きさつが手にとる様に
吾輩の心眼に映ずる。(『猫』九)

  よく小説家がこんな小説を書くの、あんな
性格をこしらえるのと云って得意がっている。
読者もあの性格がこうだの、ああだなと分っ
たような事を云っているが、ありゃ、みんな
嘘をかいて楽しんだり、嘘を読んで嬉しがっ
ているるんだろう。本当のことは小説家など
に書けるものじゃないし、書いたって小説に
なる気づかいはあるまい。本当の人間は妙に
纏めにくいもので、神様でも手古ずるくらい
纏まらない物体だ。(『坑夫』)


直接経験と間接経験
   2015/8/20 (木) 05:10 by Sakana No.20150820051037

8月20日

「人生は文学にあらず。私たちが文学に期待
する要素は理性よりもむしろ感情ですが、人
生そのものは必ずしも情緒fを主とするもの
ではありません。人生における直接経験のf
と読書や観劇による間接経験のfとの間には
ずれがあります」
「それがどうした」
「『文学論』第二編 文学的内容の数量的変
化 に進む前に、よく理解しておいたほうが
よいと思ったものですから」
「そんなことは云われなくてもわかっている」
「猫が雑煮を食べて、苦しまぎれに踊ってい
るのを子どもたちが見て笑う場面があります。
おそらく読者の多くはここで笑うでしょう。
そんな読者は同情心がないと思いますか」
「猫の身になって考えれば、人間は同情の乏
しい動物だ」
「猫が子どもに笑われることは猫にとっては
直接体験ですが、小説の読者がその場面を読
んで、笑ったり、あるいは同情したりするの
は間接体験です」
「なるほど。坊っちゃんは田舎の中学の教師
になって同僚の野だに玉子を八つも投げつけ、
相手が尻持をついたのをみて、成功したなど
と言う。現実にこんな暴力教師が息子の中学
の担任なら、問題になりそうだね」、
「小説を読むという間接体験であれば、読者
は何の疑問も抱かず、痛快痛快と坊っちゃん
に拍手を送る──これも文学的内容の数量的
変化の一例といえるでしょう」

 とうとう小供に見付けられた。「あら猫が
御雑煮を食べて踊を踊っている」と大きな声
をする。この声を第一に聞きつけたのが御三
である。羽根も羽子板も打ち遣(や)って勝
手から「あらまあ」と飛込んで来る。細君は
縮緬(ちりめん)の紋付で「いやな猫ねえ」
と仰せられる。主人さえ書斎から出て来て
「この馬鹿野郎」といった。面白い面白いと
云うのは小供ばかりである。そうしてみんな
申し合せたようにげらげら笑っている。腹は
立つ、苦しくはある、踊はやめる訳にゆかぬ、
弱った。ようやく笑いがやみそうになったら、
五つになる女の子が「御かあ様、猫も随分ね」
といったので狂瀾(きょうらん)を既倒(き
とう)に何とかするという勢でまた大変笑わ
れた。人間の同情に乏しい実行も大分(だい
ぶ)見聞(けんもん)したが、この時ほど恨
(うら)めしく感じた事はなかった。
              (『猫』二)

 おれはいきなり袂へ手を入れて、玉子を二
つ取り出して、やっと云いながら、野だの面
(つら)へ擲(たた)き付けた。卵子がぐち
ゃりと割れて鼻の先から黄味がだらだら流れ
出した。野だは余っ程仰天したものと見えて、
わっと言いながら、尻持をついて、助けてく
れと云った。おれは食う為に玉子は買ったが、
打(ぶ)つける為めに袂へ入れてる訳ではな
い。然し野だが尻持を突いたところを見て始
めて、おれの成功した事に気がついたから、
此畜生、此畜生と云いながら残る六つを無茶
苦茶に擲(たた)き付けたら、野だは顔中黄
色になった。(『坊っちゃん』)


文学的内容の数量的変化
   2015/8/23 (日) 05:30 by Sakana No.20150823053009

8月23日

「『文学論』第一編は、文学的内容の分類 
でした。第二編は、文学的内容の数量的変化
です」
「第一編のねらいは、わからぬこともないが、
第二編の数量的変化は何がねらいなのか。理
数を苦手とする文学青年や文学老人にはわか
りにくい」
「焦点的印象または観念の二方面、即ち認識
的要素(F)と情緒的要素(f)が増減する
ことはおわかりでしょう」
「む・・・・・・」
「今一個人の生涯を通じて観察すると、赤ん
坊、幼年、少年、成年時代を通じて認識力が
変化しており、二様の特性がみとめられます。
第一に識別力の発達、第二に識別すべき事物
の増加です」
「Fが時とともに増加するものであることは
わかる。だが、数量的に如何なる原則の下に
推移しつつあるかがわかったところで、文学
的内容を理解するのに何の役にもたたない」
「そんなことはありません」
「では、たとえば幸福は数量化できるのか」
「功利主義者ベンサムは最大多数の最大幸福
(the greatest happiness of the greatest 
number)をもって道徳の原理としました」
「そんなもの、あてになるか。文学的内容の
基本成分の一つで、古今の文学、ことに西洋
の文学の90パーセントは恋の情緒をふくんで
いると漱石はいうが、恋が数量化できるはず
がない」
「百年の恋もさめる──恋が増減することは
間違いありません。『文学論』第二編の着眼
点の一つはそこにあります」

 三毛子はこの近辺で有名な美貌家である。
吾輩は猫には相違ないが物の情けは一通り心
得ている。うちで主人の苦い顔を見たり、御
三の剣突を食って気分が勝れん時は必ずこの
異性の朋友の許(もと)を訪問して色々な話
をする。すると、いつの間にか心が晴々して
今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生れ
変った様な気持になる。(『猫』一)

  三毛子は、どうかしたのかな。何だか様子
が変だと蒲団の上へ立ち上る。チーン南無猫
信女誉、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と御師匠
さんの声がする。
「御前も回向をして御遣りなさい」
 チーン南無猫信女誉南無阿弥陀仏南無阿弥
陀仏と御師匠と今度は下女の声がする。吾輩
は急に動悸がしてきた。座布団の上に立った
まま、木彫の猫の様に眼も動かさない。
           (『猫』二)

 しばらくして、女がまたこう云った。
「死んだら、埋(う)めて下さい。大きな真
珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来
る星の破片(かけ)を墓標(はかじるし)に
置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて
下さい。また逢(あ)いに来ますから」
 自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでし
ょう。それからまた出るでしょう、そうして
また沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、
東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、
待っていられますか」
 自分は黙って首肯(うなず)いた。女は静
かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていて下さい」と思い切った声で
云った。
「百年、私の墓の傍(そば)に坐って待って
いて下さい。きっと逢いに来ますから」
 自分はただ待っていると答えた。すると、
黒い眸(ひとみ)のなかに鮮(あざやか)に
見えた自分の姿が、ぼうっと崩(くず)れて
来た。静かな水が動いて写る影を乱したよう
に、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちり
と閉じた。長い睫(まつげ)の間から涙が頬
へ垂れた。――もう死んでいた。 
         (『夢十夜』第一夜)


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「『文学論』──自己本位の読み方のまとめ」 長谷部さかな 著
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