『文学論』──自己本位の読み方のまとめ

長谷部さかな 著
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人類の心理作用──怒
   2015/6/27 (土) 05:43 by Sakana No.20150627054354

6月27日

「恐怖の次は怒です。最近、怒ったことがあ
りますか?」
「怒っちゃあいけねぇよと、四六時中、自分
に言い聞かせている」
「御父さん、たまには怒ってください。まだ
枯れてしまうのは惜しい」
「どうやら体内から怒液がなくなってしまっ
たようだ」
「鈍液と憂液ばかりでは、神経が鈍くなり、
人間が陰気になります。もっと陽気にいきま
しょう」
「血液ならまだ若干残っている」
「血液サラサラですか」
「サラサラとまではいかないが、循環はして
いる。だから若し逆上する者があらば血液よ
り外にはあるまい」

古来欧州人の伝説によると、吾人の体内には
四種の液が循環しておったそうだ。第一に怒
液と云う奴がある。これが逆さに上ると怒り
出す。第二に鈍液と名づくるのがある。これ
が逆さに上がると神経が鈍くなる。次には憂
液、これは人間を陰気にする。最後が血液、
これは四肢を壮(さか)んにする。その後人
文が進むに従って鈍液、怒液、憂液はいつの
間にかなくなって、現今に至っては血液だけ
が昔の様に循環しているという話だ。だから
若し逆上する者があらば血液より外にはある
まいと思われる。(『猫』八)

「御父さんは怒っている」
 代助は答をしなかった。ただ遠い所を見る眼
をして、兄を眺めていた。
        (『それから』)



同情 
   2015/7/1 (水) 05:23 by Sakana No.20150701052344

6月30日

「猫は有名になるにつれて、だんだん人間か
ら同情を寄せられるに従って、己が猫である
事を忘却してきます」
「たかが猫のくせに、偉そうな態度をとるよ
うになる」
「人間がそうですね。ちょっと世間で知名度
があがってチヤホヤされると、ほんとうに自
分が偉くなったかのような錯覚を抱いてしま
います」
「西洋の詩は同情だとか、愛だとか、正義だ
とか、自由だとか、浮世の勧工場にあるもの
だけで用を弁じている」
「浮世の勧工場とはデパートのことでしょう。
愛だとか、正義だとか、自由だとかは、新聞、
雑誌、テレビ、ラジオ、インターネットだの
でよく見かけます」
「日本も西洋の影響を受けて、ずいぶん変わ
ったが、うれしい事に東洋の詩歌はそこを解
脱したのがある。彩菊東籬下、悠然見南山。
只それぎりの裏(うち)に暑苦しい世の中を
まるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣
の娘が覗いている訳でもなければ、南山に親
友が奉職している次第でもない。超然と出世
間的に利害損得の汗を流し去った心持になれ
る」

先達ては主人の許(もと)へ吾輩の写真を送
ってくれと手紙で依頼した男がある。この間
は岡山の名産吉備団子(きびだんご)を態々
(わざわざ)吾輩の名宛で届けてくれた人が
ある。だんだん人間から同情を寄せらるるに
従って、己(おのれ)が猫である事は漸く忘
却してくる。(『猫』三)

ことに西洋の詩になると、人事が根本になる
から所謂詩歌の純粋なるものもこの境を解脱
する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛
だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧
工場にあるものだけで用を弁じている。
            (『草枕』)


両性的本能(恋)
   2015/7/3 (金) 05:37 by Sakana No.20150703053704

7月3日

「古今の文学、ことに西洋の文学の90パーセ
ントは恋の情緒をふくんでいます。特に小説、
戯曲の類は恋の分子なしに存在することはほ
とんど不可能といってもよいでしょう」
「漱石の小説も恋の分子をたっぷりふくんで
いる」
「そうですね。以前にまとめたリストに『趣
味の遺伝』をつけ加えて再掲します」

趣味の遺伝   ○  河上浩一    小野田の令嬢
吾輩は猫である X  珍野苦沙弥   細君
坊っちゃん   △  坊っちゃん   マドンナ
草枕      △  予(画工)   那美
野分      X  白井道也    妻君
虞美人草    ○  甲野欽吾    (藤尾)小夜子 糸子
坑夫           △    自分      艶子 澄江
夢十夜     ○  自分      百合の女
三四郎     ○  小川三四郎   里見美禰子
それから    ○  長井代助    平岡三千代(旧姓:菅沼)
門       △  野中宗助    御米
彼岸過迄    ○  須永市藏    田口千代子
行人      ○  長野一郎    お直
こころ     △  先生      静
道草      X  健三      お住
明暗      ○  津田由雄    津田延子 関清子

「『趣味の遺伝』の趣味とは、DNAにイン
プットされた異性への好みというような意味
です」
「猫の恋も春先になるとさかりがついて、
妙な声を出すようにDNAにインプットされ
ているらしい」


 ほのかに承われば世間には猫の恋とか称す
る俳諧趣味の現象があって、春さきは町内の
同族共の夢安らかぬまで浮かれ歩るく夜もあ
るとか云う。(『猫』五)

 御母さんの仰(おお)せには「近頃一人の
息子を旅順で亡(な)くして朝、夕淋(さみ)
しがって暮らしている女がいる。慰めてやろ
うと思っても男ではうまく行かんから、おひ
まな時に御嬢さんを時々遊びにやって上げて
下さいとあなたから博士に頼んで見て頂きた
い」とある。早速博士方へまかり出て鸚鵡
(おうむ)的口吻(こうふん)を弄(ろう)
して旨(むね)を伝えると博士は一も二もな
く承諾してくれた。これが元で御母(おっか)
さんと御嬢さんとは時々会見をする。会見を
するたびに仲がよくなる。いっしょに散歩を
する、御饌(ごぜん)をたべる、まるで御嫁
さんのようになった。とうとう御母さんが浩
さんの日記を出して見せた。その時に御嬢さ
んが何と云ったかと思ったら、それだから私
は御寺参(おてらまいり)をしておりました
と答えたそうだ。なぜ白菊を御墓へ手向(た
む)けたのかと問い返したら、白菊が一番好
きだからと云う挨拶であった。
     (『趣味の遺伝』)




嫉妬
   2015/7/6 (月) 05:45 by Sakana No.20150706054510

7月6日

「人類の心理作用で厄介なものの一つは嫉妬
です。猫はあまり嫉妬しないようですが」
「嫉妬は漱石作品、特に後期三部作の『彼岸
過迄』『行人』『こころ』で繰り返してとり
あげられているテーマだ」
「恋とからむ複雑情緒ですね」
「恋だけではない。ライバルへの嫉妬や兄弟
姉妹への嫉妬もある」
「『行人』の一郎は弟の二郎に対して嫉妬し
ているのではなく、妻の直に対して嫉妬して
いるのでしょう」
「それで、節操を試すために一緒に和歌山へ
行き、一泊してきてくれと弟に頼んだ。異常
心理としか思えない」
「それに比べると、『彼岸過迄』の須永市
藏の嫉妬は可愛いものです」
「それほど愛してもいない女でも、他の男と
親しくするのを見せつけられると、嫉妬する。
そのため、貴方は卑怯です。徳義的に卑怯で
すと千代子に言われてしまった」
「『こころ』の先生の嫉妬ぶりも情けないで
すね」
「先生と呼ばれるほどの馬鹿だ」

 横町を左へ折れると向うに高いとよ竹の様
なものが屹立(きつりつ)して先から薄い烟
(けむり)を吐いている。これ即ち洗湯であ
る。吾輩はそっと裏口から忍び込んだ。裏口
から忍び込むのを卑怯とか未練とか云うが、
あれは表からでなくては訪問する事が出来ぬ
ものが嫉妬半分に囃し立てる繰り言である。
昔から利口な人は裏口から不意を襲う事にき
まっている。(『猫』七)

 彼女は此所へ来て急に口籠つた。不敏な僕
は其後へ何が出て来るのか、まだ覚れなかつ
た。「御前に対して」と半ば彼女を促がす様
に問を掛けた。彼女は突然物を衝き破つた風
に、「何故嫉妬なさるんです」と云ひ切つて、
前よりは劇しく泣き出した。僕はさつと血が
顔に上る時の熱りを両方の頬に感じた。彼女
は殆んど夫を注意しないかの如くに見えた。
 「貴方は卑怯です、徳義的に卑怯です。妾が
叔母さんと貴方を鎌倉へ招待した料簡さへ貴
方は既に疑つて居らつしやる。それが既に卑
怯です。が、それは問題ぢやありません。貴
方は他の招待に応じて置きながら、何故平生
の様に愉快にして下さる事が出来ないんです。
妾は貴方を招待した為に恥を掻いたも同じ事
です。貴方は妾の宅の客に侮辱を与へた結果、
妾にも侮辱を与へてゐます」
             (『彼岸過迄』)

「二郎驚いちゃ不可(いけ)ないぜ」と兄が
繰返した。そうして現に驚いている自分を嘲
ける如く見た。自分は今の兄と権現社頭の兄
とを比較してまるで別人の観をなした。今の
兄は翻(ひる)がえし難い固い決心を以て自
分に向つているとしか自分には見えなかった。
「二郎己は御前を信用している。御前の潔白
な事は既に御前の言語が証明している。それ
に間違はないだろう」
「ありません」
「それでは打ち明けるが、実は直の節操を御
前に試して貰いたいのだ」
 自分は「節操を試す」という言葉を聞いた
時、本当に驚いた。当人から驚くなという注
意が二遍あったに拘わらず、非常に驚いた。
只あっけに取られて、呆然としていた。
「何故今になってそんな顔をするんだ」と兄
が云った。  
・・・(中略)・・・
「試すって、どうすれば試されるんです」
「御前と直が二人で和歌山へ行って一晩泊っ
て呉れれば好いんだ
「下らない」と自分は一口で退ぞけた。する
と今度は兄が黙った。
       (「行人」)

 そのうち御嬢さんの態度がだんだん平気に
なって来ました。Kと私が一緒に宅(うち)
にいる時でも、よくKの室の縁側へ来て彼の
名を呼びました。そうして其所へ入って、ゆ
っくりしていました。無論郵便を持って来る
事もあるし、洗濯物を置いて行く事もあるの
ですから、その位の交通は同じ宅にいる二人
の関係上、当然と見なければならないのでし
ょうが、是非お嬢さんを専有したいという強
烈な一念に動かされている私には、どうして
もそれが当然以上に見えたのです。ある時は
御嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避し
て、Kの方ばかりへ行くように思われる事さ
えあったのです。 (『こころ』)


誠実
   2015/7/9 (木) 06:09 by Sakana No.20150709060934

7月9日

「一般に誠実や正直は人間の好ましい性質と
されています」
「さあ、どうかな」
「あなたは真っ直ぐでよい御気性だと坊っち
ゃんは下女の清に言われました」
「単なる馬鹿正直にすぎない」
「越智東風はどこまでも誠実で軽薄なところ
がありません。迷亭などとは大違いです」
「しかし、越智東風の新体詩は面白くない。
迷亭の法螺や作り話のほうが読者を楽しませ
てくれる」
「誠は天の道なり」
「されど、人の道にあらず」
「そういいながら、高等遊民の代助は三千代
との道ならぬ恋におぼれ、人の道にはずれる
行為にはしりました」
「恋は女の道なり、親爺の道にあらず」

「しかしあの男はどこまでも誠実で軽薄なと
ころがないから好い。迷亭などとは大違いだ」
と主人はアンドレア・デル・サルトと孔雀
(くじゃく)の舌とトチメンボーの復讐(か
たき)を一度にとる。
          (『猫』二)

「あなたは真っ直ぐでよい御気性だ」
          (『坊っちゃん』)

「若い人がよく失敗(しくじる)というが、
全く誠実と熱心が足りないからだ。己も多年
の経験で、この年になるまで遣って来たが、
どうしてもこの二つがないと成功しないね」
「誠実と熱心があるために、却って遣り損う
こともあるでしょう」
「いや先(まず)ないな」
 親爺の頭の上に誠者天之道也と云う額が麗
々と掛けてある。先代の旧藩主に書いて貰っ
たとか云って、親爺は最も珍重している。代
助はこの額が甚だ嫌である。第一字が嫌だ。
その上文句が気に喰わない。誠は天の道なり
の後へ、人の道にあらずと附け加えたいと様
な心持がする。 (『それから』)


自己の情(ego)
   2015/7/12 (日) 05:42 by Sakana No.20150712054250

7月12日

「次に自己の情、即ちegoについての感慨の文例
をさがしてみました」
「それは漱石文学の根幹をなす重要なテーマ。自
己の心を捕えんと欲する人々は、『こころ』を読
めというのが漱石自身の推奨の弁だ」
「人間は誰でもいざという間際には悪人になる。
他人も信じられないし、自分も信じられないとい
うおそろしい真実について考えさせられます」
「そんな消極的なメーセージの作品を推奨して
ほしくない」
「自己の情には積極、消極の二種があります。
積極とは意気、慢心、高振、押強等、消極とは
謙譲、小心、控え目等をふくみます」
「猫の観察によれば、元来人間というものは自
己の力量に慢じてみなんな増長している。『虞
美人草』の藤尾や小野さんがその例だ」
「増長と成長はちがいます。漱石先生は小心で
控え目という消極的な自己の情の持ち主だった
のですが、ロンドンで自己本位という言葉を自
分の手に持ってから大変強くなり、成長しまし
た。『文学論』は積極的な自己の情の産物です」


「元来人間というものは自己の力量に慢じてみ
んな増長している。少し人間より強いものが出
て来て窘(いじ)めてやらなくてはこの先どこ
まで増長するか分らない」(『猫』一)

 自己をまのあたりに物色した時、小野さんは
自己の住むべき世界を卒然と自覚した。先生に
釣りこまれそうな際どいところで急に忘れ物を
したような気分になる。先生には無論分らぬ。
            (『虞美人草』)

自己の心を捕えんと欲する人々に、人間の心を
捕え得たる此作物を奨む。
(『心』広告文(「時事新報」大正3年9月26日)

 私はこの自己本位という言葉を自分の手に持
ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと
気概が出ました。今まで茫然と自失していた私
に、此所に立って、この道からこう行かなけれ
ばならないと指図をしてくれるものは実にこの
自我本位の四字なのであります。
           (『私の個人主義』)



   2015/7/14 (火) 09:10 by Sakana No.20150714091028

7月15日

「『文学論』でRibot『情緒の心理』からとり
あげられている人類の内部心理作用の項目には
笑はありません。漱石作の小説でも後期の作品
では笑が影をひそめていますが、前期の作品に
は笑の要素がたっぷりあって、読者を楽しませ
てくれます。文例をすこしだけ拾ってみました」
「笑には爆笑、哄笑、失笑、嘲笑、冷笑、憫
笑、苦笑、微笑、嬌笑、艶笑、愛想笑い、大
笑い、ばか笑い、せせら笑い、薄笑い、泣き
笑い、作り笑い、忍び笑い、思い出し笑い、
ほくそ笑みといろいろある」
「苦沙弥先生が後架で<これは平の宗盛で候>
と謡いをはじめると、みんながそら宗盛だと
吹き出す。こういう笑は爆笑か嘲笑なんでし
ょうね」
「微笑や愛想笑いでないことはたしかだ」
「赤シャツのホホホという笑いをどう思いま
すか」
「坊っちゃんが単純なのを笑ったのだ。これ
も嘲笑の類だ」
「清はこんな時に決して笑った事はない。大
に感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツ
よりよっぽど上等だとありますね。教養では
赤シャツ文学士のほうが上ですが、人間とし
ては下女の清のほうが上等だという価値観の
顛倒がみられます」
「『草枕』で那美さんのホホホホという鋭く
笑う声は?」
「風呂場における裸体美人の鋭笑か──不気
味だね」

 元来この主人は何といって人に勝(すぐ)れ
て出来る事もないが、何にでもよく手を出した
がる。俳句をやってほととぎすへ投書をしたり、
新体詩を明星へ出したり、間違いだらけの英文
をかいたり、時によると弓に凝(こ)ったり、
謡(うたい)を習ったり、またあるときはヴァ
イオリンなどをブーブー鳴らしたりするが、気
の毒な事には、どれもこれも物になっておらん。
その癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心だ。後
架(こうか)の中で謡をうたって、近所で後架
先生(こうかせんせい)と渾名(あだな)をつ
けられているにも関せず一向(いっこう)平気
なもので、やはりこれは平(たいら)の宗盛
(むねもり)にて候(そうろう)を繰返してい
る。みんながそら宗盛だと吹き出すくらいであ
る。 (『猫』一)

 赤シャツはホホホと笑った。別段おれは笑わ
れるような事をいった覚えはない。今日ただ今
に至るで、これでいいと硬く信じている。考え
てみると世間の大部分の人はわるくなることを
奨励しているように思う。悪くならなれければ
社会に成功はしないものと信じているらしい。
たまに正直な純粋な人をみると、坊っちゃんだ
の小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。それじゃ
小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろを倫
理の先生が教えないほうがいい。いっそ思い切
って、学校で嘘をつく法とか、ひとを信じない
術とか、ひとを乗せる策を教授する方が、世の
ためにも当人のためにもなるだろう。赤シャツ
がホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑っ
たのだ。単純や真率が笑われる世の中じゃ、仕
様がない。清はこんな時に決して笑った事はな
い。大に感心して聞いたもんだ。清の方が赤シ
ャツよりよっぽど上等だ。 (『坊っちゃん』)

輪廓は次第に白く浮きあがる。今一歩を踏み出
せば、せっかくの嫦娥(じょうが)が、あわれ、
俗界に堕落するよと思う刹那(せつな)に、緑
の髪は、波を切る霊亀(れいき)の尾のごとく
に風を起して、莽(ぼう)と靡(なび)いた。
渦捲(うずま)く煙りを劈(つんざ)いて、白
い姿は階段を飛び上がる。ホホホホと鋭どく笑
う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場を
次第に向(むこう)へ遠退(とおの)く。余は
がぶりと湯を呑(の)んだまま槽(ふね)の中
に突立(つった)つ。驚いた波が、胸へあたる。
縁(ふち)を越す湯泉(ゆ)の音がさあさあと
鳴る。(『草枕』)



   2015/7/19 (日) 11:44 by Sakana No.20150719114453

7月18日

「次は涙です。猫の白君は書生が玉のような
四匹の子猫を裏の池へ持って行って棄てて来
たたと涙を流してその一部始終を語ります」
「そもそも猫が涙を流すだろうか。見たこと
もない」
「人間の一面には涙もろいところがあります
が、なかには俳人のように涙をこぼすと、そ
れを十七字の俳句にして、うれしくなるとい
う変わり者もいます」
「行春や鳥啼魚の目は泪──魚も泪をうかべ
ることがあるらしい」
「漱石作品では『明暗』の小林が涙を卓布
(テーブルクロス)にこぼすシーンが印象的
です」
「ドストエヴスキの小説では下劣で無教育な
人物が至純至情の涙をこぼして、読者を感動
させるシーンがある。小林もそんな下劣な男
の一人だが、小林の先生はさすがにありゃ嘘
の涙と見抜いていた」
「先生にはドストエヴスキが解らないと小林
は云っていますよ」
「それは先生の見方のほうが正しいと思う。
ドストエヴスキ派の下劣な奴の涙にだまされ
てはいけない」

吾輩の尊敬する筋向(すじむこう)の白君な
どは逢(あ)う度毎(たびごと)に人間ほど
不人情なものはないと言っておらるる。白君
は先日玉のような子猫を四疋産(う)まれた
のである。ところがそこの家(うち)の書生
が三日目にそいつを裏の池へ持って行って四
疋ながら棄てて来たそうだ。白君は涙を流し
てその一部始終を話した上、どうしても我等
猫族(ねこぞく)が親子の愛を完(まった)
くして美しい家族的生活をするには人間と戦
ってこれを剿滅(そうめつ)せねばならぬと
いわれた。一々もっともの議論と思う。
              (『猫』一)

  まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立
ったところをすぐ十七字にする。十七字にす
るときは自分の腹立ちがすでに他人に変じて
いる。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう
一人が同時に働けるものではない。ちょっと
涙をこぼす。こう涙を十七字にする。するや
否やうれしくなる。涙を十七字に縮めたとき
には、苦しみの涙を自分から遊離して、おれ
は泣く事の出来る男だと云う嬉しさだけの自
分になる。
       (『草枕』)

「露西亜の小説、ことにドストエヴスキの小
説を読んだものは必ず知っているはずだ。い
かに人間が下賤であろうと、またいかに無教
育であろうとも、時としてその人の口から、
涙がこぼれるほどありがたい、そうして少し
も取り繕わない、至純至情の感情が、泉のよ
うに流れ出して来る事を誰でも知っているは
ずだ。君はあれを虚偽だと思うか」
「僕はドストエヴスキを読んだ事がないから
知らない」
「先生に訊くと、先生はありゃ嘘だと云うん
で、あんな高尚な情操をわざと下劣な器に盛
って、感傷的な読者を刺激する策略に過ぎな
い。つまりドストエヴスキがあたったために
多くの模倣者が続出して、むやみに安っぽく
してしまった一種の芸術的技巧に過ぎないと
いうんだ。しかし、僕はそうは思わない。先
生からそんな事を聞くと腹が立つ。先生にド
ストエヴスキは解らない。いくら年齢(とし)
を取ったって、先生は書物の上で年齢を取っ
ただけだ。いくら若かろうが僕は・・・・・」
 小林の言葉はだんだん逼(せま(って来た。
しまいに彼は感慨に堪えんという顔をして、
涙を卓布(テーブルクロス)に落した。
              (『明暗』)


ドウンス先生
   2015/7/21 (火) 05:41 by Sakana No.20150721054155

7月21日

「文学的内容の基本成分として感覚と心理
作用を区別立てし、漱石作品からの文例を集
めてみましたが、きりがありません。この辺
でやめておきましょう」
「あまりに微細な区別立てをする思考法は愚
かしい、そんな思考をする奴は間抜けだと、
チャールズ・ラムは『エリア随筆』「萬愚説」
で言っている」
「すると、漱石先生は間抜けですか」
「スコラ哲学者のジョン・ドウンス・スコト
ゥスを知っているかい?」
「ええ、名前だけは」
「中世においては偉大なスコラ哲学者として
尊敬されていたが、ルネサンス期になると、
その名前<ドウンス>が間抜け(dunce)とい
う意味で使われるようになったそうだ」
「その点、死後百年の今でも一目置かれ、間
抜けと呼ばれないのは流石漱石です」
「苦沙弥先生、坊っちゃん、三四郎など間抜
けを主人公にした小説を書いて間抜けの仲間
のような顔をしている」

Duns, spare your definitions. I must fine you 
a bumper, or a paradox. We will have nothing 
said or done syllogistically this day. Remove
those logical forms, waiter, that no gentleman
break the tender shins of his apprehension 
stumbling across them.
(Charles Lamb "The Essay of ELIA"---"All Fools' Day" 
ドウンスさん、定義を下すのはお控えください。さ
もないと罰杯を課すか、逆説をひとつこしらえてい
ただかねばなりません。今日の良き日に三段論法で
何かを言ったり、したりすのはよしましょう。給仕
君、そこにある論理形式の長椅子をどけてくれ。誰
方(どなた)か紳士が蹴つまずいて、理解力の細い脛を
挫いたりするといけないから。
      (チャールス・ラム『エリア随筆』「萬愚節」


文学亡国論
   2015/7/24 (金) 08:36 by Sakana No.20150724083657

7月24日

「文学的内容の基本成分については、もうこ
の辺でおしまいにしたいと思いますが、文学
亡国論という面白い話題が出てきていますの
で、その文例も拾ってみました」
「英文学で亡国の作品をつくったのは誰だ」
「帝国の滅亡よりも恋の成就をさらに熱心に
考えなければならないと歌うキーツの詩『エ
ンディミオン』です」
「『文学論』によれば、古今の文学、ことに
西洋の文学の九分は恋の情緒をふくむという
から、まさに恋こそ亡国の根源ともいえる」
「恋だけじゃないですね。上田敏の説によれ
ば、俳味とか滑稽とか云ったものは消極的で、
亡国の音(いん)がするそうですから」
「自虐史観の『三四郎』も亡国の作品だね。
漱石は集団的自衛権の必要性を何と心得てい
たのだろうか」
「軍人は文学など歯牙にもかけていません。
いざとなれば、一億総動員法で文学報国会を
つくらせ、協力させればよいと考えています」
「やれやれ。そんなことなら、実験室で珠を
磨いていたほうがいい」

「たったそれだけで俳劇はすさまじいね。上
田敏君の説によると俳味とか滑稽とか云った
ものは消極的で亡国の音(いん)だそうだが、
敏君だけあってうまい事を云ったよ。そんな
つまらない物をやって見給え。それこそ敏君
から笑われるばかりだ。第一劇だか茶番だか
何だかあまり消極的で分らないじゃないか。
失礼だが、寒月君はやはり実験室で珠を磨い
てるほうがいい。俳劇なんぞ百作ったって、
二百作ったって、亡国の音じゃ駄目だ。
              (『猫』六)

三四郎は自分がいかにもいなか者らしいのに
気がついて、さっそく首を引き込めて、着座
した。男もつづいて席に返った。そうして、
「どうも西洋人は美しいですね」と言った。
 三四郎はべつだんの答も出ないのでただは
あと受けて笑っていた。すると髭の男は、
「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こ
んな顔をして、こんなに弱っていては、いく
ら日露戦争に勝って、一等国になってもだめ
ですね。もっとも建物を見ても、庭園を見て
も、いずれも顔相応のところだが、――あな
たは東京がはじめてなら、まだ富士山を見た
ことがないでしょう。今に見えるから御覧な
さい。あれが日本一(にほんいち)の名物だ。
あれよりほかに自慢するものは何もない。と
ころがその富士山は天然自然に昔からあった
ものなんだからしかたがない。我々がこしら
えたものじゃない」と言ってまたにやにや笑
っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間
に出会うとは思いもよらなかった。どうも日
本人じゃないような気がする。
「しかしこれからは日本もだんだん発展する
でしょう」と弁護した。すると、かの男は、
すましたもので、「滅びるね」と言った。


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「『文学論』──自己本位の読み方のまとめ」 長谷部さかな 著
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