『文学論』──自己本位の読み方のまとめ

長谷部さかな 著
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道徳と文学
   2016/8/23 (火) 08:32 by Sakana No.20160823083224

08月23日

「次に道徳と文学との関係について一言せん
と欲す」
「一言でも二言でも、遠慮なくやってくれ」
「然れども単に例を挙げるを目的とするが故
に、説く所はただ数行に過ぎず」
「なんだ」
「A.W.Wardはその著A History of English
Literatureにおいて沙翁以後復古時代に至つ
て、劇にあらはれたる徳義的精神の次第に衰
頽せるを論じて曰く。<この堕落は固より程
度において一様ならずと雖ども、当時の劇文
学に在つては疑もなき一種の特色にして、遂
には道徳的堕落となってあらはるるに至れり。
ある評家は道徳を以て芸術上の作品と全然交
渉なきものとなす。されども一国民の芸術的
生活の進歩を、一般歴史の進歩の傍に置いて
思索せば、何人も反対の結論に達するを疑わ
ず>」
「要するに、道徳と文学は没交渉であり、ま
ったく関係がないという考え方と関係がある
という考え方の二通りがある」
「沙翁自身すら、吾人の知る所を以てすれば、
自由なる市民的徳義の最高理想を実現せる事
あらず。彼の描写せるBrutusは、実にこの概
念を具体化せるもの、然も半ば修辞的にして、
半ば凄愴なる霧中に包囲せらるるに似たり」
「漱石の文学だって徳義的とはいえないもの
もある。沙翁の文学の道徳性の欠如をとやか
く批判はできない」


暗示の種類、方向とその生命
   2016/8/26 (金) 06:58 by Sakana No.20160826065859

08月26日

「新旧精粗に関して暗示の種類も補遺にふく
まれています。せっかくですからふれておき
ましょう」
「暗示にも種類があるのか?」
「ええと、六種類ですが、例外を除くと次の
四種類になります。
 1)(現在の意識)+(古)
 2)(現在の意識)+(古+古)
 3)(現在の意識)+(新)
 4)(現在の意識)+(新+古)
そのうち、1)と2)の二種だけを選んで簡
単な例証を試みることにします。1)は復興
(リバイバルあるいはルネッサンス)、2)
は連結の復興です」
「そんな分類に何の意味があるのか。『文学
論』は補遺に至って、枝葉末節の迷路に入り
込んでしまったとしか思えない」
「暗示の方向とその生命についても一言なか
るべからず」
「勝手にしろ」
「この項もまた説いて精該なる能はず。ただ
一言にしてその要を弁ずるのみ」
「わかりやすい説明にしてほしい」
「ある時期において新しい暗示が発現する書
籍が続々と発刊される場合を考えてください。
それらの書籍はいずれも類似性を帯びていま
す。その中でどの書籍がもっとも長命だと思
いますか」
「それはもっとも価値のある書籍だろう」
「必ずしもそうとはかぎらないのです。作品
に対する善悪の標準は、私たちの趣味にすぎ
ず、私たちの趣味は常に推移するにもかかわ
らず、必ずしも発達を意味するとはいえませ
ん。もっとも価値ありと認められた作品は、
趣味のいまだ推移せざる今日において価値あ
りとされているだけのことです」」
「よいものが残り、悪しきものが滅びること
にはならないのか」
「人間はしかく具眼の動物にあらず。またし
かく公平の動物にあらず。しかあるべしの世
界を夢みて、長(とこし)へに、しかある世
界に彷徨する愚かなる動物なり」
「けっきょく、何を言いたいのか」



価値以外に作物の生命を支配する条項
   2016/8/29 (月) 05:44 by Sakana No.20160829054446

08月29日

「同一の暗示を発現した文学作品の生命(=
耐用年数)を決めるのは作品の価値だけでは
ありません」
「価値の他に何がある?」
「たとえば、時の先後。俗にいう早いもの勝
で、その作品を最初に公にしたものが類似作
品に比べてもっとも長命ということがありま
す」
「短命のこともある」
「遅れて公にされた作品のほうが長命のこと
もないことはありません。また、前なるも滅
し、後なるも滅して、ただ中間に出でたるも
のが強く人の心を動かし、永く世間に記憶さ
れることもあります」
「しかし、そんなことまでわざわざ文学論の
補遺として考える必要があるだろうか」
「本章に述ぶる所は凡て布衍(ふえん)して、
詳論する価値あるものなり。不幸にして材料
時日の欠乏により吾意の如くするを得ず。因
つて補遺としてその大要を約言す」
「お疲れさま」
「文学論として論ずべき事項は以上五篇にて
悉くせるにあらず。漸くに論じ得たる以上五
篇もまたその布置、繁簡、段落、推論、の諸
点において余が意に満たざるもの頗る多し。
かつ忙中に閑を偸(ぬす)んで随書随刷僅か
に業を卒(おわ)るを得たるを以て、思索推
敲の暇(いとま)なきよりして、罪を大方に
得る事多からん、読者これを諒せよ」
「諒せよといわれれば諒するしかない」


『文学論』のまとめは不可能か
   2016/9/1 (木) 07:45 by Sakana No.20160901074506

09月01日

「それでは、いよいよ『文学論』のまとめに
とりかかります」
「まとめることができるのか?」
「なんとかなるでしょう」
「世の中に片付くものは殆どありゃしないと
『道草』の健三は嘆いているぞ」
「健三は馬鹿です。坊ちゃんも馬鹿、苦沙弥
も馬鹿、三四郎も馬鹿、先生も馬鹿」
「それでは『文学論』が『馬鹿論』になって
しまう」
「漱石先生の自己評価でも、『文学論』は学
理的閑文字であり、失敗の亡骸(なきがら)
あるいは立派に建設されないうちに地震で倒
された未成市街の廃墟のようなものですから、
『馬鹿論』と言い換えてもよいかもしれませ
んが、それでも何らかのかたちでまとめよう
とするところに意義があると思います」
「そうかな?」
「根本的に文学とは如何なるものぞという問
いかけにはやはり考えさせられるところが多
々あります」
「下手な考え休むに似たり。馬鹿がなにを考
えても意味がない」
「余は思考す故に余は存在す。人間は考える
葦である」
「では、根本的に文学とは如何なるものぞ」
「その問いへの答の手がかりは『文学論』の
随所にころがっています」


三部作プラスα
   2016/9/4 (日) 07:07 by Sakana No.20160904070745

09月04日

「『文学論』は『英文学形式論』及び『文学
評論』とともに三部作の構成となっています」
「『文芸の哲学的基礎』は?」
「それは明治40年4月20日 漱石が東京美
術学校で行なった講演の演題で、後に東京朝
日新聞に掲載されたものです」
「文学論という建築物には哲学的基礎が重要
ということは漱石にはわかっていたことを証
明している」
「それでは、三部作の関連資料ということで
『文芸の哲学的基礎』を入れておきましょう」
「もしかしたら漱石は哲学をもてあましてい
たのではないだろうか。『文学論』では哲学
への言及をなるべく避けようとした気配がう
かがえる」
「文芸上の真と科学上の真を対立させていま
すが、哲学上の真については無視し、哲学者
は科学者に含めていますね」
「その点が『文学論』の弱点の一つだな。漢
学に所謂文学と英語に所謂文学とは到底同定
義の下に一括し得べからざる異種類のものた
らざるべからずという問題意識を抱いていた
のなら、当然、文学の哲学的基礎である東洋
哲学と西洋哲学とを比較考察しなければなら
ない」
「『文学評論』には「十ハ世紀に於ける英国
の哲学」という一章があります」
「東洋哲学も研究していたはずだ」
「漢学の家で生まれ、二松学舎で学んでいま
すから四書五経から左国史漢はもちろんのこ
と。それに『老子の哲学』という論文も書い
ています」
「哲学者を科学者に含めると、老子も科学者
になってしまうが、せっかくだから『老子の
哲学』も参考資料に加えたらどうか」
「了解しました。文学論三部作の哲学関連補
足資料として特に以下の論文に注目しておき
ます」

 老子の哲学
 文学評論のうち十ハ世紀に於ける英国の哲学
 文芸の哲学的基礎
  


文芸と道徳
   2016/9/7 (水) 07:04 by Sakana No.20160907070436

09月07日

「漱石先生の講演は明治四十四年に大阪で行
った『文芸と道徳』もはずせません」
「『文学論』の補遺でも「文学と道徳」につ
いて道徳と文学は没交渉なりやという問いを
発している。漱石が文学の道徳、倫理に強い
関心を抱いていたことはたしかだ。大阪での
講演では何と言っている?」
「明治以前の道徳はロマンチックな道徳と呼
び、明治以後の道徳をナチュラリスティック
な道徳と名付け、そんな道徳の観点から、浪
漫派の文学と自然主義派の文学を比較対照さ
せておられます」
「自然主義派は道徳に関心があるとはいえな
いだろう」
「自然主義派は、道徳的か不道徳的かにかか
わらず、ありのままの本当をありのままに書
く正直という美徳を持っています。その美徳
があれば、それが自然と芸術的になり、その
芸術的の筆がまた自然善い感化を人に与える
というのが漱石先生の見方です」
「しかし、自然主義の道徳というものは、人
間の自由を重んじ過ぎて好きな真似をさせる
というおそれがある」
「理性で自由に歯止めをかけるべきだとか、
いや何でもありにしておいたほうがいいとい
う議論も出てきそうですね」
「道徳に関連して自由という問題を漱石はど
う考えていたのだろう」
「『文学論』では自由とか理性とか意志につ
いてのまともな議論はありません」
「その点はいささかものたりないね」


カント哲学三部作
   2016/9/10 (土) 07:32 by Sakana No.20160910073229

09月10日

「哲学といえば、形而上学(第一哲学)をは
じめ、神学、自然学、論理学、倫理学、心理
学、社会学、美学などがありますが、そのう
ち漱石先生が関心を寄せられたのはもっぱら
心理学、社会学、美学、それに倫理学です。
倫理学はいわゆる道徳哲学にあてはまります」
「道徳哲学といえば、カントだ。『純粋理性
批判』『実践理性批判』『判断力批判』がな
つかしい」
「さすが旧制高校卒、デカンショ節を歌った
世代の先輩はちがいます。私も『純粋理性批
判』に挑戦したことがありますが、あれは
『文学論』以上に難解な書です。途中であえ
なくギブアップしました」
「若いころ、読もうとしただけでも見所があ
る。たとえそのときは挫折しても、高齢者に
なってから、その挫折体験をバネにしてら読
むことができるだろう」
「でも、高齢者になってから理性の研究して
も遅すぎるのではないでしょうか」
「そんなことはない。理性なき高齢者ばかり
が八十年も百年も長生きすればひどい世の中
になる」
「しかし、『文学論』を読みとこうとするだ
けで私の脳はもうくたくたに疲れはてました」
「発想を変えて、カントが理性を批判するよ
うな姿勢で『文学論』を批判すればよい。
かたや壮大なる哲学の体系、こちらは堂々た
る文学の体系。相手にとって不足はない」
「どちらも今や読者に見捨てられた廃墟にす
ぎません」
「ボランティアの精神で廃墟の瓦礫撤去を手
伝いたいときみは言ったではないか」
「わかりました。それでは文学論三部作の参
考資料としてカントの哲学三部作を加えるこ
とにします」


汝の意志の格律
   2016/9/13 (火) 09:07 by Sakana No.20160913090747

09月13日

「汝の意志の格律が、常に同時に普遍律法に
妥当するよう行為せよというカントの有名な
定言命法がある」
「格律とはどういう意味ですか?」
「行動基準というような意味だろう」
「道という意味に近いかもしれませんね。
<子曰く朝(あした)に道を聞けば、夕べに死
すとも可なり>」
「ちょっとちがうかな。カントの格律は現在
すでにできあがっている。孔子や漱石の道は
未来において目指しているもので、現在はま
だたどりついていない」
「私は五十になって始めて道に志ざす事に気
のついた愚物です。道がいつ手に入るだろう
と考へると大変な距離があるやうに思はれて
吃驚してゐますと、晩年の漱石先生は言って
おられますね(大正五年十一月十五日、禅僧
富沢敬道宛書簡)」
「カントはいう。わが頭上の星辰をちりばめ
た天空と、わが内なる道徳法則の二つは、考
察を重ねるほどに、ますます新たな讃嘆と畏
敬の念が心を満たすと。漱石はイギリスでは
なく、ドイツに留学して、カントの哲学を学
ぶべきだった」
「しかし、カントは、道徳哲学の考察からす
すめて、神の存在や霊魂の不滅を要請してい
ます。子、怪力乱神を語らずという儒学の教
えが身にしみついている漱石先生としてはそ
こまで要請するカントの道徳哲学を学ぶ気に
はなれなかったのではないでしょうか」
「漱石の意志の格律がカントの意志の格律に
妥当しなかったのは残念なことだ」


感性、悟性(知性)、理性
   2016/9/16 (金) 08:51 by Sakana No.20160916085119

09月16日

「内容のない思考は空虚であり、概念のない
直観は空虚である、とカントは言っている」
「どういう意味ですか?」
「感性なしでは対象が考えられないし、知性
なしでは対象を思考することができない」
「それがどうしたというのですか?」
「漱石の法則と称する形式があったな」
「ええ、凡そ文学的内容の形式は(F+f)
なることを要す。Fは焦点的印象または観念
を意味し、fはこれに附着する情緒を意味し
ます」
「それは法則にはなっていない。せいぜいの
ところ準則だ」
「そうかもしれません。実は、その法則ない
し準則は経験論哲学者ロックやヒュームの哲
学に依存していることに気がつきました。と
ころが、経験論哲学者の使用する術語はカン
ト哲学の術語と一致しません。まず術語の整
理整頓をしておかないと頭が混乱します」
「たとえば?」
「イギリス経験論の哲学者がいう印象(=知
覚)はカントの哲学では直観(→感性)に相
当し、経験論哲学者がいう観念はカントの哲
学では概念(→知性)に相当するのではない
かと愚考します」
「観念と概念はちがうよ」
「そういわれると、ぐらつきます。ややこし
いですね」
「入門解説書ではどう説明されている?」
「感性は、人間が自分の感官を通して事物対
象を表象し、悟性(知性)は、感性的直観に
よる表象を統合して、判断にもたらす能力
(概念的判断の能力)、理性は、推論の能力。
判断された諸対象から、推論によって世界の
全体像に迫ろうとする能力となっています
(竹田青嗣『はじめてのカント「純粋理性批
判」』


十ハ世紀に於ける英国の哲学
   2016/9/19 (月) 07:30 by Sakana No.20160919073052

09月19日

「『文学評論』のうち「十ハ世紀に於ける英
国の哲学」を読みました」
「それはロック、バークレー、ヒュームとい
う英国の経験論哲学者たちの思想についての
ほんの概略にすぎない」
「私は特にヒュームの哲学が『文学論』に反
映されていると思いました」
「どんな点について?」
「心などというものは、実体として存在する
ものではなく、幻影のようなものだ。それは
印象と観念の連続にすぎないというのがヒュ
ームの考えですが、漱石先生の言われる文学
的内容の形式(F+f)のF(焦点的印象又
は観念)はその考えに由来しているような気
がします」
「印象と観念が連続しているにせよ、判断に
至るまでには悟性(知性)や理性が働くはず
だ。カントなら、悟性(知性)による概念的
判断の能力や判断された諸対象から、推論に
よって世界の全体像に迫ろうとする理性とい
う能力への言及がぬけているというだろう」
「ヒュームは懐疑派です。神とか魂の不滅と
か人間が経験的に与えられる以外のことを推
論しようとはしません」
「カントはそんなヒュームの懐疑論を否定し
た」
「はたして否定し去ることができたのでしょ
うか」
「哲学史を読むと、デカルトの哲学をロック
が否定し、ロックの哲学をバークレーが否定
し、バークレーの哲学をヒュームが否定し、
ヒュームの哲学をカントが否定し、カントの
哲学をヘーゲルが否定し、ヘーゲルの哲学を
マルクスの哲学が否定したことになっている。
「いったい誰の哲学が真理を語っているのか
と読者をまどわせています。新しくあらわれ
た哲学は必ずしも真理ではないということだ
けはわかりましたが」
「みんな眉に唾をつけて読み流すのだ。けっ
きょく、自分の頭で、自己中心的に考えるし
かない」
「私の感性的直観によれば、漱石先生の考え
はカントよりもヒュームに近いように思われ
ます」


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「『文学論』──自己本位の読み方のまとめ」 長谷部さかな 著
 Copyright © 2015 Sakana Hasebe